アメリカ旅客鉄道史+αアメリカ電気鉄道史パシフィック電鉄>3.路線

3.路線
<概説>

 総延長800キロだけあって、パシフィック電鉄は無数の路線を持っている。近郊都市の市内線などの一部の路線を除くとこれらの路線の電車はロサンゼルスのダウンタウンに直通するので話がややこしくなる。
 これらの路線群は、会社の管理上、西南北の3つ地域に分けられていた、さらに北部は性格上、東部と(それ以外の)北部に分けられることが多い。4つの地域のうち、北部と南部は複々線区間を持ち、各路線はこの複々線区間に集約されロサンゼルスのダウンタウンと連絡している。これに対し、西部の路線は一部地下線によりロサンゼルスと北西部、ハリウッドに向かう路線と、地上のターミナルから南西10キロほどの併用軌道を経て、サンタモニカに向かう路線に大別される。東部の路線は単線が多いが、都市間電車としての風格を持つ路線が多い。
 パシフィック電鉄の路線は複雑怪奇である。一応運行系統が存在するが、その数は170に及ぶ。ここでは、複雑な路線群を分かりやすく説明するために、地域ごとに主要路線の記号付けを行った。ここで用いている記号は便宜的なものである。また、北部、南部の複々線区間を指して北部幹線、南部幹線と記したが、この呼び方も便宜的なものである(一応原語でもFour Track Main Line とは呼ばれているが)。それでは、地域ごとに個々の路線を見ていこう。

 記述は暫定的なものです。徐々に追加、肉付けしていきたいと考えていますのでよろしくお願いします。

<目次>
○詳細路線図
○東部地区
○南部地区
○北部地区路線図
○北部地区
○シエラビスタ駅時刻表
○(参考)ロサンゼルスユニオンターミナル駅時刻表
○西部地区路線図
○西部地区
○ダイヤに関して



メインアンド6thターミナル 高架ができる前の1909年の写真

↑ロサンゼルス都心部の路線図     6thメインターミナルビル内部↑
(出典:Electric Railway Jpurnal)

都心部分の路線図(2007年3月30日掲載)
赤:パシフィック電鉄の路線 
黄:ロサンゼルス電鉄の路線
緑:現在の地下鉄とLRT   

○東部地区
概説-東部地区の路線は、大合併以前に、サンバナディーノ渓谷電鉄が建設・買収したサンバナディーノ周辺の路線と、大合併前後にパシフィックエレクトリックが建設したロサンゼルスとサンバナディーノを結ぶ路線(サンバナディーノライン)に大別される。最初の路線開通は1903年ごろで、旅客営業が完全に廃止されたのは1943年のことである。

E1 
サンバナディーノライン
 直流1200ボルト仕様(他の路線は600ボルト)の高規格中距離路線。列車の運行頻度はそれほど高くなく、昼間は2時間に一本程度になることもあったが、その半数は、途中駅のかなりを通過する「特急」電車であった。複電圧仕様で化粧室を備えた1001系や1200系が使用された。
 全通は遅く、1914年の事、1941年にロサンゼルス側のボールドウィンパーク以東の路線の旅客営業が廃止となるが、貨物輸送に関しては現在まで部分的に存続している。1950年代までは電化設備も残り、鉄道ファンの特別運行などが行われた事もある。

E2 リバーサイドライン
 東部地区の支線であるが、短距離路線という事で運行本数は1時間に1〜2本と多かった。

E3 リバーサイド−コロナライン
 同じく東部地区の支線、道路の真ん中の並木道を走っていく郊外でありながら路面電車のような路線。

Ex その他の路線
 サンバナディーノラインからはいくつもの支線が分岐している。一見すると貨物の引込み線のようだが、多くの路線は最盛期には旅客営業を行っていた。30分〜2時間に1本の運行頻度で運転され、サンバナディーノラインの列車に接続していた。


○南部地区
概説−北部地区と並んでハンティントンが整備に力を入れた地域。ロサンゼルスダウンタウンからワッズに向かって伸びている複々線区間とその途中、およびワッズから分岐する各路線で構成される。
 この地区の多くの路線は1900年から1910年の間に整備されたが、レドンドビーチへ向かう路線はもともとナローゲージで蒸気鉄道だったロサンゼルス・レドンド鉄道の建設によるもので、複々線の整備に伴い、ダウンタウンからのルートを変更している(旧ルートはロサンゼルス電鉄が使用)。
 トーランスにはパシフィック電鉄の全車両を対象にした大修理工場があり、また、ワッズにも車庫が存在した。
 1940年代から廃止が行われるが、1961年廃止のロングビーチ線をはじめ、比較的存続期間の長かった路線が多い。

