アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○彭亨汽車紀行
パハン州中部の華人系バス事業者”Pahang Lin Siong”のバス
創業75年、マレー半島中部の国立公園へ向かう路線を持っているせいか、写真が多い
かつては高原避暑地フレイザーヒルへ行く路線も存在した

●いきさつ
  マラヤンタイガートレインの翌日の予定は「未定」であった。
  もう少し正確にいうと、最終目的地はクアラルンプールなので、そこまで「出来るだけ鉄道を使わずに辿りつく」が目標である。
  マレーシア滞在日数はこの時点で24日であったが、結局のところ、そのほとんどは「バスの情報収集」。ネットで時刻を掲示しないどころか、バス停の位置さえ分からないのがマレーシアのバスであるが、このころになると、おぼろげに情報が見えてくるようになった。情報をまとめると、こんなところである。

<マレーシアのバスの基本情報>
・人口数万人の街と街を結んで無数に急行バス(高速バス)路線が存在
・街と隣町の間にはローカルバスが存在
・時刻表はある、が運転手も乗客もあまり気にしていない様子
・バスはバスターミナルから発着

  これまでの知識を総合するに、とにかくバスターミナルに行ってバスに乗れば隣町に行くことは可能。鉄道ばかり乗っていても面白くないので、バスを乗り継いでクアラルンプールへ行こう、とたくらんだわけである。

行動図 緑:鉄道 紫:都市間急行バス 青:ローカルバス
1日目 グアムサン⇒クアラリピス⇒ラウブ⇒ベントン⇒(急行バス)⇒テメロー
2日目 テメロー⇒(ローカルバス)⇒ベントン⇒クアラルンプール

●グアムサンでの失敗
  グアムサン(漢字名:活望生)を降りた私は駅前を見まわした。マレーシアの田舎駅というと、以前マラッカの最寄駅のタンピンという所に降りた事があるのだが、その時は、ぼろいタクシーが1台停まっているだけ、運転手の言い値はマラッカまで70リンギット(2000〜2100円くらいか)、値切ろうとしたが上手く行かず、結局その値段で乗らざるを得なかったという苦い思い出がある(たいがい少しまけてくれるのだが・・・親を連れていて、「最近ガソリンが高くて」と押し切られてしまった、まあ確かに、マレーシアはガソリンの補助金が廃止になってタクシーの経営も大変なのだが)。
  この日のグアムサンでは事態はより深刻で、1台のタクシーも停まっていなかった・・・。動揺を隠しながらあたりを見回すと、そこに停まっていたピックアップトラックの運転手が私に声をかけてくる。「白タク」である。バスターミナルを利用したいというと「10リンギット(その時のレートで250円)」といわれる。「高い」と思ったが、といって、5リンギットでは安い、7とか8とかケチくさい金額を提示するのもと思い、そのピックアップトラックに荷物を積んで、私はバスターミナルに向かった。
  歩いてはいけない距離なのだが、一応道は整備されているマレーシアの田舎町、あっという間にバスターミナルへ到着。それはいいのだが、バスがない。バスターミナルにはちゃんと係員がいるのだが、発着するバスは急行バスが3本と、2〜3時間に1本のローカルバスのみ(タイ国境近くの街、コタバルまで乗り継ぎで行ける)。実は、グアムアサンという場所は有名な高原リゾート、キャメロンハイランドの裏手に位置し、もしかしたらキャメロンハイランド行きのバスとか、乗合タクシーのようなサービスもあるかな、と思ったのだが、残念ながらそういったものもないようだし、私の都合のよい時間にもう1本あるという前情報だった急行バスの情報もなし・・。係員に何か他に方法はないか?と聞くと「列車」という答えが返ってきたので、やってきたタクシーに乗り込んで戻る事にした。この街にも一応タクシーはあって運賃は同じく10リンギットであった。どうも高い・・・。
  列車で朝一に通りかかった「クアラ・リピス」に戻る事にする。やってきた列車は「急行」との事であったが、実際は3両編成で、良く分からない植物を山とデッキに積み込んでいる。確かに停車駅は少ないのだが、明らかにローカル列車の風情である。
  行きと同じ風景なので、眠くなってうとうとしていると、クアラ・リピスに着くというアナウンスがあった。ここから仕切りなおしてバスの旅の続きである。

グアムサンのバスターミナルにて
市内の写真でも撮っておけば良かったのだが、1枚も残っていない
ローカルバスは閑散時間帯の便を間引いているようだ
これは国内最大手、コンソーシアム・トランスナショナルのバスの時刻のみなので、別に
ローカルバスの便があるのかもしれない。

