アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○19世紀オペラと寝台車の微妙な関係
2004/2/10
 1870年代にベルギー人ナヘルマッカーズと協力してヨーロッパの大寝台車会社ワゴン・リ社の基礎を築いた人物としてウィリアム・ダルトン・マンがいる。この人物、日本では全く知られていないのだが、その頃の歴史はワゴン・リの公式HPにも、「ベルギー人のナヘルマッカーズがアメリカ旅行中にプルマン社のサービスに感嘆し、ヨーロッパでの寝台車事業に乗り出すことにした(ちなみに、ナヘルマッカーズはジョージ・プルマンに会っているらしい)。」としか載っていないので仕方がないだろう。(「アメリカ人実業家の協力もあり」、という記述をみたことがあるがそれが彼である。)マンは、南北戦争後の南部で一山あてた人物であるが、派手好きで根気強さには欠けていた人物だったらしい。ヨーロッパでの寝台車事業が軌道に乗るや否や会社をナヘルマッカーズに売却し、アメリカに戻って全く新規に寝台車会社を始めて、巨大企業に成長しつつあったプルマン社に無謀な戦いを挑んでしまったのである。

 ところで、彼の性格がこうじて豪華絢爛たるものになってしまった彼の寝台車にはオペラにちなんだ愛称がつけられていた。アメリカの寝台車には車両ごとに愛称が付けられているのだが、通常これらは地名などから適当に付けられる事が多く、無味乾燥なのだが、かれの寝台車の場合、少々事情が異なる。まだ、作業中なのだが、車両名とその由来を紹介しよう。

101 Adelina Patti アデリーナ・パッティ(当時の名ソプラノ歌手)
102 La Traviata 椿姫 (ヴェルディ作曲のオペラ)
103 La Sonnambula 夢遊病の女 (ベツリーニ作曲のオペラ)
104 La Favorita ラ・ファヴォリータ (ドニゼッティ作曲のオペラ)
105 Semiramide  セミラーミデ (ロッシーニ作曲のオペラ)
106 Il Trovatore トロバトーレ (ヴェルディ作曲のオペラ)
107 Norma     ノルマ    (ベツリーニ作曲のオペラ)
109 Aida     アイーダ   (ヴェルディ作曲のオペラ)
108 Martha    マルタ    (フロトフ作曲のオペラ)
111 Faust ファウスト  (ゲーテの原作が有名だが仏のグノー作曲によりオペラ化しているらしい)
112 Mignon    ミニョン   (やはりゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」が原作らしい、仏のトーマという人物が作曲)
113 Rigoletto リゴレット  (ヴェルディ作曲のオペラ)
114 Fra Diavolo フラ・ディアボロ (オーベール作曲のオペラ)
115 Lohengrin ローエングリン(ワーグナー作曲のオペラ)
116 Tannhauser タンホイザー (ワーグナー作曲のオペラ)
117 Dinorah    ディノラ   (マイヤベーア作曲 誰?と思ったが、19世紀には影響力を持ったオペラの作曲家だったらしい)

 アデリーナ・パッティ、リゴレット、トロバトーレ、椿姫、とここらへんまでは良かった。ヴェルディのオペラが多いのだが、彼は「オペラ王」と言われたぐらいオペラが多いし、現在でも人気のある作品が多いから、多く載っていようとそれほど違和感もない(高校の教科書などにも載っていたし)。
 しかし、リストを調べていくと、ファウスト、ミニョン、ディノラ・・・と聞きなれないオペラが出てきた。「ファウスト」はゲーテの作品としては有名だが、オペラになったというのは今回ネットで検索して始めて知った事である。何でこんな今ではマイナーな作品を愛称に使っているんだ?という疑問が出てきた。

 この理由は恐らく2つある。
 一つ目は、今ではマイナーだが、これらは当時は結構流行したという可能性である。方々のオペラ愛好家のHPを信用するなら、彼らは19世紀には結構影響力を持っていた作曲家らしい。もし、この説が妥当なら、1世紀後に残る音楽もそうでない音楽もその当時の人間にとっては同じような類と思われていた事になるという事でなかなか面白い。現在の同じようなポップズでも、100年後に残るものと、マニアが発掘して喜ぶようなマイナーになるものが分かれるのだろうか。当時の公演記録なりを調べてみようかなとも思う。
 もう一つの可能性は、派手好きのマンが、自分のお気に入りのオペラの名前を思いついた順に寝台車名にしてしまったというものである。マイナーなオペラには、フランス作曲・公演されたものが多いようである。ヨーロッパで寝台車事業を進めていたときに、彼はベルギーやパリに滞在していたのだが、仕事一筋というよりは結構豪遊していた可能性もありそうである(実際、南部で頑張っていたときは、毎日何がしかのパーティーに出席した有名人だったらしい)。
 ともかく、両方の可能性を追求しようかと考えているが、本文にも記したように、彼ほどネタがあちこちに波及する人物も珍しくて面白い。今後もう少し変な話が出てくるかもしれない。



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