アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○アメリカ流経営手法
2005/4/1
 一連のリストラに続いて、持ち合い株式の解消が起こり、続いて起こったのが、敵対的企業買収。世間では、アメリカの経営手法の導入が大流行である。

 ただ、気をつけなくてはいけないのは、こういったアメリカのやり方というのは、日本人が「米を主食とし、食事を箸で食べる」のに対し、アメリカ人の多くが「パンを主食とし、食事をナイフとフォークで食べる」的な違いであるという事だ。実は、アメリカ的企業経営のやり方というのも、食べ物や食器の違い程度の問題でしかない部分が多い。

 なぜそんな事が言えるのか。理由は簡単で、最近日本でも採用されているアメリカ的な企業運営のやり方というのが、本国では目新しいものでもないし、特段優れたやり方でもないというのがアメリカの交通経営史を見ればはっきりするからである。それを例を挙げて説明してみよう。

 まず、ライブドアのニッポン放送買収劇。
 敵対的企業買収は日本では真新しいが、アメリカでは株式市場の創生期から行われていた。買収の対象となったのは、鉄道会社である。
 多額の資金を持つ悪徳資本家が鉄道を種に買収合戦を繰り返したのは19世紀の事。鉄道買収を企む資本家は、買収を狙う相手先鉄道会社の悪い噂を流す事で、株価低下をもくろむ。買収の危機に立たされた会社は、配当の上乗せを行い株価の維持を図ると共に、逆に相手先鉄道会社の子会社の買収を試みたりする。こういった買収合戦に乗じて、株価変動で利益を得ようという第三者が現れたり、株の買収合戦が乱闘沙汰になったりして、大変な事になるのが常であった。
 一連の買収合戦で一番問題だったのは何か。それは、企業買収が鉄道会社の運営上一定の意味を持っていたという点である。「ITと既存のTVなどが融合すると新たな価値を生む」これは確かに本当である。しかし、これをもって現在のIT企業の企業買収が昔の悪徳資本家が株を動かす鉄道会社の買収劇よりも正しいとは言い切れない。鉄道の買収のそもそもの目的は、会社ごとに分断されている鉄道のネットワークをつなぐ事で、貨物や旅客の輸送を円滑にしたり、同一の規格の機関車や車両を導入する事で車両コストを下げる事にあった。石炭なり鉄鋼なりの地元の他の産業と結びついた企業と資本関係を持つ事は、輸送の効率化で「新たな価値を生み出す」事に繋がったのである。
 しかし、幾ら正の側面があるとはいえ、実際の買収合戦はまさにゲーム感覚。人々の生活に直結する鉄道がこんな事で弄ばれてはたまったものではない。そういうわけでアメリカの鉄道会社は空前の規模を誇ったものの、国民の信頼を得る事は無く、政府も20世紀以降は鉄道会社の活力を奪う方向で規制を強めていった。第二次世界大戦以降の鉄道の衰退はそんなところに遠因があるともされている。これに関してはIT産業も同じ事。いくら将来の可能性があるとしても人々の信頼を得る事が難しいと、理不尽な政府規制が(反感を持つ人々の合意の下)しかれたりして、産業全体の活力が削がれる要因となってしまう。