のどかなグアムサン駅
向かいに立ちはだかる奇岩に興味を引かれたが、結局観光はしなかった

デッキに積み込まれた謎の植物

●バスターミナルの所在
  クアラリピス(マレー語で「リピス河口」の意味、漢字名瓜拉立卑)の駅前はちょっと古風。マレーシア風の建築物なのだが、その古びた様子は、なんだか日本の昭和の商店街風や西部劇の街を思わせる。
  バスターミナルに行きたいのであるが、しばらく私は道に迷う。基本的に私は街で道を尋ねない。幼少のとき人見知りだった名残に加え、道を聞いても正確な返事が返ってこない事が多いからである。地図を発見して、バスターミナルと記された場所に行くが、タクシーが停まっているばかりでバスはなし。さすがに諦めて雑貨屋で場所を聞くと、移転したとの返事。停まっているタクシーに乗り、バスターミナルに向かう事にする。運賃は5リンギ(130円くらい)、安い・・・。
  タクシーの運転手は丁寧に、バスの切符売り場に私を連れていく。本当はあたりを物色してから切符を買おうかと思ったのであるが、即決で切符を買わされる羽目に・・・、クアラルンプール行きのバスは途中ラウブ(勞勿)という街によるという事が分かったので、そこまでの切符を買う。運賃は5リンギ・・・近所の街といっても、その距離は60キロである。マレーシアの物価は日本の3分の1と良く言われるが、バスの運賃は3分の1といっても日本の格安ツアーバスの3分の1の賃率である。この賃率は法律で規制されているもので、産油国であることと燃料に対する莫大な補助金(ガソリンを含めて総額4000億円とか)により維持されている。マレーシアより貧しい国では人件費は安くとも燃料にこれだけの補助金を出すことはできない事を考えると、マレーシアの都市間バス運賃は世界最安水準だろう。バス会社はPhahang Lin Siong社、Lin Siongという漢字のアルファベット表記っぽい社名と、「立卑−勞勿−吉隆坡」という漢字の行き先表記が華人系企業である事をうかがわせた。
  先ほどの風情ある駅前商店街には、賑わっているチキンライスの店があった。「これは隠れた銘店かも」と思った私は、テイクアウト(「マカン?(マレー語で食べるの意味、この時はマレー語は分からなかったが、雰囲気で判断)」と聞かれたので、No!というとテイクアウトにしてくれた)でチキンライスを買っておいた。それを食べながら出発を待った。

●文打
  定刻13時にバスは出発、このあたりには高速道路はなく、都市間急行バスといってもバスは一般道路を走るのであるが、マレーシアの一般道路の最高速度は90km/h。おまけに、信号もない(ラオスでもそうなのであるが、金がなくて信号をやみくもに作れない事が平均速度の向上に貢献してしまっている)。道幅も広く、暫定二車線の日本の高速道路と比べ遜色はない。バスは丘陵地帯を走って行く。 ノンストップでラウブまで直行かと思いきや、バスは途中で集落の中に入って行く。小さな村であるが、きちんとバスターミナルがあり、ローカルバスが止まっている。後から調べるとベンタ(文打)という村で、ここから国立公園に向かうバスも出ているとのこと。
  幹線道路に戻り、もうしばらく走ると、少し山が迫っているが、賑やかな市街地に入る。目的地のラウブである。市街地のバス停ではローカルバスを待つ乗客が多く、私の乗るバスに乗ろうと合図を出すが、運転手は急行バスであるという事で手を振って断る。ラウブにはローカルバスのターミナルと急行バスのターミナルがあり、バスはローカルバスのターミナルに寄った後、急行バスのターミナルで客扱いを行った。私はここで下車をする。

