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6.近郊電車線、都市高速鉄道、路面電車
−インターアーバン以外の電化路線の概説−

1920年代のジョージア州アトランタ中心部(Electric Railway Journalの記事より)
 インターアーバンだけがアメリカの電気鉄道ではない。インターアーバン以外に、アメリカには数万キロに及ぶ路面電車網が存在したし、東部の大都市の近郊では幹線鉄道の一部区間が電化されていて電車運転が行われていたし、ニューヨークの軌道延長1100キロ、数千両の車両を保有する世界最大規模の地下鉄網は1940年には現在の姿を整えていた。
 実のところ、これらの鉄道には無数の逸話が存在し、限られた時間で語り尽くせるものではないのだが、話がインターアーバンのみに偏るのも面白くないので、簡略な説明を試みる事にしたい。

<目次>
6−1 蒸気鉄道の電気運転−近郊輸送編
6−2 蒸気鉄道の電気運転−幹線区間電化
6−3 都市高速鉄道の活躍
6−4 路面電車


現存の(実用)軌道系公共交通のリンクはこちら
(2004年10月現在における全てのLRT・通勤鉄道事業者を網羅)


6−1 蒸気鉄道の電気運転−近郊輸送編

 ニューヨークのグランドセントラルターミナルは、荘厳な建築様式でニューヨークの観光名所の一つとなっていると共に、現在でも大量の通勤列車の発着がある一大ターミナルである。グランドセントラルターミナルの「セントラル」とはニューヨークの中央駅という意味ではなく、ニューヨークセントラル鉄道の駅を表すものである。黄金時代には、ニューヨークセントラル鉄道の看板列車「20世紀特急」(ちなみに、この列車の出発にあたってはホームに絨毯がひかれた)をはじめ多くの優等列車が発着していたのだが、現在では、アムトラックの長距離列車の発着はペンステーションに移ってしまっている。
 ペンステーションはもともとはペンシルベニア鉄道の駅であった。1960年代まではグランドセントラルターミナルに匹敵する立派な駅舎が建っていたのだが、近代的な駅に改築されてしまった。この駅からもニュージャージー州やロングアイランド島などの各方面に通勤列車が発着している。
 路線にもよるが、これらの列車のかなりは電車列車で、中距離を走行する。非電化区間に直通する列車や長距離列車は電気機関車牽引(非電化区間との境界で機関車を交換するか、電化区間では第三軌条から集電を行う電気式ディーゼル機関車を用いる)だが、これはどちらかといえば少数である。これらの路線の電車運転は100年近い歴史を誇るが、もともと蒸気鉄道だった路線を電化したという点で、インターアーバンとは別個に発達したシステムである。ニューヨーク近辺を中心に路線、車両数はかなりの数に上るが、運営会社数はそんなに多くない。最初に会社名を挙げておこう。

(1)ペンシルベニア鉄道
 ニューヨーク〜ワシントン→都市間連絡および、ニューヨーク、フィラデルフィアの近郊輸送
 フィラデルフィア〜ハリスバーグ→フィラデルフィア近郊輸送
 直流675V 第三軌条式/交流25ヘルツ、11000V 架線集電式
(2)ロングアイランド鉄道
 マンハッタン島の東側にあるロングアイランド島への近郊輸送
 直流650V 第三軌条式
(3)ニューヨークセントラル鉄道
 ニューヨーク北部近郊からの通勤輸送
 直流660V 第三軌条式
(4)ニューへブン鉄道
 ニューヨーク北東部近郊からの通勤輸送(電化区間 ニューヨーク〜ニューヘブン)
 交流25ヘルツ、11000V 架線集電式
(5)ラッカワナ鉄道
 マンハッタン島の対岸ホボケンからの通勤輸送
 直流3000V 架線集電式
(6)ボルチモアオハイオ鉄道
 スタテン島の旅客輸送
 直流650V 第三軌条式
(7)レディング鉄道
 フィラデルフィア近郊の旅客輸送
 交流25ヘルツ、11000V 架線集電式
(8)イリノイセントラル鉄道
 シカゴ南部の通勤輸送
 直流1500V 架線集電式
(9)サザンパシフィック鉄道
 オークランド近郊の旅客輸送
 直流1200V 架線集電式
(10)ノースウエスタンパシフィック鉄道
 サンフランシスコ北部の旅客輸送
 直流600V 第三軌条式