 私は、そんな事を考えながら、しらけた目で一連の騒動を見ていたが、近年になって新たな動きが起こった。ソフトバンクが参入し、ライブドア傘下となろうニッポン放送とソフトバンク(の子会社)、フジテレビでキャピタルファンドを作ろうというのである。
 実は、にたような例がアメリカにもある。1914年に中古のバス1台から事業をはじめ、1930年代中頃には全国ネットワークを作り上げた都市間バス会社のグレイハウンド社である。
 グレイハウンドの始まりは、弱小のバス会社に過ぎなかった。1914年の不況期に、失業者が自家用車に客を乗せて収入源とする「ジットニー」が流行した。多くのジットニーは1年ほどで消え去ったが、もう少し本格的にバスの営業を考えた者は生き残った。その一つがグレイハウンドだったのである。
 グレイハウンド社はどうして発展したのか、一つには、敵対関係に発展する可能性のある鉄道会社と交渉し、非採算のローカル輸送を代行したり、鉄道に接続するサービスを提供して鉄道会社の利益を伸ばす存在として鉄道会社からの出資を受け付けたからであるが、もう一つの理由として、鉄道会社や、すでに存在する既存のバス事業者との共同運営をやりやすくするために、鉄道会社と既存バス事業者などと共同してバス会社を設立、自らは持ち株会社として運営にあたるという方法を早期に採用したためでもある。この方法の場合、グレイハウンドは全く独立しての運営は出来なかったが、バス会社のノウハウを持ち込むのはグレイハウンド社であることから、そのやり方を反映させる事を少ない資本で実現させる事が可能になったわけである。
 持ち株会社としてのグレイハウンド社の一番の活躍の舞台はカリフォルニアであった。カリフォルニアでグレイハウンド社は自身と、サザンパシフィック鉄道、既存バス事業者の共同出資で、パシフィック・グレイハウンド社を設立する。早期にバス事業が発展したカリフォルニア州において、子会社を運営出来た事が、グレイハウンド社の成功に結びついたのである。
 ところで、今度のキャピタルファンドの場合は、どのような方向に進むのであろうか。グレイハウンドの例を見る限り、参入の余地がある分野の存在、そしてその分野に関してどれだけのノウハウを持っているかどうかが運命を分けるようであるが、その勝者は誰だろうか。どちらにしても、グレイハウンドの成功談も70年以上前の話。グレイハウンドが事実上十数年で全国支配した事を考えると、IT企業が経済のスピードをはやめたという話は真に眉唾な話。インターネットが本格的に普及してからもう10年もたつわけであるから・・・。

 今後のIT業界の行方は私には良くわからない。しかし、ITが世の中を変えると言うのは眉唾物である。確かに情報を送るのは容易になったのだが、無駄な情報を送る事も容易になってしまった。電子文書の普及で紙の印刷物も増えたし、携帯電話で遠隔地の人を呼び出すのも容易になったというのに、ビジネスマンの為に太平洋を横断する旅客便は増発される一方である。いちいち書いていくときりが無いが、ここまでインターネットが普及しても、そんなものが全く存在しなかった時代と日本の経済力がほとんど変わっていない事がそれを象徴しているだろう。ITを推進する人は、IT化の度合いの進み方が低いせいだというだろうが、現状であまり進歩していないのだから、規模を大きくしてもそれほど変化は無いだろう。そもそも、上に書いたようなかたちで、IT業界がやっている事というのは1世紀前の鉄道会社やバス会社がやっている事と同じなのだ。
 ITに対する誤解はアメリカにもあるのだが、日本人には、アメリカの経営を、最先端の経営を誤解して、それをITとかと絡めて変な風に理解してしまうという問題がある。アメリカのビジネススクールで経営の修士号(MBA)をとるのがはやっているが、それも誤解の遠因かもしれない。世間離れした大学教授が教える以上、アメリカのビジネススクールでも結構時代遅れのネタを取り扱う事がある(なにせ、アメリカの現在の成功というのは1970年代までの日本の成功事例を参考にする事ができた事による成功なのである)のだが、ハードなスケジュールの中で叩き込まれるということもあり、これを「アメリカで開発された最先端の理論」と誤解してしまうわけである。

 1980年代のアメリカでは日本の会社の真似をすれば成功するのではという誤解が広まり、日本風の朝礼やラジオ体操、果ては社歌まで導入したという滑稽な会社もあったというが、現在日本で流行なのは、部署や役職名を横文字にする事。そんな事の延長の「アメリカ式経営」で、日本の交通経営が歪められたりしたらまずい事になりそうだが、どうなることやら。