●勞勿 
  どこに行くか考えていなかった私であるが、マレーシアの3大携帯会社のうちの一つ、DIGI社の3Gモデム(E-mobileの携帯通信と同じようなもの)を用意してあり、どこでもネットで情報検索を可能にしていた。流石に万能には程遠く、グアムサンでは超低速だったが、ラウブではある程度の速度が出た。これであれこれ検索していると、同じくパハン州にあるテメロー(淡馬魯)という街が目に停まった。クアラルンプールからパハン州の州都で東海岸にある中都市クアンタンに行く途中にあり、バス便も多い。ラウブから直行する事も可能であるが、クアラルンプールに向かう峠の手前のベントン(文冬)という街で乗り換えるのが便数的にも良い選択肢らしい。ラウブからベントンへは急行バスを利用する事も可能であるが、ローカルバスも出ている。私はローカルバスターミナルに向かった。
  ローカルバスターミナルに向かう道の途中には町役場があった。何か地元のパンフでもないかと思って聞いてみるが、どうも私の”brochure”の発音が悪いのと、町役場にはパンフの類が置いてある、という日本的概念がこちらの人間には内容で、意思疎通がうまくできない。面倒臭くなり、メモ帳に漢字で「冊子」と書いて見せたら一発で意思疎通に成功、しかし、ここにはパンフの類はなく、警察署にあるといわれる。警察は遠いので、資料収集は諦めてバスターミナルに向かう。
  ローカルバスターミナルといっても、急行バスターミナルと大きな差はない。あえて述べるとするなら、急行バスターミナルだと、バス会社の客引きに声をかけられて煩わしい(ジョホールのラーキンバスターミナルが悪名高い、一方で、ラオスやベトナムの客引きに比べると本気感が薄く、マニュアルではないにせよ、習慣で声をかけているのでは、という気もしないでもない)が、それがないところか。大きな駐車場にバスが何台か停まっていて出発を待っている。隅っこはタクシー乗り場であるが、ここに近づくと流石に声をかけられるので、遠目に観察する(どこに行くの、と声はかけられたので、「バスでクアラルンプールへ」、と答えた記憶が・・・)。
  しばらくバスを観察していたが、中々面白い。一つには、通学時間帯で、学生が次々にバスに乗り込む事。マレーシアにはアメリカと同じようにスクールバスの制度があるのであるが、通勤通学に路線バスを利用するパターンが結構見られるようでもある。バスに乗り込む学生は日本で言う中学生位で、日本であれば、異邦人となれば、避けるかちょっかいを出すかのどちらかになるのであるが、ここでは、近所の人を見るような普通の反応。見かけが華人と変わらないというのもあるが、他民族国家という国の特徴もかかわっているのかもしれない。
 バス自体のシステムも興味深い。マレーシアの通例として路線バスの発着を示す表記、時刻表の類はなかったが、利用者は当たり前のようにバスに乗っている(但し、どう考えてもこの不親切さはマレーシアのバス離れの原因になっていると思うが)。案内窓口があり、便数の少ないバス路線については手書きの時刻表が存在した。バス会社は、Lin Siong社の他、クアラルンプールとの間に路線を持つ、Pahang South Union、全国に急行バス路線網を持つMara Liner社の3社が乗り入れている模様である。Lin Siong とMara Liner社は、元急行バスようと思われるハイデッカー車をローカル用に転用していた。日本でも稀に見られるが、もしかしたら、こちらでは普通に行われているのかもしれない。


クアラリピスの駅前商店街の様子

結構にぎわっている様子だが、実際のところは?
郊外型店舗、というより、日本でも話題になっている某チェーンスーパーの進出により、地元商店街
が衰退するという日本で起こっているそのままの問題が、マレーシア各地で起こっている


ローカルバスの様子
後から見ると、これに乗っておけば良かった、との後悔の念が
ローカルバスにはとてつもなくボロイものが混じっている事が多いが
このバス会社のものは質実剛健といった感じで、好感が持てる
クアラリピス〜ラウブ間は30分おきの運行との事だが、近年の燃油高で少し運行間隔は伸びているかもしれない

文打バスターミナル
田舎なのだがバスターミナルは結構大きい
京都の山奥にある周山バスターミナルのようなものか?

走行風景
一般道路なのだが、制限速度90km/hで信号もないので高速運行が可能

ラウブの急行バスターミナル
背後に各社の発券窓口があり、時刻表も掲示されている

ラウブのローカルバスターミナル
こちらは時刻表もないのでバスが並んでなければただの駐車場

  ●ドリアン版桃源郷
  15時30分発のパハン中央バスのクアラルンプール行きローカルバスはたくさんの学生を乗せ、ラウブのバスターミナルを離れた。
  先ほどと同じような幹線道路を走って、次の街であるベントンに向かうのかと思いきや、途中でバスは右折、谷あいの道に入って行く。その様子は下の写真に示したとおりだが、以前こんなバス路線乗った事なかったか?とてつもない既視感を感じながらしばらくゆられていると、集落に到着する。北摂のどこかにありがちな光景だが、勿論ここはマレーシア、しかし、田舎だというのに住民は中華系で、集落の建物は中国風で、中華系の学生がぞろぞろ降りていく(マレー系の学生はあまり乗っていなかったような気がする)。桃源郷といった言葉が似つかわしいが、実際にはドリアンの産地らしく、集落には巨大なドリアンの像が立っていたりもした。
  さて、学生が降りて空いた(といっても、日本に比べればローカルバスの需要は多く、本数も毎時1本と多いので、数人の乗客はいた)ので、前方の座席に居を移すと、田舎のバスにありがちなのだが、インド系の運転手が話しかけてくる。運転手曰く「運転手:なんでこんなところでバスに乗っているの?」日本でも回答に窮す質問であるが、イージーな当地の英語でごまかして答えるのは難しく、「いやー、バスでぶらぶらしたくて」と答える。運転手は親しげに、「この山には虎がいるんだ」と話す。実際、虎狩りのハンターが車がエンコしたとかで、仲間のところまで移動するのにバスに乗り込んだりしていた。バスはヘアピンカーブを下って行くが、ヘアピンが―部のほうは延々と続くものの、それほどきついものではなく、やはり以前に載った日生中央〜民田間の山道を思い出す。
  しばらくすると、平地の道路に戻りバスは右折、ここからは幹線道路をひた走り、ベントンへ。

