【工事中】

 

<ロサンゼルス鉄道の主力 カリフォルニアカー>
1914年11月21日のElectric Railway Journalより
 ここまで紹介してきたパシフィック電鉄は、ロサンゼルスの郊外輸送を担う電鉄会社で、ロサンゼルス市内の多くの路線はロサンゼルス鉄道が運営を行っていた。ロサンゼルス鉄道の路線延長は約250km、1920年代の保有車両数は1200両。ロサンゼルス市の人口は1920年には50万人、1930年になってようやく100万人となるレベルであったから、人口に対して電車路線の密度はかなり稠密であったといえるが、当時のロサンゼルス市民は他都市に比べても高頻度で電車を利用していたようである。車両の塗装は黄色に統一され、パシフィック電鉄の「レッド・カー」に対し、「イエロー・カー」として親しまれていた。
  ロサンゼルス電鉄はパシフィック電鉄に比べると、(本場アメリカでも)知名度が低く、詳細を取り扱った本も少ないのであるが、本稿では、入手できた断片的な資料を元に、その実像に迫ることにする。
 

【ギャラリー】

<1308>

 1923年製。1200〜1450は1920年から1923年にかけて製造された本格的な鋼製車両で総括制御が可能だった。この構造の車両の使い勝手は良かったらしく、60両の同型木造車を自社工場で製造している。路線の縮小とともに余剰となり、1950年代中ごろに廃車となるが、60両(部品取り用が含まれていると思われる)が韓国に譲渡され、ソウルと釜山で戦後日本から輸入された新車などと並んで活躍するが、1968年の市電廃止と同時に廃車となっている。


 

<バーニーカー>

 1919年製、約70両が導入される。ロサンゼルス鉄道や市電を監督する規制当局は数百両単位の大量導入を検討していたようだが、乗り心地の悪さや輸送力の小ささ、バスの技術革新によるバス代行の効率性などから取りやめたようである。

 

更新略歴
2007年3月31日作成