アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○「スネル報告書」を読む
2004/1/24
 「アメリカの軌道系公共交通を滅ぼしたのはゼネラル・モーターズである。」
 このネタで一冊の本になるほどの報告書をまとめ、アメリカ議会で報告までした人物がいる。邦訳「クルマが鉄道を滅ぼした」のブラッドフォード、スネルである。本ホームページでも繰り返し述べてきた事なのであるが、この本の記述は随分胡散臭い。しかし、胡散臭い割には議会報告書として権威を持ってしまっていて、訳書も引用、脚注ともに学術書の体裁を整えていて、しっかりした公害研究家によって日本語に翻訳されてしまっているために、日本とアメリカの両国で不注意な研究者(の卵)や交通評論家に繰り返し取り上げられていて、日本で評判の某鉄道評論家より性質の悪い事になっている(「〜鉄道事情大研究」出有名な某評論家の意図は、あのいい加減な評論を読んでもらった時に「感銘」でも「内容のいい加減さに対する怒り」でもいいから取り扱った問題への問題意識を持ってもらうという事にあると解釈することができ、その試みは悔しいことに或る程度成功している訳である。本人が自覚しているのかどうかはしらないが。)。
 スネルの本であるが、残念ながら私は現物を持っておらず(内容に誤りがあるということで購入する気にもならないし・・・)、5年ほど前にざっと目をとおしてそのままだった。先日、このHPの参考文献の項目を編集したときに思い出したので図書館で読んでみた。あんまり時間がなくて概略のみになってしまったが、その内容を検証してみたい。

○あらすじ

(報告書とはいえ、本一冊なので内容は多岐にわたるここではそのメインであるパシフィック電鉄とニューヘブン鉄道の問題に触れる。)
 GMが鉄道産業に触手を伸ばし始めたのは1920年代後半である。1920年代にクルマの普及は頭打ちになり、GMは新たな市場を求めた。
 市場として狙ったのは路面電車産業である。GMはバス会社を子会社として設立し、1930年代始め頃から電鉄会社を買収、買い取った電鉄会社の路線をバスに置き換え、GM製のバスを走らせた。さらに都市間バス市場にも目をつけ、蒸気鉄道から契約を取って都市間バス輸送を行った。
 GM最大の標的になったのはロサンゼルスのパシフィック電鉄である。パシフィック電鉄は1700キロの路線網を持っていたが1930年代以降GMの子会社のバス会社に次々と路線網を買収され路線を縮小した。その後人々は速度の遅いバスに見切りをつけ、自動車に移行、排ガスに埋もれた現在のロサンゼルスが生まれた。
 次にGMが狙ったのはディーゼル機関車の売込みである。GM製のディーゼル機関車は全米に普及、更なる普及を目指し、GMはニューヘブン鉄道を騙して電化区間の架線を撤去させた。乗客はスピードの低下した旅客列車に見切りをつけ自動車に移行、ニューヘブン鉄道は破産してしまう。