 (1)〜(6)はニューヨーク近郊の旅客輸送である。有力な鉄道会社のうち、電化を行わなかったのはエリー鉄道くらいであった。マンハッタン島への蒸気機関車の乗り入れが禁止された(煤煙が原因だが、どうも列車事故の原因となる煤煙による視界不良を嫌っての処置らしい)ために、マンハッタン島へ乗り入れる鉄道会社は電化を行っている(エリー鉄道は対岸のニュージャージー州ホボケンの発着)。
 このうちロングアイランド鉄道の電化が1905年ともっとも早く、グランドセントラルターミナルの建設と共に行われたニューヨークセントラルの電化が1906年である。ニューヨークセントラル鉄道のライバルペンシルベニア鉄道は、ハドソン川によって長い間マンハッタン島へ乗り入れる事を阻まれていたが、電化技術の発達により長大トンネルの列車運行の目処がつき、1910年にニューヨークに新駅を建設し長距離列車の乗り入れを果した。ペンシルベニア鉄道の電化区間がワシントンまで延長されたのは1930年代の事で、全盛期の電化区間の総延長は1000キロにも及ぶという。ちなみに、レディング鉄道やラッカワナ鉄道の電化も1930年代である。、レディング鉄道はフィラデルフィアにレディング・ターミナルという近郊電車用の発着ターミナルを持っていたが、この駅は1893年に高架で竣工し、一階に約7000平方メートルの売り場面積をもつ巨大な小売市場があった。もともとの小売市場を撤去できなかった事が原因なのだが、鉄道駅直結の市場として大発展し(日本の私鉄ターミナルの原型といった観があるが・・・)、路線が移設され、駅がコンベンションセンターになった現在でも営業が続けられている。(レディング・ターミナル・マーケットホームページ
 ニューヨーク近郊の旅客輸送は需要も多く、運用についた車両も多いのだが、幹線鉄道の豊富な資本力を用いて大量生産、大量導入されたので車種は著しく少ない。ロングアイランド鉄道では、ペンシルベニア鉄道の標準型客車P54の電車版であるMP54を大量導入して最盛期にはこれだけで1000両以上活躍していたというし、他鉄道でも似通った形態の電車が同一ロットで大量生産されている。寝台車でも全く同一の車種が1000両単位(プルマンの2410)製造されていた時代であるからだが、日本の103系以上の大量生産(3000両といっても、制御車有り付随車有り、形態に違い有りで、構造形態とも全く同一となると以外と少ない)である。これらの車両は2扉転換クロスが基本で、扉付近にはロングシートも設けられた。ロングアイランド鉄道には室内座席が2階建て構造になった電車も存在する。

 東部以外の電化路線は、インターアーバンの歴史と関係が深い。イリノイセントラルの近郊路線が電化された時には、それまで交流電化であったサウスショアー線が直流化され、シカゴへの直通運転が開始されている。サザンパシフィック鉄道のオークランド電車線で活躍した電車や、ノースウエスタンパシフィック鉄道で1930年代に導入されたアルミ製の新車は、両路線の旅客営業廃止後に、パシフィック電鉄で「ブリンプ」として活躍する事になった電車である。オークランド電車線は東部の近郊電車線同様、電車の種類が単一であるが、ノースウエスタンパシフィック鉄道の車両には客車を電装化し、オープンデッキでデッキの背後の運転台から運転を行うという(視界の悪そうな)電車や、窓まわりの装飾が優雅な中西部のインターアーバンスタイルの電車などが混在していた点でユニークである。1930年代に導入された電車はサザンパシフィックの電車を模したもので、性能面で見るべきものはなかったが、アルミ製、後にパシフィック電鉄でホットロッドと呼ばれた。

 これらの近郊路線は、1940年代に廃止になった(9)、(10)を除くと、現在まで現存している。ただし、東部だと生き残れたと言うわけでもなく、ここで掲載しなかった東部のマイナーな路線などは1930年代に廃止になっている。どちらにしても独立採算は厳しく、(2)(6)については1960年代から70年代にニューヨーク都市圏交通局が買収、(1)(3)(4)(5)(7)については、親会社が経営破綻した後、コンレール保有(確かアムトラックが委託運営)していたものを1980年代以降、ニューヨーク(MTA)、ニュージャージー(ニュージャージートランジット)、ペンシルベニア(SEPTA 南部ペンシルベニア交通局)の各事業者が譲り受け経営を行っている。

