アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

シンガポール・マレーシア見聞録(2)
2011年1月3日

<2日目(2) クアラルンプール>
  夜行列車を降りた時点での2日目の予定は「マラッカ(下の地図ではムラカと表示)に行く」ということだけ。


大きな地図で見る
  直線距離で100キロほど、「地球の歩き方」によれば、市内のバスターミナルから高速バスで2時間ほどであるという事で、また途中にあるスレンバンという都市までマレー鉄道の近郊列車に乗り、そこからバスで行くという方法もある。どちらにせよ、それほど時間がかかるものでもないとその時は考え(あとでそう話は簡単でない事に気づくが・・・)、まずは市内を市内を物色することとする。
  この時の経路は全くの適当で、まず私は、クアラルンプールセントラル駅から1910年にできたクアラルンプール駅(旧中央駅)まで歩いていき、駅を見学、その後、クアラルンプールで一番マレーシアらしい市場といわれるチョーキット市場を見学し、中華街の周辺をうろうろした。まあ、経路については、(観光名所として著名なペドロナスツインタワーを無視したという点以外では)ネットで旅行記を掲載している普通の旅行者と同じようなものであるが交通に関心のある人間としては、都市交通の問題点が気になってくる。問題点は一目瞭然で、

(1)自動車優先の街路
  「アメリカの交通計画の教科書を使って整備した街路」という印象。自動車にとっては道幅は広くていいのであるが、歩きにくい。歩道はあるのであるが、「ここにあれば便利なのに!」という場所に横断歩道がなく、歩いて移動しようとすると結構迂回させられた。年中常夏なので「歩いても汗をかくだけ」という考えが前提にあるのかもしれないが。
(2)わかりにくい市内バスサービス
  ”RAPID KL”というバス会社が統合的に運行しているらしく、バス自体は悪くない(ワンステップバス主体)が、バス停に何も情報がない。そもそも、屋根があり、バスが停車するのでバス停だという事はわかるが、「ここはバス停である」という事を記述してある停留所が少なく、勿論時刻表もない(そもそも事業者側が始発、終発、1時間に何本程度バスを走らせるといった感じの大ざっぱなスケジュールしか持っていない印象もある)。後で調べてみると10年前に比べたら改善されているらしいが、これで自動車の快適性にどこまで対抗できるのか・・・と考えてしまう。
(3)ばらばらの都市内軽軌道システム
  クアラルンプールには地下鉄はないのであるが、中心部で一部地下に潜る軽軌道システムが3路線存在する。ただ、これ「軽軌道」と呼んだ事でわかるように、システムが「モノレール」「リニアモーター式ライトレール(大江戸線などと同じ)」「通常駆動式高架ライトレール」とばらばら・・・。車両メーカがそれぞれ「アルヴェーグ(建設は日立)」「ボンバルディア」「アドトランツ」だそうだから、先進国の「わが社のトータルシステムを導入する事が素晴らしい」という宣伝文句にのせられて互換性のないシステムを整備してしまった・・・という感じが。

  というような事が、小一時間歩いた時点で明らかになってくる。同時に考え始めたのは、この問題に「先進国」日本が貢献できる事は非常に少ないのでは・・・という危機感であったが、それは旅行そのものからは外れるので、補論に記述したい(※1)。
クアラルンプール(=「泥が合流する場所」)の語源ともなったクラン川
語源からして川の色は昔からこんな感じだったらしいが、問題は無数に広がる道路網・・・
(一番上はリニアモーター駆動のライトレールだが)

クアラルンプール駅
風情あるたたずまい・・・は良いのだが、ここも車だらけで写真がとりにくい


大きな地図で見る
駅周辺の航空写真 道路だらけ・・・

交通問題への切り札は都市公共交通
この高架ライトレールはそこそこ頼もしくみえるが・・・

市内には、上記のライトレールの他リニアモーターのライトレールとモノレールがあり
整合性という面では何だか・・・という印象を受ける

輸送力過小の印象を受けるモノレール
何故だかリニアモーターカーの写真は残っていない(リンク)が、ICE3を思わせるボンバルディア製の
リニアモーター駆動の電車も高価なせいか2両編成で走行していた(現在4両化が進んでいるというが)

チョーキット市場の入口(通り向こうの右側)
バスや自動車、歩道の舗装は日本と同等水準であるが、車道の凹みや黒ずんだ建物が途上国を感じさせる
途上国と先進国の中間に位置するマレーシアならではの光景といった感じ
かすんで見えるのはペトロナスタワー

