アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○ツーリスト寝台の謎(2003年5月23日)

 座席と並んでアメリカの列車のアコモデーションの謎は寝台にある。
 アメリカの寝台車のかなりが、有名なプルマン社の経営による豪華寝台車であったのは周知の事実であるが、豪華ではない庶民向け寝台車があったのかという謎が浮かび挙がる。
 1950年代あたりの夜行列車情報の詳しい解説書「NIGHT TRAINS」という本と、1956年のアメリカの時刻表が入手でき、本家のプルマン寝台車についてはかなり事情がわかってきたが、プルマン車の提供する一番リーズナブルな寝台車というのは「セクション」と呼ばれる長手式開放式2段寝台で日本で言うA寝台車である。日本でB寝台に相当する車両はなかったのであろうか。
 こうした本の中には、「ツーリスト」寝台車というものが登場する。日本で言うツーリスト寝台は、昼間ロングシート、夜間は2段寝台になる10系客車以前の2等寝台の標準タイプであるが、アメリカのツーリスト寝台車というのは、寝台の形状ではなく、セクションのみで構成される(すなわち全開放寝台)寝台車の事を指すらしい。このタイプには16セクション(定員32)と14セクション(定員28)があるが、車体長が25メートルもあるのでゆったりとしている(男女別の広い更衣室がある)。こうした寝台車は確かにリーズナブルな寝台として愛用されたようだが、寝台自体は日本で言うA寝台級である。
 安価な寝台車を表す言葉としては、もう一つ「スランバーコーチ」というものが存在する。言葉通りに解釈するなら横になって移動できる座席車と言う事になるが、実際には1950年代に製造された、半2階建てのルーメット(1人用個室)16室とダブルベッドルーム12室を備えた定員40人の個室寝台車である。個室寝台の方が開放式寝台よりも定員が多いとは奇異な感じがするが、半二階構造でスペースを有効に活用していることと、開放寝台を持つ寝台車のかなりの面積を占めている更衣室が不要であるために、寝台そのものに使える面積がかえって増えるのである。この寝台車、(各室に洗面台の設備があるとはいうものの)日本で言うソロとデュエットの組み合わせに近く、その意味ではB寝台と言えなくもない。

 スランバーコーチはそれなりにリーズナブルなイメージがあるが、20世紀以降のアメリカは全体的に安価な寝台車の設計に不熱心なイメージが拭いきれない。理由はあれこれ考えられるのだが、鉄道会社側の要因としては、長距離列車のコーチ(普通座席車)がそれなりに立派だった事が挙げられるかもしれない。既に1910年代にはリクライニングシートの座席車が登場していて、1930年代ぐらいにはそれが当たり前になっていた。1950年代になると大陸横断を行う列車ではレッグレスト・フッドレスト付きの展望座席車などというものも登場する。日本ではこうした座席は特別料金を払わなければ利用できなかったが、アメリカでは当たり前だったのである(ニューヨーク−ワシントン間などでは、優等車両としてパーラーカーが存在した)。こんな座席車が当たり前では、3段寝台などはつくりにくかったのかもしれない。

○追記(6月18日)

 先日1963年のオフィシャルガイド(アメリカの時刻表)を入手した。先に入手した1956年のものに比べると鉄道会社も親切になっていて運賃表を載せている鉄道会社もある。これによると、

・普通運賃⇒コーチ(普通座席車)に適用。
・ファーストクラス運賃⇒プルマン車、パーラーカー利用の場合に適用。これに寝台料金が加算される。

・スランバーコーチ、ツーリスト寝台(ミルウォーキー鉄道の14セクションの「ツーレラックス」)では、コーチ運賃に寝台料金を加算。

 となっている。確かにスランバーコーチはB寝台のような感じであるが、現代日本であるような開放式寝台のほうが個室寝台より高いという現象も生じているようである。東部の鉄道会社などは個室寝台のみになっている会社も多いが。

○追記(12月10日)
 手持ちの本をじっくり読んでいたら、ツーリスト寝台のことが載っていた。まとめると次のようになる。
 ツーリスト寝台のはじまりは1880年代ごろに設計された移民輸送用の簡易寝台車である。簡易寝台といっても昼間はボックスシート、夜は二段寝台というプルマン寝台車の構造を引き継いでいて、内装が簡素なことと、更衣室などの付帯設備が省略され、台所を備えているところが相違点である。移民輸送は格安の運賃で行われ、サービスは普通のコーチに比べても簡素であったが、この簡易寝台車に関しては背ずりの低い転換クロスよりははるかに快適なので、一般旅客から利用したいとの要望が高かったとの事。この要求に応えて普通(コーチ)運賃に若干の追加料金で利用できるようにしたのがツーリスト寝台なのである。ツーリスト寝台は改造車主体で、古くなったプルマン車の設備を取り払ってツーリスト寝台にしたケースが多かった。16セクションがこの意味での「ツーリスト寝台」であるかは調査中であるが、コーチ運賃で利用できるツーリスト寝台でもプルマン寝台車の構造を引き継いだ二段式で、日本でいえばA寝台級ではある。
 ツーリスト寝台は20世紀は主に西部の長距離列車に連結され、20世紀はじめには300両ほどが活躍していたという。この後、徐々に数を減らすが、1930年代後半にバスの対抗手段として脚光を浴び、3段寝台タイプなどが試作され、試験的に定期列車に連結されたりもした。もっとも、量産に入る前に戦時輸送体制に入ってしまって、第二次世界大戦後の量産はうやむやに、バスの対抗馬としてはレッグレスト式のリクライニングシート車が普及し、従来のツーリスト寝台に関してもミルウォーキー鉄道など一部鉄道を除いて消滅してしまったという。



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