アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○日本の通勤鉄道の将来(2003年7月7日)

 アメリカの鉄道の衰退ぶりは凄まじい。北東回廊以外ではスピードも低下し、本数は1割以下に激減。かつての数百本の発着を前提にした駅は、1日数本しか列車を運行していないアムトラックでは使いこなせず、上野駅と東京駅をあわせたような数十本の発着番線がある駅が使われなくなって廃墟になっていることも多い。
 都市鉄道でも程度の差があれ、似たような問題が発生している。日本の大手私鉄並の経営規模を誇りながら完全消滅したパシフィック電鉄の例以外にも、需要減少で急行線を撤去した区間(シカゴの高架鉄道)、(小規模なものだが)地下鉄を廃止した都市(ロチェスター)など、枚挙にいとまがない。1970年代から鉄道に利用客が戻ってきているのは、インターモーダル政策の推進により、巨額の助成金が投じられているからで、鉄道に本当に活力が戻ってきたのかどうかには不明である。

 これに対して日本は世界一の鉄道大国。乗客が少なくて困るというよりも多すぎて困っているというのが現状、と一般的には思われている。しかし、この現状は非常に危ういものである。
 問題の1つの原因は少子化にある。日本の若年人口は減少気味、毎年50万人ぐらいの労働人口が減少している。この数字は全体から見ればあまり大きなものではないが、公共交通の大口顧客である15〜19歳の層などで見ると、ここ10年間で25%の人口減。高校生が主要な乗客であった地方のローカル線やバス路線が合理化や路線廃止などに勤しむのも無理もないことである。
 ところが問題はこれだけではない。労働人口の全てが公共交通を利用しているわけではないのは当然だが、一定の割合で公共交通を利用してくれるわけでもない。電車も道路も混雑緩和が進んだときにどうなるのかというと、道路の方の利用客は減少せずに、電車の方の利用客だけが減少していくのである。はっきりとした説明は難しいのだが、電車の利用客が減少した時に、本数をそのままにするためには(例え連結両数を減らしても人件費故に)コスト高になり運賃に跳ね返り、運賃をそのままにすれば本数を減らすしかない。これはどちらも鉄道にとってはマイナス要因である。世間の公共交通の利用者減少の見こみは、「利用者減=労働人口減」と捕らえる向きがあるのだが、実際には「利用者減>労働人口減」である可能性が高く、今後急速な業績の悪化が懸念される。

 鉄道会社に対する神話も崩壊してきた。かつての私鉄では「副業で稼いで本業を補助すればいい」というような事がいわれていたが、土地や店舗の規制ががんじがらめで既存の保有地を利用して有利に事業展開できたバブル期以前ならともかく、不動産業や小売業でも競争が激しくなってきた。競争が激しくなれば儲けは消えてしまう。大会社ゆえのゆったりとした体質でかえって赤字を出すようになってしまった。現代では企業の利益の考え方もかわって、事業ごとの利益を明確にする事が求められているからいいのだが、そうでなければ、関連事業の赤字補填のために運賃値上げということも行われていたかもしれない。

 こうした問題に対して対応する政策も危ういものである。ヨーロッパなどが日本より遥かに低い人口密度、低い公共交通利用率でも公共交通を維持できる事情には、公共交通の補助政策の他、強力な都市計画が関係している。中心市街地の活性化のために、商店の再整備や人口密度の保持というようなことも行っているのである。アメリカはこうした事に無頓着で、際限なく市街地が広まって、車なしでは生活できない都市が出来てしまったのだが、残念ながら今の日本の動向はアメリカに類似している。もともとの人口密度が高いし、都市間高速鉄道も整備されているので都心の繁華街やターミナルが廃墟になるような事はないとは思うが、地方都市を中心に車なしでは生活できない都市が出きる可能性が高い。こうした問題は既に地方都市のバス交通の分野では社会問題化してきている。(つづく)




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