○マニア的評論

 学術的な評価に対しては、このHPの参考文献の項に記した大阪市大の西村先生などが記しているので、ここではマニア的な評論を試みよう。

 本文を見る限りスネルの鉄道の信頼性に対する執着はかなりのものであるが、どうやらスネルは鉄道ファンではないようである。それゆえ、私のようなマニア的知識を持つものが見ると彼の基本的な間違いが手にとるように分かってしまう・・・。
 一番問題なのはニューヘブン鉄道の件である。ニューヘブン鉄道はニューヨークとボストン間を結ぶ鉄道で、アメリカの鉄道では珍しく、この両都市間の鉄道輸送を独占していた。旅客輸送の比率も高い(1950年で50%を超えていた。西部の鉄道会社なら1割程度が普通なのだが)のが特徴で、全車パーラーカーの特急列車があったり、鉄道会社は独占でも複数寝台車会社と契約を結んでサービス競争をさせたり、流線型車両が登場する以前から個室寝台車の比率が高くて荷物車と豪華個室寝台の合造車を持ったり(反面、プルマン運賃(=一等運賃)をとる開放式寝台車が1960年代以降も残っていたのだが)という面白い試みがある会社でもあった。
 スネルの記述だとこのニューヘブン鉄道にはかなりの電化区間が存在して(例えばニューヨーク〜ボストン)、それが一気に廃止されたように見えてしまう。しかし実際には電化区間はニューヨーク〜ニューヘブン間のみ、しかも廃止されたのは支線の電化区間のみであった。
 もう一つ言うと、この鉄道は、アメリカで最も早く産業革命が進んだニューイングランドの諸鉄道を統合して作られた路線で、生産の中心地がニューイングランドから西に移った19世紀には早くも過剰設備を抱えるにいたってしまった。移り気な旅客を収入源にしていた事もあって財政基盤は貧弱で、ディーゼル化の行われた1960年のはるか以前、電化直後の1935年にも倒産を経験している。電化時代に必ずしも財政状態が良かったわけではわけではないのである。
 また、スネルは、ディーゼル機関車牽引列車の乗り心地の悪さを指摘しているが、参考にしているのが、試作車的要素の強い「アエロトレイン」の報告なのである。アエロトレインは、カーブの多い規格の低い線路での高速運転を目的とした車両であるが、台車が一軸で、軽量化のためにバネも簡略化されていたために乗り心地が悪かったのである。しかし、これはディーゼル列車一般に関わる事ではない。1930年代後半から導入されたディーゼル列車はその車内サービスと快適性により、乗客をかなり取り戻している。スネルのディーゼル列車を悪く見る見方は見当違いであろう。

 次に、パシフィック電鉄の問題について検討してみよう。パシフィック電鉄のGM陰謀説については、GM子会社のナショナル・コーチラインズはパシフィック電鉄のバス化に関わっていない事、パシフィック電鉄自身が自動車に有利な郊外型の街づくりを行っていた事などが指摘されている。しかし、そういった堅い話をしなくても、ファンの視点から見るとGM陰謀説には矛盾がある。
 パシフィック電鉄の最盛期の利用客数は年間1億人強である。非常に多いように見えるがJR東日本の輸送人員の合計は58億人、路面電車の広島電鉄が2500万人でこれらと比べた場合にそれほど多いわけではない。一日あたりにすれば30万人程度で、この人数は京都市営地下鉄や福岡市営地下鉄と同じくらいである。京都から地下鉄が消えると京都はスモッグに飲まれてしまうのだろうか?・・・京都は盆地なのでスモッグに飲まれてしまっても不思議はないが、京都とロサンゼルスでは広さが違う、結局のところ、都市圏人口1200万人のロサンゼルスにおいてかつてのパシフィック電鉄の規模は小さすぎるのである。
 スネルはパシフィック電鉄の路線図をしめして解説を行っているが、全盛期のパシフィック電鉄の規模については無頓着のようである(2月1日補足に示したスネルの引用する参考文献には、パシフィック電鉄への投資がアメリカ全土の都市間電車に関する投資の1割を占めた事は記されているが、利用客数については記されていない。スネルは1920年代のロサンゼルスに現在の東京や大阪と同様の鉄道ネットワークがあるものと考えていたともとれる)。パシフィック電鉄が西日本旅客鉄道(18億人)や関西大手私鉄5社(合計で20億人)程度の規模をもっていたのなら、陰謀説はそれなりの意味を持つ。1日あたり数百万人の利用客を鉄道から奪う、すなわち数百万台の自動車を5年周期ぐらいで購入してくれるユーザーを得る事ができるのなら、年間売上高にして数千億円〜数兆円レベルの増加が期待できる。しかし、30万人では現在では10兆円にもなるGMの売上高にそれほど寄与するわけではない。買収コストを考えればそんなに利益にはならないであろう。
 もっとも、彼を弁護するなら、将来そういった巨大企業になる可能性のあったパシフィック電鉄の目を早期に摘んだ、という表現ができるかもしれない。しかし、これも残念ながらつじつまがあわない。かれの陰謀説によればGMの陰謀は1920年代の後半から1930年代にかけて計画され、その後実行されたのだという。実は多くの電鉄会社は20年代には破産、債権者によって運営されるも大恐慌によってどうにもならなくなり廃止という経過をたどっている。パシフィック電鉄の場合は破産はしていないが、GMの触手が伸びる以前に乗客の大幅な減少を経験している。やはり、GMが関与する前に運命は決まっていたと言わざるを得ないのである。