SA 南部幹線(4-track south ワッツ・ローカルライン)
 6thメインターミナルを出た列車は、メイン通り、サンペドロ通り、9番街を通ったあと、南に一直線に向かう複々線の専用軌道区間に入る。この複々線はワッツまで続き、ワッツ以南、および途中で分岐してホイッティアーに向かう列車は内側線を走行した。
 ワッツまでは各駅停車があり、ワッツローカルラインと呼ばれていた。各駅停車の運行頻度は高く、最盛期には昼間5分おきに運行されていた。
1909年のワッツ駅。今の状態からは想像できない写真。

パシフィック電鉄ご自慢の複々線区間
1908年ごろ、ホイッティアー線との分岐点付近


上の場所をgoogle earthで再現
マイクロソフトのvirtual earthならもっとリアルに再現できるが転載可能かどうか不明なため、これで我慢


3D表示ではわかりにくいので上の場所の真上の様子

S1 ホイッティアーライン
 ホイッティアーに向かう路線。見て分かるとおり、ロサンゼルスへは迂回する形になっているために、バスとの競争にさらされた。

S2 フラートン・ラハブラライン
 ホイッティアーラインの支線。貨物輸送では重要な役割を果したが、旅客列車は1日5〜7本程度で、ロサンゼルス方面へは乗換えを要する場合が多かった。

S3 サンタアナライン
 パシフィック電鉄きっての高速電車線(といっても車両性能による制約などから、実際の最高速度は時速96キロにとどまったが)。
 当初は全線複線だったが、1940年代に多くの区間が単線化され、レールはオークランドの戦時通勤輸送用に供出されてしまった。初期の複線規格は高度な閉塞設備を前提としない時代に設計されたもので、この時代の閉塞技術を用いることでダイヤにそれほど影響は出なかった。1950年代初頭にベルフラワー以南の路線は廃止、ベルフラワーまでは高速道路未整備という理由からしばらく存続したが、LAMTA(ロサンゼルス都市圏交通局)が発足した1958年に廃止となった。

S4 ロングビーチライン
 ある程度距離があり、高規格かつ輸送需要も高いというバランスの取れた路線。一番最後まで残った路線であり、LRT路線として軌道の多くが旅客路線として復活を遂げている。
 パシフィック電鉄時代にも列車本数は多く、20〜30分おきに列車の運行があった。また、ワッツ以南でも小駅を通過する「特急」電車がかなり(一番多いときで毎時1本)設定されていた。

S5 (ドミンゲスJCT経由)サンペドロライン
 ロングビーチラインの兄弟分のような路線。サンタアナラインの一部と同様、1958年まで残存。カタリーナ島に向かうフェリーに連絡する「カタリーナスペシャル」という列車もこの路線を利用して運行されていた。

S6 ニューポートライン
 ロングビーチから南東に伸びる海岸線を走る路線。
 リゾート地を走る路線ゆえ、平日と休日の輸送格差や自動車の影響が大きく、1940年代初めに路線廃止。しかし、ガソリンが配給制になり、公共交通の需要が伸びた1940年代に単線ながら復活を遂げ、1950年まで営業をつづけた。

S7 (ガードナ経由)レドンドビーチライン
 ロサンゼルス・レドンド鉄道という鉄道会社が19世紀に軌間1067ミリの蒸気鉄道として開業させた路線、この会社が20世紀の初頭電化を行い、1911年の大合併でパシフィック電鉄の路線となる。ワッツ経由となったのは合併後標準軌となってからで、それ以前は別ルートでロサンゼルスに乗り入れていた。廃止は比較的早く1940年のこと。

S8 (トーランス経由)サンペドロライン
 パシフィック電鉄とは別会社の手によって、軌間1067ミリの路線として1903年に全通、ワッツ経由になったのは1911年の大合併後標準軌化されたときで、それ以前は後のロサンゼルス電鉄の路線を利用して別ルートでロサンゼルスに乗り入れていた。
 単線の路線で、パシフィック電鉄の路線となってからはそれほど本数も多くなかったが、沿線のトーランスにはパシフィック電鉄の巨大な工場があり、工場への出入庫と、従業員の輸送で賑わった。