⇒(4月4日補足)ライブドア堀江氏は「いいやつ」である。少なくともチャールズ・タイソン・ヤーキス(シカゴの「悪徳」電鉄王、市議会で利益の為に満員電車問題は解決できないと公言した)やバンダービルト(ニューヨーク・セントラル鉄道の創始者。ジェイ・グールドとの買収合戦では乱闘までおこす。勿論、本人は参加していないが)が「いいやつ」であったのと同じくらいには。彼ら2人にしても、積極性のある若い人材を伸ばす事には尽力したし、後年は文化事業にせいを出している。堀江氏もNHKの公開討論とかではそんなに悪い事は言っていない。近年の買収合戦も、成功していないがゆえに、社会に変革をもたらすボランティア役として非常に有益な役割を果たしてしまっている。ただ、NHKの公開番組で述べられたタクシーの規制緩和については、外部性とか情報の非対称性とかいう言葉をしっかり勉強して、顧客に最適なタクシーサービスを提供し、従業員の待遇も良くする配車システムとかを売り込んで儲けてほしいものであるが。
  問題は少々若すぎる事であろうか。勿論、ビジネスに最低限必要な有能さは持ち合わせているのだが、老獪な政治家や実業家と渡り合うだけの狡猾さに関しては少々未熟なような気がする。そう考えると、世の中の第一線で活動する時期というのは、世渡りの原理を体得し、なおかつ、世の将来の事を自分の問題として気にかける事ができる45歳〜55歳くらいが適当なのだろうか?19世紀や20世紀初頭の鉄道資本家のトップの活躍時期も平均寿命が短かったゆえに、その活動した年齢は、今の常識から見れば随分若かったのである。

⇒(8月18日補足)アメリカ流というと、「低福祉」、「自己責任」社会といった事もよく言われるが、一部日本人の曲解も含まれているので注意する必要がある。
  まず、アメリカでは生活保護は結構手厚い。日本に比べると額は少ないものの、食料に対する実費補助(フードスタンプ)は日本でいうフリーター位の収入資格だと受給資格が出来、実際、2000万人の人が支給を受けている。驚くべきはその案内の丁寧な事で、日本語の公式案内すら存在する。しかも、案内にはフードスタンプをもらったからといって帰化の時等に不利益にならないとの説明もある。ひとまず、餓死はしなくて済むという構造になっているのである。当然の事ながら、この他にも住宅補助、、低所得者用医療補助、育児手当等もあり、その総額は日本の生活保護費にひけをとるわけではない(では、なぜ街にホームレスが沢山いるのか。どうも精神障害者のケアの体制が悪く、街路はそういった施設から逃げてきた役所に身元を明かせない人々の避難場になっているということらしい。ホームレスに占める精神障害者の割合は高く、これはこれでアメリカ特有の問題なのだが)。
  また、自己責任という言葉、なんだか行動するのは勝手=基本的には自由と解釈できてしまうのであるが、さにあらずで以外に規制が厳しい。決まりに書かれていないことは自分の判断でというのが自己責任なのだろうが、決まりの数がやたらと多いし細かいのである。例えば、自由奔放に見えるアメリカの学校の校則は結構厳しくて、しかもそれに親が同意したとのサインをしなければ入学が許可されない。間違って果物ナイフを持っていってしまったら停学(守らせるために、治安の悪い学校では金属探知機を通過しないと学校に入れなかったりする)、住宅街では、洗濯物を干す事は景観を乱すので禁止となっているところもある。他人の迷惑になる事をしてはいけないという事なのであるが、「他人の迷惑」にあたるものの範囲が相当広いのである。子供の養育など日本では親の勝手だろうが、アメリカでは子供に留守番をさせることだけでも(放置して自己に会う可能性があることから)犯罪行為。いい加減な養育をする事も他人の迷惑なのである。経済活動に関しても、市場原理=自由、ではない。地域経済に影響を与える大型店舗の進出には規制が働いており、競争を阻害するような企業行動は厳しく取り締まられる。
  結局のところ、今の日本の施策は日本人の作り出したイメージの中のアメリカを元に、それに近づけるような妙な事をしているわけで(大統領が提案し、地方政府が拒否したような提案も含まれるのだろうが)、誠に物騒な感じもしないではない。

⇒(8月19日補足)
  なんだかんだ書いているうちに堀江氏、自民広島から出馬というニュースが入ってきた。
  利権構造的に言えば、亀井氏の意見に賛同する人が掘江氏に賛同するわけもなく、その逆も真なりなのだから、民主と票を奪い合って終わりそうな気もするのだが(亀井氏から票を奪うには「亀井さんの言い分もわかるけど、あのやり方はおかしい」といった感じで、立場を似通った人を送り込む方がいいわけで)、心理学的に言うと右も左も、『主義主張といったものにこだわりがある。』というカテゴリーで一くくりにできるともいうから(だから極左の人が突然極右に寝返ったりその逆になったりという天工があるのである)、そういう意味ではいいのかもしれない。
  素人が政治談義を続けても滑稽なだけなので、この話はこのあたりまでにしておこう。




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