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4.流線型列車のさきがけ −ゼファーとM10000シリーズの活躍など−
カンサスシティ駅で並んだM10000とゼファー9900
(1939年の"Railway Age"の記事より(注1) )
 1930年代はアメリカの鉄道が危機に陥った時代である。
 1910年代から1920年代の半ばにかけての10年ほどがアメリカの鉄道が一番栄えた時期であるが、1920年代の半ばには自家用車が登場し、利用客ははやくも減少方向に向かう、好景気でしばらく問題は表面化しなかったが、大恐慌後の1930年代には不況で乗客は激減、経営基盤が弱いインターアーバンは次々に消滅していった。
 こんな時代に、起死回生の手段として登場したのがストリームライナー、流線型列車である。ストリームライナーは画期的なデザインを有し、同時に革新的な車体構造を有する車両である。新型機関車に牽引されたストリームライナーは多くの鉄道会社の看板列車に投入され、その快適性と高速性能でアメリカの旅客鉄道の衰退を一世代遅らせるのに成功したのである。
 ストリームライナーは、高性能であると共に、非常に個性的である。ここではその先駆けとなる、ゼファーシリーズとシティシリーズについて解説したい。


目次

4−1 ストリームライナーの登場とその特徴
4−2 ストリームライナー創生期(初期のストリームライナー略史)
4−3 バーリントン・ゼファー
4−4 UP 「シティ・シリーズ」



4−1 ストリームライナーの登場とその特徴

 1934年、ユニオンパシフィック鉄道(UP)と、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道(CBQ)が乗り入れているカンサスシティユニオン駅に見なれない形の列車が出現した。「シティ・オブ・サリナ」を名乗るユニオンパシフィックの鉄道の車両は、裾が絞られた丸みを持つ車体、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道の「パイオニア・ゼファー」はやや角張った形状であるが、無塗装で銀色に光り輝いていた。どちらにも蒸気機関車は連結されていなかった。先頭に内燃機関が搭載されていて、その動力で時速160キロが発揮できるのである・・・
 1930年代の半ば、アメリカの鉄道車両に革命が起こった。突然、軽量にしてスマートな外観と明るい内装を持った新型車両が鉄道界を席捲したのである。アメリカの車両デザインはプルマン社が本格的に鋼製寝台車を造り始めた1910年以降は20年間ほとんど変わらず、角張った車体に緑色(プルマングリーン)や暗色を中心とした塗色、ダブルルーフ、3軸ボギー台車で重量は60〜80トン、内装は木目調が当たり前だったのだが、これが覆されたのである。その最初の車両がプルマン社がユニオンパシフィック鉄道用に製造した「シティ・オブ・サリナ」とバッド社がバーリントン鉄道の為に製造した「パイオニア・ゼファー」だったのである。
 革命的なデザインと車体構造、高速性能の3つがばらばらではなく、同時に実現された事は不思議に思う人もあるかも知れないが、理由がないわけでもない。両社は自動車に対抗して中西部のカンサスシティーを中心に高速列車サービスを検討したのであるが、高速化の為に当時急速に発展していた内燃機関に着目したのである。内燃機関は小型軽量で高速運転には有利であったが、機関出力はそれほど大きく出来なかった。そのため、アルミ、ステンレスを用いた軽量車体が用いられたのである。一方、軽量化のためには内装の軽量化も重要である。かといってそれなりのサービスは必要であるから、殺風景になってしまうのは望ましくない。そこで、金属を多用し、ごてごてとした旧来の装飾の代りに、直線を多用し機能美を強調したアートデコ調のデザインがとり入れられたのである。
 新型列車のサービスは人気を呼んだ。これに対し、両社は改良した増備車を導入し、全米の鉄道会社がこれに追随した。ユニオンパシフィック、バーリントンの両社が初期に導入した列車は動力と車両がセットになったものだが、これはしばらくして改良され、機関車と流線型客車という組み合わせになる。機関車にはディーゼル機関車の他、ディーゼル機関車を上回る性能を持った流線型の蒸気機関車も使用された。流線型客車はアルミ、ステンレスの他、超張力鋼も採用され、また高速運転に備え電磁直通ブレーキなどの高性能ブレーキを備えたものも登場した。1940年代にはほとんどの看板列車で流線型客車が使われるようになり、飛行機にとって変わられる1960年代までアメリカの旅客鉄道の主役を務めるに至ったのである。


4−2 ストリームライナー創生期(ストリームライナー略史)

 ストリームライナーの活躍は、1930年代の初期の車両の登場から、アムトラックのスーパーライナーやアセラまでの永きにわたる。ここでは手始めに、初期の数年間のストリームライナーの歴史を紹介したい。これだけでは1940年代に登場した「カリフォルニア・ゼファー」「オリンピア・ハイアワサ」「エル・キャピタン」などの紹介がないので全く不十分なのだが、これらの紹介は今後の課題としたい。

