アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

電鉄の正統後継者(2003年3月14日)(2005年8月19日加筆)
Nishichiba Station (East Japan Railway Company), Chiba City, Japan
 古今東西の電鉄会社の中で世界最大の会社は?アメリカの巨大電鉄会社、パシフィック電鉄やオハイオ電鉄は当時世界最大であったと思われるが、現代の会社を含めても良いとなると、東日本旅客鉄道(JR東日本)の名前が思い浮かぶ。勿論JR東日本は国鉄を前身としていて、当初から電化されていた区間は少ない、非電化区間もある、等の定義上の問題があるが、旅客主体、電車主体、都市間連絡というインターアーバンの定義からするとそんなに誤りでもないような気がする。日本の電車化は国鉄時代からの伝統だが、客車列車をつぶして電車に置き換えたり、貨物部門を別会社化した事などを見ると、JRはインターアーバン化しているといえなくもない。
  もっとも、日本の○○がインターアーバンというのは実態にはそぐわないかもしれない。インターアーバンは「交流電化」のように科学上の定義から導かれるものではなく、都市化の進んでいない田畑や森の間を走る1〜3両の電車や、それを運行する会社、そういった電車が都市の併用軌道を走る様などを指す言葉として定着したものである。
  とはいえ、日本の電車の技術は戦前に世界最高水準に達し、それはなかなかの圧巻で、インターアーバンの後継者と呼びたい気もする。「蒸気機関車の興亡」という本を書いた齋藤晃氏は、日本の蒸気機関車について技術の立ち遅れや模倣を批判したが、電気鉄道に関しては、標準軌でアメリカのハイスピードインターバンを上回る規格で建設された路線もあり、その上、資金も潤沢だったという好条件に恵まれて、200馬力モーターと言うアメリカの都市間電車
1)にはなかった巨大モーターを使用した高性能電車、新京阪デイ100、阪和モタ300、参急2200などの名車が次々と生み出されたのである。第二次世界大戦の痛手は大きく、高性能電車の導入はアメリカに16年も送れてしまったが、アメリカにおける高性能電車の活躍の場が限られたのに対し、日本では順調に発展、1964年には新幹線と言う究極の電車が登場しているわけである。
新京阪電鉄デイ100

こちらはおまけ、カリフォルニア州のナパバレー電鉄で1934年に登場した鋼製電車。
上の写真と比べると、当時の日米の電車のデザインの類似性が理解できるであろう。
このインターアーバン路線は交流電化で、電車は高圧集電に備え、パンタグラフを備えていた。
 
 もう一つ日本の電鉄を評価するとしたら土木技術と運転手法があるのであるが、褒めてばかりいてもしょうがないので若干の批判をしよう、日本の鉄道で最後まで模倣が続いたもの、それはデザインである。良く小田急のロマンスカーNSE車の運転台がセッテベロを真似たものだと言う話しが出てくるが、その前身、SE車もアメリカのノースショアー線の電車「エレクトロライナー」に何となく似ている。新幹線は、プルマン社が製作しユニオンパシフィック鉄道の「シティ・オブ・ポートランド」などで活躍した高速ディーゼルカーM10001に似ているし、ボンネットタイプの在来線特急はその後継者のM10002に似ているような似ていないような・・・。国鉄の車両も機能美をむねとしていたわけだが、JRになってよりいっそうの効率性を追求したり、快適性を追及した車両が登場し、ようやっと(多分無意識の)模倣から脱却した車両が登場した。代表的な近距離輸送用電車であるE231系や223系は使い勝手や快適性に関する意見は色々あるだろうが、どこかの車両の模倣でないことは確かなような気がする。
オランダのインターシティシステム
  電車の広範な運用というと、以前にこの項目を執筆していたときには全く失念していたのであるが、オランダのインターシティも特筆に価しよう。オランダでは電車による都市間列車が全土で1時間、もしくは30分おきに運行されている。オランダにおけるインターシティの運行開始は1934年。当初は蒸気機関車牽引の客車列車であった。蒸気機関車牽引の客車列車の頻発(当間隔)運行はインターアーバン全盛期のアメリカの蒸気鉄道で試みられた事があるが、コスト高で上手くいかなかった。オランダでの成功は人口密度の高い国ならではと言えよう。
  なお、オランダ国鉄の電化区間の一部は、アメリカのインターアーバン整備期と同時期に独自の電気鉄道として整備されたものである。ハーグとロッテルダムを結ぶ路線などがそれに相当するのであるが、その一部はLRTに転換される予定であると言う。



1)もっとも都市間電車での大型モーター搭載例は少なかったが、1904年開業のニューヨーク地下鉄のモーターはこれに匹敵する大型のものであった。パシフィック電鉄の創始者、ヘンリーハンティントンの専用電車も200馬力モーター搭載であった。


「アメリカ旅客鉄道史+α」トップへ

「作者のアメリカ鉄道雑談」表紙へ


2005年8月19日更新(2003年3月14日版はこちら

2006年1月1日 新URL移設に伴いリンク加筆