6−2 蒸気鉄道の電気運転−幹線区間電化

 アメリカは国土が広大で、都市間の電化はあまりにも非効率的であるケースが多い。しかし、蒸気機関車の走行が困難な長大トンネル区間や、牽引力が求められる急勾配区間では電化が有利になるケースがある。近郊輸送は電車運転であったが、こちらは電気機関車牽引である。これも順を追って説明していこう。括弧内の番号は先ほどのつづきである。

(11)ミルウォーキー鉄道
 流線型特急「ハイアワッサ」で有名なミルウォーキー鉄道は、モンタナ州、アイダホ州、ワシントン州の山中に、2区間総延長1000キロに及ぶ電化区間(直流3000V)が存在した。この区間は冬季には零下40度にもなる区間で、蒸気機関車による運行は困難を極め、それが1000キロにも及ぶ電気運転を決意させたのである。電化工事は1915年に始められ、数年のうちに壮大な路線網が築かれた。
 戦後のこの区間は、「リトル・ジョー」という電気機関車で有名であった。この機関車は、動輪8軸(2DD2)、27メートル、273トンの流線型電気機関車で、ソ連向けに1946年に製造されたのだが、冷戦の影響で輸出は中止、軌間や電圧などの仕様を変更した上でミルウォーキー鉄道とシカゴ・サウスショアー・サウスベント鉄道(サウスショアー線)に導入されたのである。ミルウォーキー鉄道には12両が導入、うち2両には蒸気発生装置が搭載され、看板列車「オリンピアン・ハイアワッサ」の牽引などにあたった。
 ミルウォーキー鉄道は華やかな列車を運行していたが、台所事情は電化以前から思わしくなかった。北部ロッキー越えを行う鉄道としてはもっとも建設が遅く、線形的にはグレートノーザン鉄道より不利であった。この会社が20世紀初頭に、幹線旅客鉄道としては異例の存在となっていた直営寝台車の運行をプルマン社に移管したのは、老朽化した寝台車の代替新造のための資金がなかったからであるし、率先して高速蒸気列車を運行したのも、収支改善への要求が強かったからである。そんななかでの電化は、コストダウンを意図したものではあったが、現実には設備維持にコストが嵩み(人口希薄な地域で東京〜下関に匹敵する直流電化区間を維持したのであるから)、電気設備の更新もままならない結果となってしまった。直通する旅客列車の運行は1961年に廃止。電化設備はディーゼル機関車の進歩により、1974年に撤去、そして1980年代には、会社自体が倒産してしまうのである。

(12)グレート・ノーザン鉄道
 グレート・ノーザン鉄道はロッキー山脈北部を通る3鉄道(他にミルウォーキー鉄道、ノーザンパシフィック鉄道)の中でもっとも良い線形を持つ鉄道であるが、ワシントン州にカスケードトンネルという長大トンネルが存在する。このトンネルを蒸気運転で通過するのは困難で、1909年に交流三相(電線が四本必要な三相交流である!スイスなどで良く使われたシステムだが)25ヘルツ、6600Vで電化が行われた。1927年にはより長大な新カスケードトンネルが開業、この時に電化設備は単相11000Vに更新され、電化区間も100キロに延長された。
 電気運転の経営は順調であったが、ディーゼル機関車の発展により、換気設備さえ強化すれば、電気機関車でなくとも長大トンネルを通過することが可能になり、電化設備は1956年に撤去された。有利な線形を持つ路線は現在でも大活躍で、BNSF(バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道)の幹線として健在、グレートノーザン鉄道以来の看板列車「エンパイヤビルダー」もアムトラックにより運行が続けられている。

(13)ノーフォーク・ウエスタン鉄道
 バージニア州、ウエストヴァージニア州の山間路線90キロを、1918年から1923年にかけて単相交流25ヘルツ11000Vで電化、ディーゼル機関車の進歩により設備は1959年に撤去される。