何だか近未来的な感じのする中華街
その時は豊かな中華系住民に限れば先進国水準の富の蓄積があるからそうなるのかなあ?と
考えていたが、今見ると建物自体は結構ぼろい感じもする
  さて、観光もこれぐらいという事で、次の目的地であるマラッカに向かう事にしたが、ここからが大変であった。
  当初の予定では「直通高速バス」か「近郊列車でスレンバン乗り換え」の予定であったが、駅に戻るのも長距離バスターミナルに戻るのも面倒になった私は、中華街近くにある近距離バスターミナルからスレンバン行きのバスがあるという情報を聞きつけ、(スレンバンで乗り換えればいいや・・・ということで)そこでバスを待つ・・・。しかし、係員にわざわざ教えてもらった場所でバスを待っていたにも関わらず、掲示板には「15分おき」とあるバスは30分待ってもやってこない。
  待っている間に考えが変わってきた私は、マラッカ行きの直通高速バスに乗ろうと、「地球の歩き方」に長距離バスの発着拠点とあるプドラヤバスターミナル(外部リンク)に向かうが、そこはもぬけのから(切符売り場があるはずのフロアーは立体駐車場のようにがらんとしていた・・・)。しばし呆然としたが、「バスターミナル移転」という小さな張り紙を発見。そこには暫定バスターミナルに向かう臨時バスが近所から出ているという記述もある。確かに近くの通りを見るとそれらしいバスが止まっているのが見える。「本当に大丈夫かな」と一抹の不安を抱えながら、私はそのバスに乗り込んだ(バスターミナルまでは2リンギット[約60円])。
仮バスターミナルの様子
  シャトルバス普通の路線バス然としたもの(ワンステップ車両であったが)は高速に入り、猛然と郊外に向け走り出す。
  バスターミナルの暫定所在地など知るわけもない私は「おいおい、どこまで行くんだ」と思ったが、20分ほどして、バスは運動場の駐車場みたいなところに入り、ドアを開ける。確かに色とりどりのバスが停車しており、スーツケースを持った旅行者もいるので、バスターミナルである事は確からしいが、施設としては仮設テントがいくつか並んでいるだけである。炎天下なのに・・・。
  しかも、バス運転手は下車する人に行き先を聞き、やってくる現地係員に引き渡していく。親切といえば聞こえが良いが、現地係員といってもどこかのバス会社の「客引き」ではないのか(私にバス会社を選ぶ権利はないのかー!)・・・と疑心暗鬼にとらわれる。とはいえ、「自分でバスを選ぶ!」と突っぱねる乗客も皆無なので、私も黙ってそれに従う事にする。案の定、運転手から伝言を受けた係員は、「どのバス会社を利用されます」なんて尋ねることもなく、右も左もわからない私を仮設テントの中の一角に連れて行き、「はい、じゃあ13リンギット(日本円で350円くらい)ね」と切符を売りつける。そう、物価が3分の1といわれるマレーシアでも競争の激しい高速バスの運賃は安く、日本で最近増加している「格安ツアーバス」の3分の1くらいの水準でしかない。京都市バスのバス乗り継ぎ運賃ほどの値段のバスチケットを前に、会社間比較とかを考える気力を失った私は乗り場を探した。
  乗り場は・・・はっきり言って全くわからなかった・・・。移転して2週間ほどとの事で、何だか係員も混乱している雰囲気(絶えず無線で何やら交信していた)。チケットに書いてある文字は判読不明、数字を申し渡されたが、その番号と関係のある表記があるバスを探そうとしばらくうろうろしたあと、それがバスが止まっている駐車場のあちこちにある仮設テント(出発待合室?)の番号である事を理解し、そこにいる係員にバスに誘導してもらう。行き先はともかく、本当に切符表示の会社とバスは一致しているのか・・・と不安だったが、車掌らしき人物は色とりどりの切符(理由は不明、売り場が違うだけなのか、「混乱気味だしまあいいや」という感じで別会社の乗客ものせているのか・・・)を回収していく。
  乗車券を回収してもバスはしばらく動かない、確かバスターミナルに到着したのが12時50分ごろ、バスに乗り込んだのが13時15分ごろ、でバスは、13時45分という中途半端な時間に動き始めた(13時45分発というのは絶対あり得ないはず・・・)。
  バスターミナルを出たバスは、郊外(これがとてつもなくスプロール化が進んでいるという点で気になるところでもあるのだが)を出たあとはひたすらジャングルを走る。高速を走行したのは1時間ほどで、後は一般道路を走り、集落の中心地で人を降ろしながらバスはマラッカに向かう。

 
高速の料金ゲート
青い看板はICカード(SUICAのようなカードをかざす)ゲート、黄色い看板「SMART TAG」は
日本で言うETCのゲート。この時は気付かなかったが、ICカードはクアラルンプールの鉄道路線
やバスとも共通で、買い物にも使える。さらに「SMART TAG」も別個のシステムというわけ
ではなく、このICカードを3000円ほどの専用装置に接続して利用するものだとか・・・。日本より
遥かに便利ではないか・・・(よく故障するらしいが)。

郊外の風景
新都心近辺とはいえ、はるか彼方まで広がる郊外住宅地は・・・

さすがに永遠に郊外というわけではなく、しばらくするとジャングルが広がる

  バスがマラッカのバスターミナルに到着したのは16時、バスターミナルは郊外でここから市内行きのバスに乗り換える必要があるのであるが、市内へ行くという17番のバスが見当たらない。待っていたらいずれやってくるのであろうが、そのまま待つのも退屈なので、ターミナルに隣接して建っていた「ジャスコ」を見物する事にした。
 
