アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○アメリカ時刻表を読む その2
2005/5/14
 私は時刻表マニアではないが、趣味の都合上、変な時刻表を随分持っている。
 アメリカの鉄道の「公式ガイド」については、ついに4冊目(但し、3冊目はCD−ROM版、1906年の生の時刻表は高すぎて手が届かないゆえ)を入手してしまった。
 今回購入したのは1944年版、手持ちのリプリントではない最古の時刻表の記録更新といいたいところだが、書架にはパシフィック電鉄の1928年の時刻表が入っているので、2番目という事になる。この頃の時刻表としては1945年のイギリス(ブラッドショー)のものがあったりもする。
 本題の44年の時刻表であるが、1941年に日米は開戦し、当然の事ながら当時のアメリカは戦時ダイヤ。しかし、アメリカの戦時ダイヤは日本とは全く別物である。

 まず目に付くのは「AC」の文字、1920年代に開発された列車用のエアコンディショナーは1930年代に急速に普及した。エアコンを取り付けただけで利用客が数十パーセントも増える事に気付いた鉄道会社が、不況期の旅客誘致策として競ってエアコンを導入したのでたちまちのうちにその両数が増えたのである。1936年にはその両数は5800両、その頃登場した新型の流線型客車は当然の事ながらエアコン付であった。
 エアコンと相まって普及したのは個室寝台である。アメリカで個室寝台が普及しなかった理由の一つは通気性の問題とも考えられるが、エアコンにより、狭い部屋の空気のコントロールも自在になったので、シングルルームやルーメットといった1人用の個室寝台が急速に普及した。また、1950年代に比べると、まだ飛行機の普及が完全ではなく、長距離列車の数も多い、全車プルマン寝台、個室付の優等夜行列車と、ツーリスト寝台、リクライニングシート座席車を連結するリーズナブルな夜行列車が共存していた時代というわけである。
 こんな感じなので、「戦時」を期待してページをたぐっていくと段々苛立ってくる。一体どこが戦時ダイヤなんだ。それに関しては、一応いくつかのヒントがある。
 まず、列車のスピードダウンである。有名な大陸横断の高速列車「スーパーチーフ」はこの時期、通常39時間45分運転のところを41時間45分かけて走行していた。大量の軍用列車を走らせるためである。また、よくよく読んでいると、戦時輸送にご協力を、という小さな広告がある。ピーク時の乗車は避けて欲しいとか、列車内で軍事関係の話をしない事とか、
食堂車利用の際お待たせすることが多くなったが軍事輸送のために車両の余裕がなく、「食堂車の増結」は出来ないので、食事が済んだら次の客に席を譲ってほしいとか、そういう案内がつけられている。
 確かに戦時体制となっている、しかし、時刻表見られる特徴はたったそれだけ、相次ぐ列車削減で寝台車も食堂車もなくなり、空欄ばかりが目立つようになった当時の日本の戦時ダイヤとは大違いである。

 勿論、これには裏もある。軍事輸送では大量のプルマン寝台車が徴用されたが、その多くは、波動用に大量に保有していた車両である。当然の事ながら、多客時の続行運行などは行いにくくなっていたと予想される。しかし、それにしても、素晴らしく大量の列車が普通の旅行者を対象にして平然と運行されていたのである。

 とにかく、アメリカには戦時中だから、鉄道のサービスを下げようという考えが見られない。とにかく軍事輸送以外の輸送に関しても輸送サービスの容量を確保する事が、戦争遂行に不可欠であるという思考で完結しているのである。ガソリンの配給は制限されたが、それを補うために、高性能の路面電車であるPCC車が毎年数百両ずつ製造され、全国の都市輸送にあたった。太平洋岸の造船所では、戦時輸送船を作るための工場操業のために臨時に通勤鉄道が建設され、ニューヨークの高架鉄道の中古車両が大量に持ち込まれ輸送にあたった。そういう姿を見ると、どうも日米開戦に関しては、日本は判断を誤ったようにみえてくるわけである。


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