(14)ボストン・メイン鉄道
 この鉄道はニューヨークセントラル鉄道と接続し、シカゴや中西部地方とボストンを最短距離で結ぶ鉄道であるが、ホサックトンネルという長大トンネルが存在した。当初は問題を抱えつつも蒸気運転で切り抜けていたが、1911年に電化工事を行い、1946年まで電気運転を行った。単相交流25ヘルツ、11000V。

(15)ボルチモア・オハイオ鉄道
 1895年、ボルチモア市内に川底トンネルを敷設した時に電化工事を行い、幹線鉄道初の電気運転を行う。直流650V、当初は架線の代りに特殊な集電装置を用い、1902年より第三軌条となった。1952年に電化設備は撤去。

(16)クリーブランドユニオンターミナル
 1930年に完成したクリーブランドのユニオンターミナルは、ホームを半地下にして、今でいう人工地盤の地上に高さ200メートルの高層ビルを中心に売り場面積9万平方メートルの巨大百貨店(戦前の梅田の阪急デパートが6万平方メートル程度)などを持つ複合ビルを建設した壮大な駅である。ホームは30本を有するということで、新宿駅をひとまわり大きくした駅に名古屋駅の新ターミナルを合わせたような外観を想像していただければいい。
 乗り入れる鉄道が全て非電化蒸気運転で、駅が半地下構造である事から、駅乗り入れ部分について直流3000Vで電化が行われた。インターアーバンや高速電車用の駅も設けられたが、インターアーバンは建設中に衰退の道をたどっていたので、地下鉄のみが乗り入れることになる。ディーゼル化と共に電化区間の役割は終わり、1952年に電化設備は撤去されたが、当時、アメリカの鉄道はすでに斜陽化の時代にはいっていた。開業当時は数百本の列車が発着した大ターミナルも発着数が激減、現在ではクリーブランドに発着する長距離旅客列車は1日1本になってしまっている。アムトラックでは大ターミナルは不要だし、大きすぎて管理ができないのでバスターミナルと共用の独自の駅舎を新設し使用している。クリーブランドには幹線鉄道路線を利用した通勤輸送サービスは存在せず、短編成の地下鉄とLRTが今でもこのターミナルを使用しているが、ホームの大半はそのまま残され、鉄道黄金時代をしのばせる史跡になってしまっている。

(17)ニューヨーク・セントラル鉄道
 デトロイトとカナダのウィンザーを結ぶ川底トンネルの電化。1910〜1953、直流第三軌条650V。この路線の開業に合わせ、デトロイトに新駅(ミシガン・セントラル・ディ−ポ)が設けられたが、ダウンタウンの衰退に伴い廃墟と化してしまっている。

(18)アムトラック
 経営難のアムトラックであるが、北東回廊の高速化プロジェクトにはペンシルベニア鉄道時代から国庫補助が行われている。現代でも、北東回廊の高速化はTEA21の高速化計画の基幹と位置付けられ様々な改良計画が行われている。
 これまでの北東回廊高速化プロジェクトで最大のものが2000年に行われた最高速度240キロの「アセラ」の運行と、それに併設して行われたニューへブン〜ボストン間の電化である。北東回廊は、1960年代のメトロライナー以来、線路改良と車両改良の両面から高速化が試みられてきた線区であるが、電化区間の延伸は1930年代以来始めての試みで、この区間の大幅なスピードアップを可能にした。
 ちなみに電気設備は交流単相60ヘルツ25000V、東海道新幹線と同じである。

 ユニークな路線が多いのだが、ほとんどの路線は電化設備を撤去してしまっている。この他に、サンタフェ鉄道のラートン峠(カホン峠と並ぶサンタフェ鉄道の難所の一つ)やベーカーズフィールド経由のロサンゼルス〜サンフランシスコ間、デンバーリオグランテウエスタン鉄道の峠越え区間などで電化が検討されたが実現しなかった。