1933年7月 プルマン社がアルミニウム製展望車「ジョージ・M・プルマン」を公開。
                    流線型の密閉型展望室を始めて備えた車両である。
1934年2月 ユニオンパシフィック鉄道のM10000(セミ・ディーゼル動車)完成、次世代車両として全国で
                    巡回展示される。
1934年4月 はじめての純ディーゼル車のバーリントン鉄道のパイオニア・ゼファー登場、巡回展示へ
1934年5月 パイオニア・ゼファー、インディアナ州のフォートウェインとシカゴ近郊のインゲルウッドの間で
         平均時速80マイルを記録(20日)、26日には有名なデンバー⇒シカゴのスピードトライアル
                    で1015マイルを13時間5分で走破
1934年10月 ユニオン・パシフィック鉄道の寝台車を備えたM10001登場、やはり巡回展示へ
         その最中、ロサンゼルス⇒ニューヨーク3258マイルを56時間55分で走破。
         うちロサンゼルス⇒シカゴ間2298マイルは38時間47分。
1934年11月 パイオニア・ゼファー、営業運転へ
1935年1月  M10000、「シティ・オブ・サリナ」として営業運転へ
1935年2月 ニューヨーク・セントラル鉄道の「コモドア・ヴァンダービルト」流線型蒸気機関車となる。客車は
         従来型。
1935年5月 ミルウォーキー鉄道、シカゴ〜ツインシティ(ミネアポリス/セントポール)間で蒸気運転の流線
         型列車「ハイアワサ」を運行開始。
                    なお、同区間競合他社の高速運転は、シカゴ・ノースウエスタン鉄道が1月(通常型客車列車
         による)、バーリントン鉄道が4月(ツインゼファー)
1935年6月 M10001による「シティ・オブ・ポートランド」営業開始。流線型ディーゼル動車としては初の寝
         台車の営業運転。
1935年7月 ガルフモービル鉄道の流線型ディーゼル動車「レベル」ニューオリンズ〜ジャクソン間で営業開始
1936年5月 ATSF、シカゴ〜ロサンゼルス間に「スーパーチーフ」号を新設。従来型客車だが、新型ディー
         ゼル機関車牽引として大幅なスピードアップ実現(同区間を39時間45分で走行)。
         対抗するユニオンパシフィック鉄道も、同月にM10002による「シティオブロサンゼルス」を走
         らせている。
1936年6月 ユニオンパシフィック鉄道、ディーゼル動車の決定版とも言える、M10003〜M10006により、
         「シティ・オブ・ロサンゼルス」「シティ・オブ・サンフランシスコ」の運行を始める。
1936年7月 ニューヨークセントラル鉄道、総流線型の昼行蒸気列車「マーキュリー」をクリーブランド〜デトロ
         イト間に走らせる。
1936年11月 「デンバー・ゼファー」、シカゴ〜デンバー間で運行をはじめる
1937年3月 サザン・パシフィック鉄道「デイライト(ロサンゼルス〜サンフランシスコ)」の運行をはじめる
1937年8月 ルーメット寝台の登場
         ロックアイランド鉄道、フォートワース〜ヒューストン間で「テキサス・ロケット」の運行をはじめる。
1937年12月 ユニオンパシフィック鉄道、「シティ・シリーズ」増発用として、通常サイズの軽量客車を新造、
         以降、長距離列車用としては固定編成のディーゼル動車は下火となり、流線型ディーゼル機
         関車を軽量流線型客車が引く形式が主流となる。
1938年2月 ATSFの「スーパーチーフ」、軽量流線型客車に置き換え。
         この月、全車寝台の「スーパーチーフ」対し、全車座席車で「スーパーチーフ」同様の高速運転
         を行うの「エル・キャピタン」がシカゴ〜ロサンゼルス間に登場(オール二階建て車両になるの
         は1950年代)。全車寝台だが速度の遅い毎日運行の「チーフ」も軽量流線型客車に置き換わ
         っている。
1938年6月 ニューヨークセントラル鉄道の「20世紀特急」とペンシルベニア鉄道の「ブロードウェイ特急」が
         軽量流線型客車編成へ
(注2)。機関車は流線型の蒸気機関車。

1939年の鉄道商業誌「Railway Age」より




4−3 バーリントン・ゼファー

 流線型車両で一番有名なのはバーリントン鉄道の「パイオニア・ゼファー」であろう、ここではバーリントン鉄道のゼファーシリーズについて概説する。

9900「ゼファー」(「パイオニア・ゼファー」と呼ばれることもある)

 バーリントン・ゼファーというとあの「ショベルノーズ」といわれる斬新さと古風な感じ(運転台の窓枠の形状や運転台窓が開閉可能になっている点などが)を併せ持った全面が印象的だが、ショベルノーズの先頭車は次の9両である。

