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序.アメリカ鉄道史の魅力
  アメリカの鉄道の魅力はそのスケールの大きさにある。
  アメリカの全盛期の鉄道総延長は40万キロである。アメリカの国土は日本の25倍程度だが、日本の4倍程度の大きさを占めるアラスカ州には1000キロほどしか鉄道がなく、それを差し引くと、土地面積あたりの鉄道延長は日本と大差なくなるのである。都市と都市の間には、寝台車や食堂車を連結した優等列車が走行、その本数は数百本におよび、大都市間では、寝台車と食堂車のみで構成されるall-pullmanと呼ばれる優等寝台列車が数多く存在した。
  こうした華やかなアメリカの旅客輸送の歴史はきわめて古い。イギリスと同時期に登場したアメリカの鉄道は、広大な国土に必要不可欠な道具として瞬く間に全土に路線を展開した。大西洋岸からシカゴに向かう千数百キロの路線は1850年代には開通、1869年には大陸横断鉄道が開通して、ニューヨーク〜サンフランシスコ5000キロを一週間で旅することが可能になったのである。個々のサービスや、列車史に入る前に、その大まかな歴史について解説しておこう。


歴史概略

  アメリカの鉄道は丸々200年ほどの歴史を持つ。日本の書物でその全体像を描いたものは存在しないし、英語文献も個々の会社別や、ジャンル別にまとめたものが多い。活躍した時期が40年ほどにすぎず、電気鉄道のうちの一部分にすぎない都市間電車をまとめるだけで400ページの書物になるので、わかりやすく簡潔にまとめるのは難しいのである。とはいえ、何も書かないのもわかりにくい話なので、20年ごとに区切って概要をまとめてみることにした。


(1)鉄道の登場 〜1850

 アメリカで最初の鉄道の開通はいつか?これは、なかなかややこしい質問である。
 線路に関して言えば、1800年にはフィラデルフィアなどで2本のレールを用いた軌道が使われていた。本格的な旅客と貨物を運ぶ鉄道の最初のものは1826年のボストンのグラニット鉄道がその起源で、さらに1830年には、有名なボルチモア・オハイオ鉄道が、ボルチモア近辺で列車の定期運行を用いた。ボルチモア・オハイオ鉄道の列車は馬が牽引したが、同年の末には、蒸気機関車を用いた最初の鉄道がサウスカロライナ州にお目見えする。鉄道の起源とされるイギリスで最初の鉄道(公共輸送を行う鉄道の最初)が1825年のストックトン・ダーリントン鉄道で、蒸気運行は1830年のリバプール・マンチェスター鉄道であるから、ほぼその時期は変わらない。
 なお、蒸気機関の使用は、河川用の蒸気船の方が早く、1811年には、メキシコ湾沿いのニューオリンズとペンシルベニア州のピッツバーグ間で蒸気船(ミシヒッピ川−オハイオ川)の運行が始められた。引き船を用いる運河の整備も盛んで、オールバニ(Albany)とバッファローの間は1825年にイリー運河により結ばれている。1850年までは、同じペンシルベニア州内のフィラデルフィア〜ピッツバーグ間においても、重量貨物においては数千キロ迂回となるミシシッピ川の河口ニューオリンズ経由の方が有利で、1849年にアブラハム・リンカーンがワシントンからイリノイ州のスプリングフィールドに帰郷した時には、一部が開業していたボルチモア・オハイオ鉄道と馬車、オハイオ川とミズーリ川の蒸気船を乗り継いでの旅であった。こうした状況下において鉄道は、運河や河川水運を補完し、それに対抗する目的で建設されたが、東部ではネットワークの拡充も見られ、1840年代にはニューヨークの対岸ジャージーシティとワシントンは鉄道で結ばれていた(但し、ゲージが異なり、乗り換えは必要であったが)。
 アメリカにおける車内サービスの歴史は古く、まだ部分的にしか鉄道が開通していなかった1830年代に食堂車や寝台車の運用が行われている。

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(2)鉄道のネットワーク化 1850〜1870

 1852年、シカゴとニューヨークを結ぶ鉄道路線が開通する。運河に代わり、鉄道が主役になる時代の始まりである。この間、南北戦争があったが、鉄道建設は進行し、西部で積極的な鉄道建設が行われ、1869年には、シカゴとサンフランシスコを結ぶ大陸横断鉄道が開通している。
 この時期までのアメリカの鉄道のレールの幅はばらばらであった。イギリス標準軌である4フィート8.5インチ(1435mm)の他、4フィート10インチ(オハイオ州)、5フィート(南部)、5フィート4インチ(オハイオ州の一部)、5フィート6インチ(テキサス州、ミズーリ州)、6フィート(イリー鉄道)などのばらばらなレール幅が存在した。線路が河川などでしばしば分断されていたことや、貨物列車の運行が鉄道会社事に行われていた事などから、大きな問題にはならなかったのだが、経済の発展により長距離の直通貨物列車の需要が高まり、レール幅の統一も進められるようになった。列車の直通は旅客列車でも行われ、寝台車サービスの全国的な展開も行われた。都市においても馬車鉄道のネットワークが拡大した時期である。 