S9 サンタアナ・ハンティントンビーチライン
 典型的なローカル線で列車の運行本数は1日数本。洪水で橋梁が流されてしまい、1922年には通し運転は休止。

SA その他の路線





○北部地区
概説−北部地区は、ロサンゼルス北西部各地域を結ぶ路線で構成されており、路線延長は短いものの複々線あり、登山鉄道ありで変化に富んでいる。旅客営業の比重が高い上に、現在では高級住宅地となっているような住宅地を走るために、モータリゼーションによる収益減が深刻で、南部の路線より10年も早い1951年に全路線が廃止になってしまた。メインの車庫はダウンタウンのはずれにあったマーシーストリートヤードである。

Na 北部幹線(4track mainline north)/シエラビスタライン
 ロサンゼルスのダウンタウンには、ハンティントンビルディングという12階建てのビルがある。かつてのロサンゼルスには高層ビルが少なく、このビルは威容を誇ったのだが、このビルは元々パシフィック電鉄のターミナルビルとして1905年に作られた物だったのである。
 北部の各路線に向かう列車はこのターミナルを基点とした。このビルはパシフィック電鉄の併用軌道のある6thストリートに面している。また背後からは高架線が伸びていて、東側にあるサンぺドロ通りにも通じている。構内は通過可能な構造になっているので、これを利用して運用には工夫が施されている。
 6thストリート、もしくはサンぺドロ通りを北上した電車は、東へ進路を変える(ここで両者は合流する)。ここから専用軌道になり、マーシーストリートヤードという車庫を抜け、ロサンゼルス川を渡ると東部路線が分岐する。ここからしばらく行った先からは複々線である。
 この複々線区間、内側二本が急行線、外側二本が緩行線である。パシフィック電鉄では貨物列車も運行されたが、貨物列車は外側線を利用している。緩急分離によるスピードアップを目的とした複々線区間であったが、第一次世界大戦前までは輸送需要そのものも大きく、ダウンタウン方面への複々線の延長計画も存在した。第一次世界大戦後は輸送需要も落ち着いたようで、ダウンタウンからの各駅停車は途中のシエラビスタまでとなった(この列車を指して、シエラビスタラインと呼んでいる)。代わりにパサデナオークノール線がこの区間は各駅に停車している。この複々線を使う路線はN1〜N5、および、N8の路線である。

N1 パサデナショートライン
 オネオンタパークをから北上し、パサデナ市内に向かう路線。パサデナ市内は併用軌道である。ショートライン(短絡線)と呼ばれた理由は、以前から存在した南パサデナ線に比べ併用軌道区間が少なく、所用時間が短いためであるという。この路線の運行頻度は高く、ラッシュ時は10分おき、昼間時でも15〜20分おき(休日や末期は30分おき)に電車の運行があった。
 この路線は、新年のローズボール(今でも新年にパサデナで開かれているアメリカンフットボールの試合の事)の臨時列車の運行でも有名である。1月1日には、各地からパサデナに向かう臨時列車が運行された。



↑北部地区のジャンクション オニオンタ・パーク(出典 Electric Railway Journal)
N2 パサデナオークノールライン
 エルモリノから北上し、東経由でパサデナ市内に乗り入れる路線。シエラビスタからは緩行線を走り、パサデナショートラインを保管する役割を持っていた。
 エルモリノから北上する沿線にはハンティントンの建設した豪華ホテルが存在した。沿線の不動産開発と同時に建設が進められ、建設費もかかったが、利益も大きかったといわれている。

N3 シエラマドルライン
 パサデナの東部、シエラマドルを経てマウントウィルソントレイル(ウィルソン山登山口)に向かう路線、パサデナ中心部との間には市内線の連絡があった。ウィルソン山への登山客で休日はにぎわい、臨時列車も運行されたが、北部のロサンゼルスに向かう路線としてはもっとも利用客が少なく、ラッシュ時以外は線内折り返し、もしくは、モンロビアラインの車両に併結されての運行だった。

N4 モンロビア−グレンドーラライン
 北部地区の中では一番距離が長い路線。貨物列車の運行が盛んであった。初期の路線計画では東部地区の路線とつなげる計画もあった。沿線のサンマリノは、ハリウッド、マリブと並ぶ高級住宅地であるが、この路線が存在した時代からそうだったらしい。

北部地区 モンロビア駅(1908年ごろ)