6−3 都市高速鉄道の活躍

  アメリカの鉄道は、都市鉄道にあっても民間資本主導である。路面電車については空前のネットワークを誇ったが、より高規格の都市鉄道システムについては一歩出遅れてしまった。サンフランシスコのBARTをはじめ現在活躍している都市高速鉄道のかなりが政府補助が行われるようになった最近の建設で、戦前に地下鉄を持っていたのはボストン・ニューヨーク・シカゴ・フィラデルフィアに限られる。
  アメリカの都市高速鉄道は、「高架鉄道」にその起源を有す。ボストン・ニューヨーク・シカゴでは、蒸気運転、鉄骨高架の高架鉄道が建設された。植民地であるアメリカには旧市街というものがなく、ヨーロッパに比べ高架軌道敷設で有利だったのと、電気運転が実用化されるまでは大量輸送手段として他に代わるものがなかったので、これらの都市に限っては高架鉄道は結構普及した。
  最初に地下鉄建設が行われたのはボストンである。ニューヨークでは、高架鉄道の輸送能力を補強するために既存の高架鉄道とは全く別個にIRTシステムが建設され、後に高架鉄道のシステムを併合した。ニューヨークのIRT線とBMT線の建設は民間企業によるものであるが、資本費補助が行われている。
  シカゴの地下鉄は1943年の建設である。都市高速鉄道としては19世紀の終りから20世紀のはじめにかけて建設された高架鉄道がその主役であったが、それに接続し、都心の高架鉄道のループを迂回するかたちで建設が行われた。

シカゴの高架鉄道路線図 いくつかの路線が廃止されていることに注目
 アメリカの都市高速鉄道は、通勤旅客輸送専用に建設されたものとしては非常に設備が立派である。ニューヨークの地下鉄は最初に建設されたIRT線の時代からすでに複々線であったが、その前に存在した9番街高架鉄道も3線区間を持ち、ラッシュ時に急行運転を行っていた。フィラデルフィアの地下鉄ブロードウェイ線は複々線、シカゴの高架鉄道も、3線区間を2路線で(現在は複線になっている)、複々線区間を1路線で持ち、大々的な急行運転を行っていた。いずれも稠密な路面電車ネットワークが存在した時代に基幹路線として建設されたからで、輸送力と高速性が求められたからである。

6−4 路面電車

 アメリカの路面電車を一言で形容するのは難しい。思いついた言葉は陳腐なものであるが、何も言わないよりはいいだろう、それは「空前絶後」の存在なのである。今でこそ、自動車社会のアメリカだが、20世紀の最初の20年は電車王国だった。その発達は尋常ではなく、人口1万程度のちょっとした街でも路面電車が存在していたケースが多い。
 当然の事ながら、名の知れた大都市であれば必ず路面電車が走っていた。ダラスやヒューストン、フェニックスといった自動車以外の交通機関が考えられない(近年は莫大な公的補助によって公共交通の運営が可能になっているが)都市にも存在していたし、ネットワークの密度が尋常ではなかったのである。例えば、20世紀初頭にはまだ人口100万ほどの規模であったロサンゼルスには500キロの軌道延長、800両の車両を持つ路面電車ネットワーク(勿論、それ以外に軌道延長1700キロの郊外電車のパシフィック電鉄のネットワークを除く)があった。サンフランシスコやピッツバーグ、デトロイトといった中規模の主要都市の路面電車も似たようなもので、同規模の日本やヨーロッパの路面電車に比べて遥かに稠密で、また、都心から10キロ、20キロ離れた郊外まで路線を伸ばしていた。
 こうした都市の中で、最大のネットワークを持っていたのはシカゴである。シカゴの路面電車の軌道延長は1800キロ、3500両の車両を保有していた(日本最大の東京都電が軌道延長500キロ、車両数1200両程度の規模、現在の広島が50キロ、270両(5車体連接車を5両と数えている事を考えると200両程度とみるべきか)である)。軌道自体はインターアーバン路線を経由してインディアナ州やオハイオ州まで伸びていて、乗り継いで1000キロ先まで旅行することも可能であった。このあたりは東部でも同様で、ニューヨークからボストンまで郊外路線を乗り継いでの旅行も可能であったという。西部の都市で著名だったのはサンフランシスコで、メインストリートであるマーケットストリートには複々線の併用軌道が設けられ、ひっきりなしに電車が行き来していた。

↑シカゴの路面電車路線図(1928)
比較のために同縮尺の東京の路面電車路線図を挙げた
(1955年ごろのものだが、東荒川〜今井橋廃止後に志村橋延長が
         行われたりしているので同時に存在していたわけではない)

