アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○アメリカにおける1960年代の夜行列車衰退
2008/1/13
  2008年最初の本HPのメインテーマは夜行列車。
  JRの夜行列車廃止に際してアメリカの夜行列車の衰退史について少々触れておこうと言う目論見である。

  アメリカの夜行列車に関しては、アムトラックの優雅な長距離列車の旅が紹介され、そのために「アメリカの夜行列車は(日本に比べて)保護されている」もしくは、「一時期衰退したが、復興した」という論調が主流になっているのであるが、これは誤解である。新車が導入され、ワシントン〜ニューヨーク〜ボストン間の高速化が行われたのは確かで、この区間に関しては「アメリカ鉄道の復興」というのは間違えないのであるが、全体的には黄金時代の繁栄に及ぶものではない。

 それを象徴する一つの数字が寝台車の両数。
アメリカにおける寝台車両数の変遷
年代 両数 写真(おまけ)
1870 400
1880 1300
1890 2100
1900 3500
1910 4500
1920 7500
1930 8500
1940 6400
1950 6100
1960 2600
1970 800
現在 160〜190
  現存するアメリカの寝台車は、総二階建ての「スーパーライナー」が約110両、平屋建ての「ビューライナー」が約50両、そして、個人保有でアムトラックの車籍を有す1920年代〜1950年代の稼動状態の寝台車が20〜30両はあるので、それらを合計すると190両ほどであろうか。大陸横断鉄道開業した1869年ごろの数字に比べても小さい。
  ここで興味深いのは、1960年代、1970年代と現代の数字の差である。1970年代には800両という数字があるが、これはアムトラック誕生直前の数字である。アムトラックに引き継がれた寝台車両数の数字は手元にないが、半数以下であることには間違いないであろう。
1963年の北西部の夜行列車運行経路

アムトラック化後、1975年の北西部の夜行列車運行経路
  夜行列車の衰退を示すもう一つの証拠は、夜行列車の運行経路である。上に示したように、1963年の運行経路から見ると、アムトラックの運行経路は大幅に減少している。
  夜行列車の大幅な衰退は1950年代に始まった。
  1930年代、夜間飛行が可能になったプロペラ機は徐々に飛行機の乗客を奪っていったが、まだまだ速力は低く、シカゴ〜西海岸間で20時間以上を要した。寝台等も設けられたものの(関連リンク)、高運賃にも関わらず狭い空間に閉じ込められるという点では鉄道に対し不利であった。上記のような中西部の中距離間であれば、寝台車に関しては乗客を乗せたまま深夜に途中連結・解結を行い、中小都市間でも動くホテル代わりに利用できた寝台車にかなうものではなかった。この状況が変化したのが1950年代で、100人を乗せ時速500kmで飛行できる「ロッキード・コンステレーション」や「DC-6」は今まで一昼夜を要していたニューヨーク〜ロサンゼルス間の所要時間を7〜8時間代まで短縮、中距離であれば、朝一の飛行機に乗れば、午前中の会議に出席可能という状況を作り出してしまった。同時に高速道路の整備も進み、400〜500kmの移動であれば、自動車がもっとも安価で便利という状況になったのである。こうした傾向が決定的になったのは1950年代末のジェット機の登場。より高速、安価になった飛行機に夜行列車がかなう訳がなかった。鉄道会社は1950年代後半以降、夜行列車をどんどん廃止していった。上の1963年はその中ごろ、廃止が進んでいるといってもある程度の本数が生き残っていた頃のもの、1975年は、大幅な整理が終息した時期のものである。
 
1979年 アムトラックのニューヨーク・ワシントン〜ピッツバーグ〜セントルイス間の
「ナショナル・リミテッド」廃止に伴い、列車の発着がなくなったオハイオ州デイトンのユニオン駅跡
廃駅なのだが高架構造で大規模なものであった。
(リンク:まだ列車の発着のあった頃のデイトン駅
  列車廃止に決着をつけたのはアムトラックであった。アムトラックは発足時、残存していた各鉄道会社の夜行列車の半数を廃止(昼行も含めて440→184本)した。長距離列車の存続のために設立されたアムトラックが夜行列車を廃止したというのは不思議な話にも思えるが、この時期残存していた夜行列車には寝台車、座席車が1両ずつでそれでもがらがらという列車や供食設備が自動販売機の缶詰とインスタントコーヒーのみといったとんでもない列車が多かったし、赤字を補っていた郵便輸送が大幅削減となり、廃止を待つだけといった列車が多かったので、残すべく列車を残すという施策を行ったのである。
 こういった大削減を行ったこと、長距離列車では食堂車を連結し、短距離列車でも多くはきちんとしたコーヒーを出すといったサービス水準の維持政策から、アムトラック発足以降の廃止列車は少ない。カジノで有名なラスベガスを通過する「デザートウィンド」の廃止は日本でも有名で、その他、上の写真のデイトンを通過する「ナショナル・リミテッド(かつてのスピリット・オブ・セントルイス)」や、シカゴ〜ニューヨークの「スリー・リバーズ」などが廃止されているが、多くの路線が35年以上の比較的長期間安定的に維持されているのである。確かに全盛期の夜行列車の旅を考えればさびしいものがあるが、夜行列車網が消え去ってしまったメキシコなどと比べると、アムトラックは上手くやったというべきであろうか。


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