N5 アルハンブラ−サンガブリエルライン
 シエラビスタから分かれる支線。時代や時間によって、シエラビスタラインと直通運転、すなわちシエラビスタ以西も各駅停車で運行される事があった。
 利用客は多い路線であったが、路上駐車の多い狭い道路を走行するため接触事故が多かったらしい。1940年代には路上駐車帯をめぐってアルハンブラ市とパシフィック電鉄は論争を起こしている。論争は喧嘩別れに終わり、路線の多くが、1940年代に廃止になってしまった。

N6 南パサデナ線
 南パサデナ線は南パサデナとロサンゼルスを結ぶ路線であることからこの名前がついているのだが、実際にはパサデナショートラインより北側に位置する。1898年に1067ミリの路線として建設された。後に改軌されるが、併用軌道も多く、幹線輸送の機能をパサデナショートラインに奪われてしまっていたので徐々に廃止される運命を辿った。

N8 マウントロウ線
 パサデナの北には、マウント・ロウ(ウィルソン天文台のあるウィルソン山の北西にある山である)に向かう山岳路線があった。1日5本運行された列車はロサンゼルスからの直通列車で、パサデナから市内線に入り、その後山岳路線に入る。山岳路線は(マウント・ロウ線)は途中ルビオ渓谷までは標準軌の路線、インクライン(すなわち日本で言うケーブルカーである)を経て、エコー山からは狭軌の山上の登山鉄道があり、終点には会社直営の山小屋があった。当時は大気汚染がなく、山頂からの眺めが良かった事や、海岸以外の観光地も少なかったことなどがあり(ディズニーランドは1950年代の開業で、ハリウッドが観光地化したのはもっと後のことである)1910〜1920年代にはロサンゼルス随一の観光地として人気を集めたが、1930年代には不況の影響で観光客が減少。山小屋の火災や嵐による軌道破壊などの影響で1937年に路線廃止となる。

パサデナ市内線(赤色の線で記した路線)
 パサデナには市内線があった。ロサンゼルスの市内線はロサンゼルス電鉄の経営で1067ミリのものであったが、パサデナのそれはもともと複数の会社が馬車鉄道で始めたものを電化し、パシフィック電鉄が吸収したものであった。
 市内線の全盛期は1910年代で、大型でかつノンステップの「バトルシップ型(もしくは「ドラゴン」)」車両が大量に導入されていた。しかし、1920年代以降は需要も減少し、2軸単車、ワンマン運転対応の「バーニーカー」がそれに取って代わり、1941年には路線廃止となる。 



○北部地区 シエラビスタ駅発ロサンゼルス行時刻表
 1916年3月1日現在
            各:各駅停車 特:特急 無印:複々線区間は通過運転のインターアーバン電車
5時 25 各32 各52 54
6時 各2 6 各12 15 各22 28 31 各32 35 37 各42 52 各52 54 55 56
7時 各2 12 各12 15 16 各22 23 25 27 32 各32 35 36 各42 特44 52 各52 54 55 56 57
8時 各2 12 各12 15 16 各23 23 25 26 各32 35 36 37 42 各42 特44 各52 54 55 56 57
9時 各2 5 12 各12 15 16 各22 25 27 28 35 36 37 各38 42 特44 55 55 各56 57
10時 5 各11 12 15 28 30 各30 32 37 各40 45 各50 52
11時 0 各10 12 15 28 30 30 各30 32 37 45 各50 52
12時 0 各10 12 16 28 30 各30 32 37 45 50 50 各50 52
13時 0 各10 12 15 28 30 各30 32 37 45 各50 52
14時 0 各10 12 15 30 各30 32 37 44 45 各50 52
15時 0 各10 12 15 28 30 各30 32 32 32 37 45 47 49 各50 55
16時 2 5 各10 15 17 18 25 30 31 32 各32 35 37 40 各42 44 45 47 49 50 各52 55 59
17時 2 各2 5 各12 15 16 17 各22 25 25 28 30 32 各32 35 36 37 各42 45 47 49 各52 55 56
18時 0 0 2 各2 5 5 各12 15 16 17 18 各22 30 各33 36 36 38 各42 45 各53 54 57
19時 0 各2 3 各12 15 各24 27 27 30 32 33 各35 45 57 各57
20時 5 各15 25 27 各34 38 45 各54 57
21時 5 各15 25 27 27 各34 45 各54 57
22時 5 8 各15 25 27 各34 45 各54 57
23時 5 各15 22 25 27 33 各34 45 各54 57
0時 5 各34
↑シエラビスタ駅の場所と
↓周辺の様子と配線イメージ図(現在は道路)