(3)ネットワークの拡大 1870〜1890年

 全国隅々まで行き渡る鉄道ネットワークが完成するのがこの時期である。先に開通したシカゴ〜サンフランシスコ間に続き、シカゴ〜ポートランド、シカゴ〜ロサンゼルス、ニューオリンズ〜ロサンゼルスなどの大陸横断ルートが次々に開業、運賃も低下し、農産物や工業製品の輸送も活発になる。鉄道会社間の規格の統一も進んだ。自動連結器や空気ブレーキが普及し、鉄道会社を主導として標準時間帯の設定なども行われる。
 鉄道ファンにとって面白くなるのもこの時代である。寝台車のバリエーションが増え、貫通路付き客車の登場で独立した食堂車、サロン車などのサービスも本格化、幹線ルートでは寝台専用列車も登場する。都市と近郊を結ぶ通勤列車サービスが始められ、大都市では大量輸送機関としての高架鉄道や、馬車鉄道に代わる路面ケーブルカーなどが登場・普及する。
 このように、路線網やサービスを見ると非常に華やかな時代なのであるが、鉄道経営においては問題が目立ち始めた。過剰に建設された鉄道が互いに競争するために、経営基盤は弱体化、また資本家が独占利益を得るために競合相手の鉄道会社に敵対的買収を仕掛け、その中で株価操作をはじめとする激しい攻防戦が繰り広げられたために、金融市場にも大きな影響が出たし、消費者の利益はないがしろにされる傾向にあった。労働者のほうは労働組合を作って対抗し、不況の多かった1870年代には軍隊の出動が必要とされるような大規模な暴動が引き起こされた。

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(4)鉄道ネットワークの成熟 1890年〜1910年

 1890年の鉄道総延長は16万マイル。1914年の25万マイルには及ばないが、この時点でアメリカの鉄道網の発展はほぼ完成したといっても良いであろう。
 一方で、これまでの問題もこの時期に決定的な事件として表面化する。1894年に起った恐慌で鉄道会社の4分の1は倒産。また、この時に行われた賃金の引き下げ、人員整理は労働者の不満を爆発させ、プルマン・ストライキという大規模なストライキを発生させた。これ以降、労働運動は下火となり、鉄道会社はJPモルガンを筆頭とする金融資本家に統合・再編の上支配され、一定の秩序を得ることとなった。
 この時期には、金持ちの娯楽道具として自動車の製造がはじめられたが、これが大衆にまで広まる前に、電気鉄道が大規模に普及する。都市部では稠密な市街電車網が構築され、中西部では都市間を結ぶ電車サービス「インターアーバン」も広範囲に路線網を展開した。インターアーバン各社は1時間に1本ほどの割合で電車を運行し、1日に数本の列車しか運行しなかった従来の鉄道に競争んだのだが、その存在は、後の自動車の利便性を先取りするものであった。

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(5)鉄道の統制期 1910年〜1930年

 20世紀以降、金融資本とともに鉄道会社を統制したのは政府であった。鉄道を規制する州際商業委員会は1887年に設立されたが、効力を発揮することが出来るようになったのはこの時期である。第一次世界大戦期には連邦政府がすべての幹線鉄道を管理した。また、優等列車の寝台車サービスはプルマン社が独占するようになった。車両の鋼製化など、安全への試みは進んだが、列車のスピードは横ばいで、サービスも画一的なものにとどまった。
 他方で、1910年代には自動車の普及が急速に進んだ。第一次世界大戦以降は道路整備が進み、従来のローカル輸送や市街電車の活動領域に急速に進出し、電気鉄道は急速に衰退することとなった。

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(6)自動車・航空機への対抗 1930年〜1950年

 自動車やバスは1920年代に相当の発展していて、ローカル輸送は急速に衰退したが、幹線輸送で問題になったのは、大恐慌により全体の輸送需要が激減した1930年代の事である。鉄道会社では1920年代より行っていた、バスやトラックとの連携輸送を強化するとともに、車両の軽量化やディーゼル機関の採用を進め、積極的なスピードアップやサービスの拡充を試みた。
 これらのサービスの向上は一定の成果をあげたが、規制で身動きが取れなかったことと、その対象が1等旅客を中心としたもので、需要の大きい普通旅客を冷遇した事で、完全な成功とはならなかった。第二次世界大戦後は航空機が急速に進出し、プルマン寝台車を中心とする1等旅客を奪っていった。

