アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○明治時代の列車と汽船の寝台
2003/7/24


 かつて大学のサークルで夜行列車の歴史について調べた事があった。山陽鉄道の寝台車と汽船のサービス競争に興味があった私は、船舶の設備と寝台車の比較研究を試み、汽船の設備について調査を重ね、報告は大部になってしまった。文章のまとまりのよさで(文を削った末に)掲載は認められたものの、今考えると、山陽鉄道の寝台車と瀬戸内海の汽船の船内設備にはそんなに関係はなく、方法論としては間違っていたような気がする。
 明治時代の寝台車のデザインの源がなかなかわからなかったのでこんな事になったのだが、初期の一等寝台車についてはだんだん分かってきた。山陽鉄道の寝台車は開放式、官鉄の一等寝台車は個室寝台車だが、1880年代のアメリカの寝台車に概観、内装とも同種のものが存在するのである。官鉄の最初の寝台車を製作した会社の一つ、ホールディングワース社はプルマン社のライバルである寝台車会社、マン社やウッドラフ社の大量の株式を保有し、これらの会社の寝台車を製造したり、ようやく大型電車が登場しはじめた20世紀のはじめに日本の581・583系に先駆けて電車寝台車を製造したりした会社である。巨大車両メイカーとしてプルマン社が君臨し始めた時期だから、こうした小ロット、特殊な車両の製造に活路を見出したのだろうか。アメリカの本線用の客車は車両限界が大きいので日本の客車に比べると一回り大きいが、コロラド州などにあるナローゲージ用区間用に小型の寝台車が作られた実績もあり、こうした車両にほとんど同種の車両が存在する可能性がある。定員が40人を超え、長さが短かったという山陽鉄道の二等寝台車(軽便寝台)は(私にとっては)未だに謎の寝台車であるが。
 一方、山陽鉄道と激しい競争を繰り広げていた瀬戸内海の汽船の設備はどのようなものだったのだろうか。「船の科学」という雑誌で、過去の内航客船の室内設備に関する特集があり、そこからその概観を窺い知る事が出来る。
 まず、汽船についても三等級制である。3等は船底で、恐らく蚕棚と言われる二段式の桟敷になっていたと思われる。問題は、2等、1等であるが、1等は、甲板中央部の寝台、2等は甲板上船首、船尾の寝台もしくは桟敷である。これは当時の欧米の蒸気船の船室の構成に似たもので(1等が甲板中央部にあるのは前後に比べて揺れが小さいからである。ゆえに川蒸気とはずいぶん構成が異なると思われる。)元を辿れば、19世紀始めの大西洋のパケット帆船の船室に行き着く。パケット帆船のサービス向上はアメリカの会社の業績が大きく、この船室構成もアメリカ起源と言えるかもしれない。
 ちなみに、一等船室は次第に進化を遂げていく。8人一室ぐらいだったのが4人一室になり、ベッドだけだった部屋に居住スペースが追加されるようになる。鉄道では3等級制は消え去ったが、長距離客船のなごりを残すフェリーでは、船底船室は甲板上に上げられたが、船室の形態そのものは特等・一等・二等としてその姿をとどめている。

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