●テメローへ
  ベントンから先は流石にちょっと疲れてきたので、ターミナルに停車していて、すぐ出発という感じだった、テメロー行きのトランスナショナル社の急行バスにそのまま乗車。普通は切符売り場で切符を買うものであるが、10リンギでのせてもらえた。トランスナショナル社はマレーシア最大の都市間急行バス会社で、元国有、初心者お勧めのバス会社として有名であるが、私が乗るのは初めてである。
  ベントン〜テメローは、クアラルンプールからクアンタンを結ぶ高速道路の途上にあり、バスは整備された道路を延々と走って行った。運転手は、さっきの陽気なインド人とは変わって、映画「ハムナプトラ」の悪役(アーノルド・ヴォスルー)を思わせる容貌の寡黙なマレー人(マレー人には欧米人顔の人が結構混ざっている)。ただ、この運転手、バス運転手としての仲間意識のようなものを強く持っているらしく、自社他社関係なく、すれ違う全てのバスの運転手にも手を振る。中央分離帯付きの高速道路で、相手の顔を視認するのも結構大変なのに・・・。マレーシアバス運転手組合(実際そういう組合はあり、政府に運賃引き上げや燃料補助金の増額を要求したりしている)の幹部だったりするのだろうか、とか思いながら時間を過ごす。

片側崖、片側沢の山道をどんどん登って行く

山里のバス停

ベントン〜テメロー間の高速

●テメローの旅社
  さて、今日の移動はこれで終わり、最後にここでちょっとした冒険を試みることになっている。「宿さがし」である。ここまでで海外渡航12回目の私であるが、実は、全ての宿を事前予約で手配している。ただ、流石にそれにも飽きてきたので、外れの宿を引く事も覚悟で宿さがしをすることにしたのである。
  結果は、外れだった。宿が見つからず、面倒臭くなった私は、「エアコン完備」と中国語で書かれた宿を見て、これでいいやと決めてしまったのである(部屋も一応見て決めた)が、まあ、部屋はお世辞にも清潔とは言い難かった。一応シーツは好感されているようであったが、その上にのっている薄い掛け布団がいつ洗ったのか分からないような代物で、素手で触れるのは憚られた。
  浴室はバスタブもついていたが、そもそもお湯が出ないので意味がない。水アカで茶色になっていて排水溝は灰皿代わり・・・このバスタブも素手/素肌で触れるのはちょっと・・・。バスタブに触れないようにしながら私はシャワーを浴びたが、シャワーヘッドはなかった。宿代は1泊45リンギット、広さから考えるとその程度であろうが、もう少し値切っても良かったかもしれない。
  夕食は、その近くのレストランで頂く。鉄板に載った野菜炒めと豆腐スープという、「もしかしたら日本料理風アレンジ?」という感じの何だかよくわからない料理を食べた。ビールが欲しくなったが、このレストランにはなく、町中のコンビニでも売っていない。スーパーにはあったが買いそびれてしまい、途方に暮れていたら、ホテルの近所の中華料理店には普通に置いてあった。インド人のウェイトレス(中華料理店にインド人、という組み合わせがマレーシアでは非常に多い)にビールを頼む。


テメローの街並み

ホテルの外観
見た目の雰囲気は良かったのであるが

十二国記に出てくる「庶民の宿」ってこんな感じなんだろうなあ、と思う
シーツは清潔であったが、上に置いてあるかけ布団はいつ洗ったものか不明・・・
床もいつ掃除したのやら・・・

