アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○ややこしいアメリカの客車の歴史(2003年6月19日)

 先日、オンラインの古本屋で注文していた「The American Railroad Passenger Car, Parts I and II(アメリカの客車)」が到着した。この本は結構売れている本なのでアマゾンでも入手出来るが、大部なので少々値が張る。その代わり、(アメリカ国内では)古本でも多く出まわっているのでこれを利用すると安く購入できる。送料込みで35ドルであったが、重さは4キロ近くあり、実際の送料がいくらかかったのかが少々気になる。船便で到着まで3週間を要した。

 この本は2冊あわせて800ページ以上もあり、日本では知られていないアメリカの客車の貴重な情報が大量に含まれている。特に寝台と座席のアコモデーションに関しては詳細な情報が含まれていて、感銘も受けたが、日本で言われている話と少々異なったことも書かれていて当惑させられた。
 例えば、この本ではプルマン社以前、そしてプルマン社の成長期にプルマン社と覇を競った寝台車や寝台車会社についての詳細な説明が載っているのだが、ここではプルマン社以前にも、フランチャイズ的経営をした寝台車会社があった事や「プルマン式」と呼ばれる寝台車の様式が既に1850年代には存在していた事が紹介されている(プルマン寝台は2段式だが、こうした寝台の中には昼間はボックスシート、昼間は3段寝台という日本の583系のような寝台もあり興味深い)。こうした寝台車の中には、かなり豪華なものもあり、はじめて豪華寝台を作ったというプルマンの業績(これはアメリカの趣味人の中でもでも定説のようだが)がどこまで真実なのかは少々疑わしいという、衝撃的な話も取り上げられている。また、プルマンの作った最初の寝台車「NO9」や豪華寝台車として名を知らしめた「パイオニア」は実際には実写の記録があまり残っておらず、プルマンの業績は言われている以上に謎につつまれているところが多いようである。このあたりの話は、私のプルマン車の記述のところでも日本で言われている話をそのまままとめてしまっているので、書きなおさなければならない。
 もう一つの衝撃的事実はリクライニングシートが既に1850年代のアメリカに存在していたという事実である。航空機の座席として開発されたものが列車に導入され、それが日本に特別二等車として導入されたという話が日本では良く言われるが、1930年代の軽量車体用のシートはそういう経緯で登場したにせよ、リクライニングシート自体はもっと以前に存在したようである。
 ちなみに、1850年代というと、南北戦争(1861〜1865)やシカゴ大火(1870頃)以前、日本で言う第二次大戦+関東大震災以前のようなもので、おそらくこうした事件が多くの資料が失われた原因となっているために、問題は非常にややこしいものになっているようである。


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