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アメリカ電気鉄道史>4.アメリカの電鉄黄金時代>4−5.ベイブリッジ

(7)衰退期 1950年〜1970年

 経営状況の悪化に抗しきれず、鉄道会社が急速にサービスを縮小させる時期が、この20年間である。1950年には、人口10万人程度の都市なら、どこでも長距離列車のサービスがあったが、20年間で廃止がどんどん進み、1970年には限られた都市間を結ぶ乗り物と化してしまった。貨物輸送に関しても非効率的な側面が目立つようになり、大規模な鉄道会社が次々と倒産するようになった。都市の路面電車は、次々と廃止となり、バスに置き換えられていった。もっとも、旅客の減少はバスに置き換えて何とかなるものではなく、連邦政府は都市大量輸送局(UMTA)という組織を設立。都市交通の資本費補助や公営化の推進を進めた。

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(8)再建期 1970年〜1990年

 鉄道会社は統合し、効率化を図ることで生き残ろうとした。1968年にはニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルベニア鉄道が合併してペン・セントラル鉄道が生まれ、1970年にはバーリントン鉄道とグレート・ノーザン鉄道、ノーザン・パシフィック鉄道が合併してバーリントン・ノーザン鉄道が生まれた。しかし、鉄道会社には以前厳しい規制があり、合理化は妨げられた。ペン・セントラル鉄道は合併後、まもなく倒産、その他にロック・アイランド鉄道やミルウォーキー鉄道といった鉄道が合併の認可を受ける前に倒産してしまった。
 こうした自体への対応策は2つ、政府の介入と規制緩和である。
 連邦政府は東部の鉄道の復興のために、1976年、ペンセントラル鉄道とニューヨーク周辺の私鉄を引き取り、半官半民の鉄道会社コンレールを設立した。民営⇒半公営と日本の国鉄改革とは対照的な構図であったが、1980年以降は順調に改革が進んだ。また、1980年には、規制緩和(スタガース法)が行われる。行動の自由が確保された事で、他の民間鉄道会社の業績も回復の兆しを見せた。また、大規模な旅客列車の削減に対応するために、1971年、全米旅客輸送公社が設立され、旅客列車の多くが政府の援助の元、運行を続ける事となった。
 倒産したり、旅客部門を切り離したりした鉄道会社の近郊輸送の保全と、道路混雑の緩和を目的として、地方自治体が運行委員会を設立、補助金を支出しての近郊列車運行が一般的となった。近郊列車運行は最後まで民間の鉄道会社が行っていた旅客輸送で、都市交通は1970年代にほとんど公営化されていた。

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(9)鉄道の復権 1990年〜

 鉄道の倒産やローカル線の整理などで、アメリカの鉄道延長は16万マイルまで、縮小したが、規制緩和や鉄道会社の合併により貨物輸送における鉄道会社の地位は復権の兆しをみせ、1990年代後半の好況期には、過去最高の輸送量を実現した。統合は極限まで進み、かつて数十社存在したアメリカ国内で活動する大手鉄道会社は、ユニオン・パシフィック鉄道、バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道、CSXトランスポーテーション、ノーフォーク・サザン鉄道、カナディアン・ナショナル鉄道、カナディアン・パシフィック鉄道、カンサスシティ・サザン鉄道の7社に統合されてしまった。極度の合理化による輸送の混乱の問題も一部であったが、経営は順調に推移しているようである。
 他方、アムトラックによる旅客鉄道の保全は必ずしも順調とは言えなかった。新車の導入も進んだが、安全性や定時性という面では課題が多く、投入される補助金に関しても十分なコンセンサスが得られていない。それでも、自分の住む地域に旅客列車が走るというのはアメリカでもある程度のステータスとなっているようで、アムトラックの解体は提案されるものの、そうドラスティックには進んでいない。
 また、道路優先の交通政策は、道路維持のための費用の問題や道路混雑や大気汚染の問題を生んだ。また、東部の発展が横ばいであるのに対し、中南部や西海岸の諸都市の成長は順調で、大量輸送機関がないことが成長の足かせとなった。こうした問題の対応として、道路と都市鉄道の予算の分配が柔軟に行えるような制度が整備され、西海岸の都市を中心に都市鉄道の新設が盛んに行われるようになった。低い利用率や、予算配分の利権化が起るなど、好ましいことばかりではないが、今後の発展が期待されている。

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2005年4月15日作成