夕食 国籍不明だが美味しくいただけた

ラマダン期という事もあり、空地では夜市が開かれていた

●テメローからベントンへ
  宿の寝心地は・・・エアコンは爆音を発し、止めると暑い、床を裸足で歩いていたら足がかゆくなり、全身痒くなる・・・なんてところを想像していてぐっすり眠れるわけもない。眠るには眠ったが、寝苦しさに苦しんでいるうちに朝になっていた、という感じである。
  宿は早々に引き払って、バスに乗り込む、行き先は昨日通過したベントン。但し、急行バスでは面白くないので、ローカルバスに乗り込む事にした。Pahang South Unionという会社がローカルバスを運行しているらしい、という情報は、昨日発見したローカルバスターミナルの時刻表で把握していた。
  朝一、といってももう時間は8時近かったが周囲は靄かかっていてバスターミナルの雰囲気は良い。発着するバスの本数に比べてバスターミナルは広かった。急行バスのターミナルの移転があったせいだが、ローカルバスの衰退があったのかもしれない。
  バスは椅子がFRPだった。こんなのはあまり体験しないので最初は面白いのだが、ベントン〜テメロー間は77kmある。マレーシアの一般道路の最高速度は90km/hであるから、一般道経由のローカルバスでも2時間くらいで行ってしまう(昨日の急行バスは丁度1時間)。とはいえ、2時間堅い椅子に座り続けはややしんどい。
  この日のバスは特に山道にも入らず、ひたすら国道を突っ走って行った。1時間に1本程度なのに、バス停で律儀に客が待っている事や、途中メンタカブの街で、あまり見かけない木造の古風な建築物に出会ったのが収穫といったところか。そのメンタカブと、カラックという街が比較的大きな街であり、会社によっては都市間バスの発着や有人窓口の設置も行っているようであった。

●べントン〜クアラルンプール
  午前10時にバスはベントンのバスターミナルに到着した。10時発のクアラルンプール行きが待機しているかと思ったが見当たらない。ここでしばらく乗りかえ待ちをする事になったが、めぼしいローカルバスの発着もなく1時間が過ぎる。
  クアラルンプール行きは昨日ラウブから乗り込んだバスを同じ会社(パハン中央バス)で、こちらはクッションのついた座席である。
  ローカルバスで会ったが、しばらく走るとバスは昨日も利用した高速道路に入る。この手の道路には「旧道」という非常に面白い下道がついている事が多いのであるが、旧道経由だと時間がかかりするのか、高速を作った時に旧道を排してしまったのか、バスは幅広の道を峠に向かって進んでいく。パハン州と首都クアラルンプールの間には海抜1500メートルほどの山脈が広がっている。鉄道で越えるのは勿論困難で、マレー鉄道には首都から東海岸で直行する路線はなく、かなり南部を迂回する構成となっている。高速は最鞍部、海抜800メートル程度のところをトンネルで通過する。この峠の開削は1930年代、大量輸送に耐えられる道路改良が進んだのは1960年代でマレーシア交通史上かなり重要な出来事となっている。
  山中にはリゾートマンションの他、低地の集落をそのまま持ち込んだような街もあり、結構な乗降がある。一見普通の街だが、トレッキングの拠点だったり、庶民の1泊2日観光の入り口だったりするのだろうか?暇なときに調べてみたいものである。峠からは、植民地時代に開発された高原リゾート「キャメロンハイランド」を参考に近年開発が行われた高原リゾート「ゲッティンハイランド」に向かう道が分岐していて、クアラルンプールや先ほどのベントンの街からもバス便がある。
  峠を出ると、後は一直線に山を降り、クアラルンプール市街へ。ライトレールのティティワングサ駅の近くのPekelilingターミナルにバスが到着したのはベントンを出て丁度1時間ほど後の事であった。バスの客引きがしつこいのがマレーシアの都会らしい。
 

Pahang South Unionの時刻表

靄がかった街並み

閑散としたバスターミナル
バス減便で悪名高いシティライナー社のバスが何台か停まっていた

沿道にて、趣のある木造の建物

ベントンの市街地の様子

ベントンのバスターミナル

高速道路は峠を越えてクアラルンプールに向かうため、どんどん山中に入って行く

保養客を当て込んだと思われる高原リゾート

普通の集落もあり、こんな感じ
こういうところで滞在してみたいものだが
●エピローグ
  クアラルンプール到着は帰国日の前日。翌日の飛行機は8時20分出発だからそう長居はできないが・・・前日の反動でいつになく豪華な宿を取ってしまった。
  ひとまずバスで乗りつぶし・・・という日本的な趣味活動を当地でも実践する事が出来る事が判明したので、次回(4月12日出発予定)移行はもう少し発展版を考えてみる事にする。

この日泊ったホテル



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2013年4月6日作成