 細かい吟味はスネルを熟読する機会でもあったら改めて行う事にし、最後にどうして陰謀説の根本的な誤りを批判して終わりたい。
 スネルの陰謀説をより大きいカテゴリーで捉えると、陰謀史観という歴史観に繋がる。陰謀史観は、単純に言えば「現代社会というのは一部の富めるものや権力者の権力システムによって影から支配されているもので、彼らは自分たちの支配を巧妙に隠し、またその支配の永続化のために絶えず市民を欺きつづけ、行動計画を練って実行している。」というものである。
 陰謀史観は、一向によくならない現代社会を説明するのに便利なのだが、問題もある。「権力者や富めるもの」が市民を欺きつづけるためには相当な頭脳と洞察力が必要で、現代科学をもってもそれは到底なしえない課題であるという点である。GMに関していえば、もし陰謀説を実行するならパシフィック電鉄を買収するときに、少なくとも買収コストよりは得られる利益の方が魅力的なことをあらかじめ分析する必要があって、そんなことができるのなら、線路を撤去して車を売るよりも日本の大手私鉄のような地域の各種事業を独占する電鉄会社になるとか、巨大経営コンサルタント部門を設立して暴利を貪ったほうが儲かった筈であるという矛盾が生じてしまうのである。
 このように陰謀史観は矛盾があるのだが、一面で他力本願的な思想の表れであると見ることもできる。日本の官僚批判にも時たま現れるが、こうした考えを信じるということを裏返すならば、「為政者や社会のエリートは社会をよくする方法を知っているのだが、現実に社会が良くならないのは、彼らがその能力を私利私欲のために無駄遣いしているからである。」という発想が多くの人の根底にあるからであると言えなくもないだろう。社会は複雑だし、エリートだからといって特別な事を知っているわけでもない。優秀な人材によっても改革は困難であるというというのが現実に近いと思われるのだが・・・。


2月1日

 やっと本を手にすることが出来、読み込んでいる最中であるが、この本の論理構成の誤りにはなかなか興味深いものがある。
 まず、明らかに彼はあまり鉄道関係の資料を集めずに思い込みで批判を行っている。かつて存在したという鉄道網を詳しく描くためには、その関係の本を熟読する事が必要であるが、彼は電鉄について読んだ文献として、George W.hilton,John F.Dueの”THE ELECTRIC INTERURBAN RAILWAYS IN AMERICA”を挙げているだけである(この本自体は良書であるが、数万キロに及んだ都市間電気鉄道全般の事を記しているので、パシフィック電鉄の事を細かく描写するような目的には適していない。また、あくまでもあまり通勤目的で使われなかった都市間電気鉄道の事を記しているので、都市の路面電車や通勤輸送の衰退にかんする参考資料とするのは的外れであろう)。しかも、シカゴの有名な電気鉄道であるノースショアー線と西海岸の小規模電鉄を混同して、「ノースショアー線もバス会社に買収された。」という誤った記述まで行っている(これは「京急」と「京福」の頭文字が同じだから『東京の有力私鉄の一つは近年の正面衝突事故で運行が相当期間停止された』と記述するようなものである。)また、他の鉄道に関する叙述も統計資料と鉄道商業誌の”Railway Age”の当時の記事から持ってきているだけで、明らかに情報不足の中で執筆を行っている。
 また、本当に陰謀があったのかどうかという点に肝心な点の引用資料として一社員の個人的な証言や『秘密の情報源』というのを多用しているところも気になる。会社の運営に関しての社員の証言というのは場合によっては信頼性が落ちる場合があり、往時の雰囲気を味わう資料としてはいいのであるが、「こういう計画が実行に移されようとしていた。」という風に解釈する事は危険である(日本の某評論家も同じような間違いをやらかしているが)。
 しかし、こういった細かい点を気にせずにいると、しっかりと注釈の入った確かな文献に見えてしまうところが非常に憎らしいところである。


