アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○アメリカで生きる新幹線の技術
2007/03/04
ワシントンユニオン駅、中はショッピングモール
王宮や国会議事堂のようにも見えるが・・・(500年後には世界遺産になっているような気も・・・)


  昨年11月のアメリカ訪問はなかなか有意義(ボストンの地下鉄の記事以外ではまだ記事に反映させられていないが)で、その成果の一つは北東回廊の初乗車にある。
  今回はボストンから南下してワシントンに向かうというルートを取ったので、本当ならボストン〜ワシントン全区間を走破すべきなのだが、ボストン〜フィラデルフィア間は鉄道だと時間がかかりすぎる上に高速列車「アセラ」より料金の安い「リージョナル」に乗っても飛行機よりも費用がかかるという事でこの区間は飛行機、フィラデルフィア〜ワシントンのみを鉄道移動とした(この他にキーストーンルートを利用してフィラデルフィア郊外のランカスターにも立ち寄っているが)。
  私自身は駅舎には大いに期待、無数の線路にも大いに期待、あの丸っこくて窓の小さいアムフリート客車には期待せず(ブリキ缶に似ているから「アムカン」という名前を頂戴してしまっているという。209系じゃあるまいしと思ったが・・・。)といった感じであったが、駅舎には大満足、延々と複々線が続く線路にも大満足(ニューヘブン〜ワシントン間およそ500kmは複々線、もっとも橋梁を中心とした一部区間は複線に戻されてしまっていたが)。車両のほうも、居住性はなかなかで、廉価でそこそこ美味しいアメリカンコーヒーが飲め軽食もいただけるカフェカーが連結されているという点はなかなか良かった。駅に関してはフィラデルフィア30番街駅では、アーミッシュに遭遇する(ベンチでサンドイッチを食べているとき気配を感じたので顔をあげたら前で古風な服装をしたおにいさんが仁王立ちしていた)というおまけもつき、列車旅ならではの風情を満喫することができた。気を良くした私は、最終目的地のワシントン滞在の1日をフィラデルフィア訪問に切り替えワシントン〜フィラデルフィアをもう一往復してしまった。

神殿?ではなくてフィラデルフィア30番街駅
その内部 フィラデルフィアからニューヨーク・ワシントンというのは鉄道移動には
最適で、列車待ちをしているビジネスマン風の利用者も多かった。


フィラデルフィア30番街駅のホーム、コンコースの真下に位置する
アメリカのプラットホームはコンコースとは階段やドアで完全に区切られていて、ホーム上には
何もないのが通例(だから多い駅で100番線までホームがあるといっても比例して大きくなるコン
コースには感動するものの、ホーム自体はそれほど面白い物ではない)
なお、北東回廊線はホーム高さが日本並に高い 列車はニューヨーク行きの「リージョナル」


複々線区間の様子
  ところで、駅の壮大さや車両というのはいわば「想定内」の事で、乗ってみて「想定外」だったのは、日本の鉄道との類似性。PC枕木で整備された軌道は新幹線を思わせるものだったし、早朝乗り込んだワシントン発ニューヨーク行きのリージョナル号では、フィラデルフィアに近づくと、こんなアナウンスが(元の英語は正確には覚えていないので意訳だが)。

 「この列車は次のフィラデルフィアより混雑することが予想されます。お座席に荷物を置かれた方、その席は乗車してくる方が必要としています。お荷物は棚や荷物置き場に置いていただくようお願いいたします。」

  日本のような腫れ物に触るような物言いではなかったが、日本でも大きな駅に近づくとありがちな車内放送である。これに限らず、北米の列車は欧州に比べると車内放送が多く、日本並といっても良い感じがする。

  しかし、まさか似ていると言ってもまさか直接の関係はないだろうとその時は思っていたのだが、私の読みは外れた。実は北東回廊で安定した200km/h運行を行うために用いられた技術は日本の新幹線の技術そのものであったのである。
  その技術支援が行われたのは1978年から1985年にかけての事。北東回廊での高速列車の運行の試みは1969年のメトロライナーに始まるが、ダイヤ上は最高速度200km/hでニューヨーク〜ワシントン間2時間半の運行を謳ったものの、経営難で放置された軌道の状態は悪く、乗り心地や安全性、定時制の確保には問題があった。この当時の北東回廊は私鉄であったペン・セントラル鉄道(ペンシルベニア鉄道とニューヨークセントラル鉄道が合併してできた鉄道会社)が経営していたが、政府はこの時代から積極的に高速化計画の指揮をとっていた。ペン・セントラル鉄道の1970年の倒産後はその勢いを強めるが、残念ながらアメリカには高速鉄道を生み出すための技術が残されていなかった。これに対応するためにアメリカ政府は日本への技術支援を要請したのである。

  どういった物語が繰り広げられたのかは以下のリンクを参照の事
  『「新幹線をつくった男たち」とアムトラック北東回廊』 西本 恵子

  昭和60年度の「運輸白書」にも数行だが記述がある

  引用文献には詳しい助言の内容が記されていないので物足りないのであるが、スウェーデン製のAEM−7やTGV然としたアセラが走行していることから、欧州勢の土壇場と思えてしまう北東回廊の足元は、実は(限定的であるにせよ)日本の新幹線の技術が保っていたのである。
  確かに、改良された線路の質が歴然としている事実に直面する機会はあった。ランカスターからフィラデルフィアへ向かう際、列車が突然揺れ出して徐行した事があった。見ると、列車は改良された急行線を離れ、実改良の緩行線を走行している。乗り心地が大幅に悪くなった事に加えて、徐行運転で列車のフィラデルフィア到着は20分も遅れてしまった。北東回廊線はほぼ全区間が改良されているので当たり前のように乗ってしまうのであるが、80年代に大幅な改良が行われるまではそんな乗り心地だったのであろう。フィラデルフィア〜ランカスター〜ハリスバーグ間は2006年に改良された区間で、直接日本人技術者がかかわったわけではないが、その改良内容は北東回廊線に即したもので、日本の助言が間接的に生きている事になる。日本の新幹線、恐るべしである。

  この事実、「台湾新幹線が日本の新幹線技術の初輸出」とか言われている現状を考えると、ほとんど注目されていないのが現実である(「日本初の電車寝台」とは異なり、ネットにも情報があるというのに・・・)。技術指導が主で、日本の企業が大規模な契約をとったわけではない事や車両技術でない事がその理由かと思われるが、「巨額な金が動いていないから日本にメリットがない」とか「技術全体ではないから」という理由で無視されているのなら大いに問題であろう(その後日本で普及したスラブ軌道ではないという事も関係しているのかもしれないが)。技術指導によって日本側はアメリカの鉄道の情報を目の当たりにし、それが近年のアメリカ向け鉄道車両(増えつづける連邦予算を背景にもっとも金払いがいい国となっている)における日本勢の成功につながっているという点では、かなりの潜在的な利益をもたらしたプロジェクトであるといえるし、日本の新幹線技術が、貨物列車や通勤列車が混在し、車両も諸外国のものが勢ぞろい(200km/h走行可能な日本製車両も走る-なお、通勤用なのに200km/h走行が可能なのは、多客期に北東回廊の高速列車増発用に貸し出すといった運用が存在するから)といった特殊な環境下で使えるということを証明した稀有の例である。というわけで、東アジアの事例ほど重要ではないにしろ、もう少し注目しても良いような気がするが、いかがであろうか?

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2007年3月4日作成