○(参考)ロサンゼルスユニオンステーション列車時刻表
1956年3月現在
会社 発車時刻 列車番号 列車名 行先 寝台車 座席車 食堂車
SP 1:00 91 サンフランシスコ
SP 7:05 51 サン・オーキンデイライト サンフランシスコ
ATSF 7:45 72 サンディエガン サンディエゴ
SP 8:15 99 コースト・デイライト サンフランシスコ
ATSF 10:00 80 サンディエゴ
UP 10:30 10 シティ・オブ・セントルイス セントルイス
ATSF 12:30 74 サンディエガン サンディエゴ
ATSF 13:15 124-12 グランドキャニオン シカゴ
ATSF 13:30 22 エル・キャピタン シカゴ
SP 13:30 特別料金 4 ゴールデンステート シカゴ
ATSF 15:30 76 サンディエガン サンディエゴ
UP 16:30 104 シティ・オブ・ロサンゼルス シカゴ
ATSF 17:30 82 サンディエゴ
SP 18:05 57 オウル サクラメント
ATSF 19:00 特別料金 18 スーパーチーフ(全車寝台) シカゴ
SP 19:45 95 スターライト サンフランシスコ
SP 19:55 59 ウエスト・コースト サンフランシスコ
ATSF 20:00 78 サンディエガン サンディエゴ
SP 20:00 特別料金 2 サンセット・リミテッド ニューオリンズ
SP 20:10 40 インペリアル シカゴ
SP 21:00 6 アーゴノート ニューオリンズ
SP 21:00 75 ラーク(全車寝台) サンフランシスコ
ATSF 22:00 20 チーフ シカゴ
UP 22:00 108 チャレンジャー シカゴ
ATSF 23:20 70 サンディエゴ
ATSF 23:30 10 カンサス・シティ
ATSF:アキソン・トペカ・サンタフェ鉄道 UP:ユニオンパシフィック鉄道 SP:サザンパシフィック鉄道
特別料金:特別料金を必要とした列車(通常非常に豪華な列車) 軽:軽食堂車

<注意事項>
・全部毎日運行です
・多客期には、同時刻、同一列車の扱いで数分後に続行列車が運行される事があります(セクショントレイン・・・この時代なら最大4本程度)
・カンサスシティ、セントルイス行き−中西部の都市でシカゴ、東海岸方面への連絡列車があります。
・サンディエゴ行き−比較的短距離の列車です(逆に言うとそれ以外の列車は500キロ以上走る長距離列車)

・食堂車と軽食堂車の区別があいまいなので後で修正入れるかもしれません。
・資料が集まったら別ページで特集を組みます
↑西部地区路線図

○西部地区

<作成中>
概説−西部地区の路線はロサンゼルス西部の路線で、元々はロサンゼルス・パシフィック電鉄が軌間1067ミリで建設した路線がほとんどである。他のパシフィック電鉄の路線に比べると併用軌道が多く、現在地下鉄が走行しているような比較的人口の多い地区を通るにも関わらず、近代化は遅れた。
 併用軌道が多いために、西部地区で主だった幹線を見出す事は難しいが、あえて挙げるとすれば、ビーチラインと呼ばれた、ダウンタウンのヒルストリートを南に下った後、ヴィンヤード、サンタモニカ海岸へ至るヴェニスショートライン(W1〜W4)と、ヒルストリートを北上してハリウッドに向かうルートを挙げることができよう。ハリウッドに向かう路線は、完全な併用軌道で運行系統は複雑、また後に地下化した区間などがあり、把握は難しいが運行は全て普通列車(近辺のロサンゼルス・エレクトリックの路面電車路線よりは停留所は少なかったと思われる)である。これに対し、ヴェニスショートラインは併用軌道区間ノンストップの列車や特急列車の設定があり、列車種別の多様さは北部や南部の複々線区間に匹敵するものがある。
 西部地区への路線のメインターミナルはダウンタウンのヒルストリート沿いに存在したヒルストリートステーションである。1925年に地下線が開業すると、ヒルストリートステーションの脇にサブウェイターミナルという駅ビル付のターミナル駅が開設され、ハリウッド・グレンデール方面の列車は地下からの発着となった(夜間や休日は地上発着も残った)。また、車庫はヴィンヤードに大規模なものがあった他、数箇所に点在している。
 路線整備は早く、1896年に遡るが、1940年代以降段階的に廃止は進み、1955年に全線が廃止となっている。