 全盛期のアメリカの路面電車の軌道は裏通りにもあり、かなり小口の需要にも対応していたと思うのだが、一方で車体15メートル級の大型の車両も使用され、平均速度も速かった。シカゴの路面電車の主要路線の平均速度は現在の併用軌道主体のLRT並の20キロ+α程度であり、高速鉄道としての高架鉄道の立場を危うくするものであったという(ただ、この逸話はLRTが路面電車に比べ高速という話を怪しくしてしまうともいえる、わざわざ地下鉄を建設せずともLRTでも良いという話には通じるわけだが)。
 路面電車システムはインターアーバンとも関係が深い。中西部の典型的なインターアーバンは、高速道路のインターチェンジに入るまで一般道路を走る高速バスのように、中心部のターミナルから専用軌道が始まる街外れまで路面電車の軌道を走行していたし、インターアーバンを運営する電鉄会社が路面電車も運営するケースが多かった。パシフィック電鉄は、ロングビーチ、サンペドロ、サンタモニカ、パサデナ、ポモナ、サンバナディーノ、リバーサイドなどの路面電車(市内線電車)を直営で運営していたし、最大の路線延長を誇ったオハイオ電鉄はオハイオ州のリマ、デイトン、ハミルトン、ニューアーク、ゼネスビルなどの路面電車を運営していた。中でも、デトロイト・ユナイテッド電鉄のデトロイト市内線やテレホート電鉄(THI&E電鉄)のインディアナポリス市内線は高収益で、両社はインターアーバン路線の赤字を市内線の黒字で補ったという。
 もっとも、重量のある電車で軌道を痛めるインターアーバンと路面電車会社が常に友好的だったわけではない。シンシナチなどは典型的な例なのだが、標準軌や1588ミリ主体であったインターアーバン軌間とは別の軌間を採用して防衛に努めたケースもあるようである。
 路面電車の最盛期は1910年代であった。あまりにも巨大化したネットワークは環境変化に弱く、1910年代のジットニー(小型相乗り自動車)の登場で危機にさらされる。この時のジットニーの影響は限定的で、路面電車会社の団体の圧力もあってジットニーを締め出す事ができたが、1920年代の自家用車の登場はどうにもできなかった。何しろ、小型バスで十分なような裏通りにも電車を走らせていたのだからその非効率は否めない、都市で生活するほとんどの人間が利用してくれた時には繁盛したが、それが自家用車に移った事で路面電車会社は経営危機に陥ってしまった。インターアーバンに比べればそのペースは遅かったが、1930年代から50年代にかけて廃止が進められた。上昇しない運賃収入に上がりつづける賃金、こうした要因で末期には労働争議で運行が混乱する企業も多かった。地方の人口数万〜十数万人の小都市を中心に、破産した電鉄会社の運行権をゼネラル・モーターズの子会社が買い取り、バス化したケースが結構存在したが、あまりにも急速に路面電車が消えたために、GMが石油会社などと組んでアメリカの大都市の路面電車を撤去したとするGMの陰謀説が流布するようになった。GMのバス運行子会社であるナショナル・シティ・ラインのバス保有台数は全存続期間の合計で2000台程度で大した影響はなかったのだが(但し、運行都市の中にバスボイコット運動で有名なアラバマ州のモンゴメリー-現在の人口は20万人-があり、これがGMのバス子会社を悪い方向で有名にした可能性がある。)、というものが生まれたくらいである。
 末期の路面電車の起死回生の手段としてPCCというのが開発された事は有名である。PCCは日本語で言えば「社長会議車」とでも言った意味である。55馬力のモーター4つと、従来車に比べて軽量な車体により加減速7.2KM/S・Sを実現(阪神ジェットカーの1.5倍以上の加速度!!、単行運転で運転手が乗客の様子を確認して加速できるから可能なわけである)、直角カルダン駆動による消音化、大量生産による省コスト化などを実現した良い事尽づくめの電車である。一部の都市で路面電車が生き残っているのはこの車両のおかげといえるかもしれない。ちなみに、PCCにはブリル車の「ブリルライナー」、セントルイスカーカンパニーの「マジックカーペット車」などのいくつかの亜流が存在したようである。