バスの車内で目撃した「ジャスコの看板
”DIBUKA”は「開店」を意味するマレー語らしいので、2010年2月5日オープンということか

マラッカのバスターミナルの全景
通路に隠れたあたりが長距離バスの発着スペース

バスターミナルの2ブロック先にあるジャスコ



店内の様子

途中の道路の様子

ジャスコ訪問のあと乗り込んだダウンタウン行きのバスの車内から
私の乗り込んだバスも同じような感じ、ドアはあけっぱなしだったが、
冷房がないので丁度よいサービスだと思った
  ジャスコはバスターミナルの徒歩圏内にあったが、それは好奇心の強い旅行者だからということであって、一般客は日よけもない炎天下をバス停から500メートルも歩いたりしない。客の来訪手段は完全に自動車で、公式のプレスリリースによれば2200台分の駐車場が用意されているという。道すがら通った道路も車だらけ。自動車は決して安くはなく、関税の影響で一番安い国産車の新車で日本円で170万円ほどするそうであるが、これを年収100万程度の人が長期ローンで買ってしまうということなのであろう。金がない人はバイクに乗るというが、郊外ではそういった人はあまり見かけず、自動車分担率は日本の地方都市より若干低い七割程度になっているのでは、という感じがした。
  ジャスコの中はというと・・・全く日本と同じ作りなので、違いを説明するのは難しい。勿論、食材は現地のもので、コメは無数のブランドがあったが、すべて細長のインディカ米であった。あと、食品売り場はマレー人を意識しており、豚肉とアルコールがレンタルビデオ店の成人向け作品のように完全分離されていた(ただし、売る気がないわけでもなく、隔離された専用コーナーに特売の酒が置いてあったりする)のも大きな相違である。他のスーパーではそれほど厳格に分離されていないのでやややりすぎでは、と思ったりもしたが、地域の住民構成に応じてアレンジしているようである。化粧品は日本製(ここに限らず日本からの輸入化粧品が多い)で、日焼け止めは日本よりも高い値段で売られていた・・・。
  しばしの見学を終えてバスターミナルに行くと、待望の17番のバスが止まっている。さっそく乗り込むが・・・暑い・・・。冷房の効いていない車内はサウナのようで、どっと汗が噴き出る。街路にあふれる自動車と併せて考えて、あまりやってこない(例によって時刻表はないが30分〜1時間おき?)暑苦しいバスを積極的に利用しようという市民がどれだけいるのか?と考え込んでしまう。完全に自動車社会と化している郊外の様子を見て、果たして目的地はどのようになっているのか、と例によって不安に駆られたが、旧市街に入ると道幅は急にせまくなり、街並みにも風情が現れた。ここが2日滞在した「世界遺産の街、マラッカ」である。

ホテル近辺 東アジアとヨーロッパが混在したマラッカ旧市街の様子
  マラッカの紹介については2月以降になる予定。実は1月中にもう一度マラッカに行くので、写真の不足分とかはその際に補っておこうかと考えている。

<続編予定>
2日目クアラルンプール⇒マラッカ
3日目マラッカ
4日目マラッカ⇒シンガポール
5日目シンガポール
6日目シンガポール⇒日本

補足1(2011年2月2日加筆)>
  だからと言って、マレーシアの陸上交通政策が日本より劣っているかというとそうでもなく、たとえば、日本にはない「都市間バス」に関する免許制度が存在する。そのため、数社が競争しているといっても、バスターミナルは統一されており、ターミナルの喧騒になれれば乗り場が分からずに混乱する日本のツアーバスよりは使いやすい(日本の路線バス規制は、地域住民の足の確保という観点から、運行の休廃止を原則半年前に届ける必要性があり、その際に自治体からの意見の聴集も必要で、都市間バスの運行にはそぐわない。この点は国土交通省もわかっているので、貸切バス扱いで実質路線運行を行うツアーバスを黙認しているのだが、そのおかげでこれらのバスは停留所の設置もできないし、利用客にとっても「このバス本当に乗って大丈夫なんだろうか」と思わせるものになってしまっている。)
  公共交通の利便性に関しても、突き詰めると、「昔から都市鉄道網があったか否かの差」という事になってしまい。既存の施設を有効に生かした施策の優位性はバスの時刻表以外にはそれほどない。ICカードは特に日本に優位性があるとも言えないし、ペナン島では市内中心部では「15分おきに無料バス運行」という日本でも例のない(ショッピングモール連絡とかでたまに見られるが)大胆な施策を行っている。
  旅行中に気にしていたのは「これが、『マレーシアも結構がんばっているんだね!』という話で済まない!」という点。新幹線と共に、都市鉄道技術の海外進出も日本では企図しているが、こんな調子で、輸出できる技術、特に運営ノウハウ関連のソフトウェア的技術があんまりないというのは今後いろいろ問題になりそうな気がした。

「アメリカ旅客鉄道史+α」トップへ

「作者のアメリカ鉄道雑談」表紙へ


質問・コメントは 掲示板メール でどうぞ


2011年1月3日作成