W1 ヴェニスショートライン
 ロサンゼルスとヴェニス(1)、サンタモニカを最短距離、最短時間で結ぶ路線。ヒルストリート〜ヴィンヤード間は複線、併用軌道ながら急行運転を行い、ノンストップで走行した(W2〜W4も同様)。ヴィンヤードまでは別に各駅停車が設定され、ヴィンヤード以西に向かう列車は途中に設けられた通過線を利用して各駅停車を追い抜いた。アメリカの複線電車路線で頻雑に列車の追い抜きを行う珍しい事例である(あとは、シカゴのサウスショアー線の夕ラッシュのギャリー駅で見られる程度)。1902年に全通し、1908年に改軌、1950年廃止となった。
 ヴィンヤードまでの路線に関しては、鉄道王ハリマンによって地下鉄も計画された。複々線にする予定であったが、1907年恐慌で計画は頓挫。現在まで続く高速電車線が出来たかもしれないのに惜しい話である(もっとも、この話から察するに鉄道王ハリマンの億万長者で満鉄買収は余裕という話はハッタリではないかと思ってしまう いくら都市鉄道が高価といっても満鉄と10kmの地下鉄なら前者の方が安いだろう)。

ロサンゼルス・パシフィック時代(1909年ごろ)のベニス駅の写真
ベニスはいうなれば名古屋のイタリア村そのままの観光地で、ベネチアを模した運河を中心とした行楽施設があった


W2 レドンドビーチ・デルレイライン
 西海岸の砂浜を延々と走行する路線。

W3 サウテレ経由サンタモニカライン
W4 ウエストゲートライン

W5 サンタモニカエアライン
 この路線は、南部地区の路線を一部共有、途中から分岐し、ヴェニスショートラインのすぐ南側を走行する。全線単線。アモコジャンクション〜カルバージャンクション間は、旅客営業の行われた42年間(1911〜1953)のほとんどの時期、1日1往復しか旅客列車が走行しなかったことで有名。この路線は蒸気鉄道として1875年に開業、南部路線との分岐点のアモコジャンクションの隣は、長距離蒸気鉄道との積み替えターミナルで、貨物事業では大繁盛、現在でも貨物線として現存している。

W6 インゲルウッドライン
 もともとサンタフェ鉄道(ATSF)のサンタモニカ支線として作られた路線。サンタモニカエアラインと同じく、旅客列車は一日一往復で荷物車との混合列車だった。1930年代には旅客営業廃止。

W7 ハリウッド・ヴェニスライン
W8 サウスハリウッド・シャーマンライン
W9 サンフェルナンドヴァレーライン
 ロサンゼルスの東北部、サンフェルナンドヴァレーに向かう中距離路線。西部地区の路線にしては開業は遅く1910〜1912年の事。
 サンフェルナンドヴァレーの発展への寄与は並々ならぬものがあると思われるが、ハリウッドまでは完全な併用軌道、以北は専用軌道で、後に専用軌道は高速道路と一体化したかたちで高規格化されるが、使われた車両が近郊用の600系(5050系)だったので、その真価を生かす事が出来ないまま、1952年に廃止になってしまった。

W10 ゲレンデール・バーバンクライン
 ロサンゼルスからまっすぐ北上するライン。ハリウッドラインとは異なり、ヒルストリートステーションからの直通ができず、列車はサブウェイターミナルを発着していた(サブウェイターミナルができる前は、その上あたりに設けられていた混雑する併用軌道を走行していた)。末期にはPCC車が限定運用されていたことで有名。

W11 エコーパークアべニューライン

 ヒルストリートを北上し、西に転じた路線がサブウェイターミナルからの路線と合流する少し前で分岐する路線。サブウェイターミナルとの直通運転はできなかった。完全な路面電車路線で、ロサンゼルス電鉄の路線との違いは、標準軌であることと、パシフィック電鉄の路線に乗り入れていることぐらい。


<注釈>
(1)ヴェニスは、海岸部の地名であるが、その名前の由来は、不動産で富を蓄えたアボット・キニーという男が、この地にヴェニスに似せたアミューズメントパーク(ヴェニス オブ アメリカ)をつくり、周辺に運河を作った事による。今でも運河の一部は残っている。

更新略歴
2003年11月14日新設
      11月23日 西部地区路線図、時刻表を追加
2004年4月17日 写真追加、説明を加筆 
2005年4月30日 写真追加
2007年3月31日 背景デザイン変更の上移設(写真・記事も少しだけ加筆)

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