1913年のフィラデルフィアの路面電車路線図。「どの道路に路面電車が?」と思った皆さん、
黒字は道路ではなく、路面電車路線を表しているのです。
<主要都市の路面電車廃止年>
括弧内は1920⇒1940⇒2002年人口 単位万人
2002年現在、ワシントンより人口の大きな都市と1920年代、40年代に人口40万人以上だった都市が対象(1920年代に人口40万人以上であったすべての都市に路面電車が存在した)、1920年13万人以下 1940年16万人以下は?で表記

<マサチューセッツ州>
・ボストン(74⇒77⇒58) 現存
<ニューヨーク州>
・バッファロー(50⇒57⇒28) 〜1950 (LRT1984〜)
・ニューヨーク(562⇒745⇒808) 〜1955(1957?)
<ニュージャージー州>
・ニューアーク(41⇒42⇒27) 現存
<ペンシルベニア州>
・フィラデルフィア(182⇒191⇒149) 現存
・ ピッツバーグ(58⇒67⇒32) 現存
<メリーランド州>
・ボルチモア(73⇒85⇒63) 〜1963 (LRT1992〜)
<ワシントン特別区>
・ワシントン(43⇒66⇒57) 〜1963(1962?)
<ミシガン州>
・デトロイト(99⇒162⇒92) 〜1956
<オハイオ州>
・クリーブランド(79⇒87⇒46) 〜1954(専用軌道のLRTは現存)
・コロンバス(23⇒30⇒72) 〜1949
・シンシナチ(40⇒45⇒32) 〜1951
<インディアナ州>
・インディアナポリス(31⇒38⇒79) 〜1953
<イリノイ州>
・シカゴ(270⇒339⇒288) 〜1958
<ミズーリ州>
・セントルイス(77⇒81⇒33) 〜1966 (LRT1993〜)
<ウィスコンシン州>
・ミルウォーキー(45⇒58⇒59) 〜1958
<ミネソタ州>
・ミネアポリス(38⇒49⇒37) 〜1954 (LRT2004〜)
<ルイジアナ州>
・ニューオリンズ(38⇒49⇒47) 現存
<フロリダ州>
・ジャクソンビル(?⇒17⇒76) 〜1936
<テネシー州>
・メンフィス(16⇒29⇒64) 〜1947 (観光用として復活1993〜)
<テキサス州>
・ダラス(15⇒29⇒121) 〜1956 (LRT1996〜)
・ヒューストン(13⇒38⇒200) 〜1940 (LRT 2004〜)
・サンアントニオ(16⇒25⇒119) 〜1933
・オースチン(?⇒?⇒67) 〜1945
<アリゾナ州>
・フェニックス(?⇒?⇒137) 〜1948
<カリフォルニア州>
・サンノゼ(?⇒?⇒90) 〜1939 (LRT1988〜)
・サンフランシスコ(50⇒63⇒76) 現存
・ロサンゼルス(57⇒150⇒379) 〜1963 (LRT1990〜)
・サンディエゴ(?⇒30⇒125) 〜1949 (LRT1981〜)

<余談>
 実は、「アメリカ電気鉄道史」のサイトを最初に立ち上げた時点からロサンゼルスやシカゴの路面電車については1章を割こうと考えて準備を進めているのだが、一向に進まない。あまりにも規模が大きすぎて、路線図一つ書くのも一苦労だからで、調査対象都市の数だけが増えてしまっている(現在、デトロイト、フィラデルフィア、サンフランシスコなども調査編集中)ある。これもアメリカの路面電車の規模を表すといえばそうなのであるが。→リクエストして下さった皆さん、半年ほどお待ちを。⇒ごめんなさい、章番号書き換えにあわせ、そろそろはじめます(09年3月)


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<更新略歴>
2004年5月17日 誤字修正を中心に若干加筆
     6月9日 東京とシカゴの路面電車路線図追加
2005年1月15日 シカゴの路面電車路線図更新、主要都市の路面電車廃止年と高架鉄道路線図も付け加えました
      1月28日 写真1枚追加
2006年4月3日 章番号とリンクを変更
2009年3月21日 章番号再変更(9⇒6) 但し、前の変更で直っていないのがあったので中はそのまま