2月4日・・・加筆しました。


2006年6月29日 小括

その後2年ほどの間に仕入れた情報によると、

○ナショナル・シティ・ラインズはミネソタ州の実業家が1936年設立したバス会社で、最初からGMの肝入りと表現するのが最適かどうかは不明。ただ、GMやファイヤストンが合計で10%ぐらいの株を保有し、主要な資金源であった事は確からしい。
○ナショナル・シティ・ラインズはロサンゼルス・トランジット・ライン(ロサンゼルスの市内電車会社)、とフィラデルフィア・トランスポーテーション・カンパニーの株式のかなりを保有していた時期があるが、大規模なバス化、自動車化をしたと評価できるのかどうか。ロサンゼルス・トランジット・ラインを支配下に置いた直後、ナショナル・シティ・ラインズは反トラスト法で訴えられる。びびったナショナル・シティ・ラインズは、批判を避けるためにGM製バスの導入を取りやめ、他社製のバスの購入に加え、50両のPCC車(高性能路面電車)の導入を行った。GMがバス事業に関与した事による影響はあったのだが、その影響は正反対だったのである。PCC車を大量に保有することになったロサンゼルスの路面電車の廃止はやや遅めで1963年、これは日本の大都市の路面電車の廃止時期とそう変わらない(自動車の普及度の違いを考えれば1990年頃に廃止したようなものである)。もう一方のフィラデルフィアには未だに路面電車路線が残されている。
○パシフィック電鉄を買収したとされるナショナル・シティ・ラインズの子会社、パシフィック・シティ・ラインズは、グレンデールとパサデナでPEの路線を買収、しかし、グレンデールのバス路線はバス路線として登場したもので、パサデナの路線は、19世紀の規格で作られ、低性能のバーニー車で運行されていたパサデナ市内線をパシフィック電鉄がバス化した路線を買収したものである。「でも、別会社になったんじゃ乗客は不便になったんじゃないの。」と思う方が多いと思うが、パシフィック電鉄の電車の切符を持っていれば、パシフィック・シティ・ラインズのパサデナとグレンデールのバス路線には無料で乗り継ぎが出来た。これは、日本でも未だに実現されていない旅客サービスである・・・。先のロサンゼルス・トランジット・ラインもショッピングセンター乗り入れ路線で買い物客を対象とした運賃割引制度を導入しているが、これも日本では21世紀になってはじめられ、先進事例と紹介されている話。現地の人間に不満が無かったとは言い切れないが、70年経っても追いついていない日本の人間がとやかく言えるのかどうか・・・。
○反トラスト法は、強力に働いたが、かえって有害に働いたのではという説もある。1935年に電力で交通事業との兼業禁止の法律が定められ、1947年には自動車会社・・・という感じで続いたので、地方の交通事業者に資金を出そうという事業者がいなくなってしまったのである。
○反トラスト法で訴えられた理由は「バス車体供給の独占化が図られた事」で、「交通事業の自動車化が図られた事」ではない。専門家に聞くと、「GMの関与はなかったわけではない。」という回答がかえってくるのであるが、それは前者の意味。これをGMが自動車化を進めるために行った事業への訴訟と考える事は、昨今の防衛庁入札談合疑惑の容疑者が「防衛庁をのっとり日本政府転覆を行うために談合に参加した。」と考えるのと同じような事である。



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