車番   登場年  エンジン       連接構造 使用列車
9900  1934  600HP       連接    「ゼファー」カンサスシティ〜オマハ〜リンカーン
9901  1935  600HP       連接    「ツインゼファー」→「サム・ヒューストン・ゼファー」
9902  1935  600HP       連接    「ツインゼファー」→「オザーク・ステート・ゼファー」
9903  1935  600HP       連接    「マーク・トェイン・ゼファー」
9904  1936 1800HP       非連接   「ツインゼファー(二代目)」
9905  1936 1800HP       非連接   「ツインゼファー(二代目)」
9906  1935 1800+1200HP  非連接   「デンバーゼファー」
9907  1935 1800+1200HP  非連接   「デンバーゼファー」
9908  1939 1000HP       非連接   「ゼネラル・パーシングゼファー」

ゼファー                        :カンサスシティ〜オマハ〜リンカーン
ツインゼファー                :シカゴ〜ミネアポリス・セントポール
サムヒューストンゼファー  :ダラス・フォートワース〜ヒューストン
デンバーゼファー            :シカゴ〜デンバー
マーク・トェイン・ゼファー   :セントルイス〜カンサスシティ
ゼネラル・パーシングゼファー:セントルイス〜カンサスシティ

 9900から9903までは短編成であるのに対し、9904〜9907は連接式の長編成客車を牽引する機関車である。デンバーゼファーには寝台車の設備まで存在したが、これは長距離を走行することが多いアメリカの鉄道にあって当然の設備であった。
 9900「パイオニア・ゼファー」は営業運転を行う前にデンバーからシカゴまでフルスピードの試験運行を行っている。ロッキー山脈の山麓のデンバーからシカゴまでは1015マイル(1624キロ)もあるのだが、試験列車は最高速度109マイル(約174キロ)を発揮、所要時間13時間4分58秒で走破したのである。これだけの性能を発揮したのに燃料消費量が蒸気列車に比べて著しく少なかった事や軌道への負担が相対的に小さかった事も関係者の目を引いた。
 試運転は同社のシカゴ〜ミネアポリス間でも行われ、従来の蒸気列車より5時間も速い記録を残した。この結果を元に、この区間に高速昼行列車
(注1)を導入したのである。シカゴ〜ミネアポリス間650キロを6時間30分で結ぶ「ツイン・ゼファー」は大好評。当初の3両編成では足らず、6両編成に拡張した二代目が続けて導入された。
 ショベルノーズの車両で最強のものは、2両一組、3000馬力のデンバーゼファー用の動力車である。全編成あわせて12両編成で、個室寝台車や食堂車を備え、その設備は従来の客車列車と同等以上のものであった。
 バーリントン鉄道では、この後、ステンレス車両の牽引用にステンレスの外装を備えた専用ディーゼル機関車E5
(注3)を1940から1941年にかけて16両ほど製造している。



上:デンバーゼファー(イラスト)
下:二台目ツインゼファー    
パイオニアゼファーと前面窓が微妙に異なる事に注意。また、エンジン部分と客車が連接構造になっていない
事にも注目。

 

4−4 UP「シティ・シリーズ」

 ユニオンパシフィック鉄道というと、出力5000馬力を超えた巨大蒸気機関車ビックボーイや、1万馬力に迫ったというガスタービン機関車などが有名であるが、ブースターを組み合わせて使用するディーゼル機関車に対する関心も強く、出力5000馬力のブースターユニット(運転台付き車両と組み合わせれば1万馬力!)なんて言う代物も保有していた。
 これらの機関車は貨物用である。ロッキー山脈越えのために大出力の機関車が必要であったのだが、総括制御の出来ない蒸気時代には重連・三重連を組む事は人件費の面から好ましくなく、ディーゼル化後も無数のディーゼル機関車を連結しての運行では効率が悪い、というような事と、会社が機関車の改良に熱心なこともあって大出力機が好まれたのである。
 貨物用機関車については蒸気機関車の改良が先に進み、次にタービン、その後ディーゼルと、ディーゼル機関車が完全な主役となるのには随分時間を要したが、旅客車両においては、エンジンの大出力化を待たずに車両軽量化で高速化するという手法があり、内燃機関の活用が早くから進められた。1920年代にはすでに、ガソリンエンジンを用いた内燃動車が普通列車用に用いられていたようだが、本格的な長距離高速列車用として製作されたのがM10000シリーズである。

<M10000シリーズの概要>

M10000 600HP 1934年製作 1935〜「シティ・オブ・サリナ」 1941廃車
M10001 1200HP(当初は900HP) 1934年:製作・改造 1935〜「シティ・オブ・ポートランド」
       1939:休車 1941:スクラップ
M10002 1200HP+900HP 1936年製作 1936〜1937「シティ・オブ・ロサンゼルス」
       1937〜1941 「シティ・オブ・ポートランド」 1943〜1946:段階的に廃車 
M10003 1200HP×2 1936年製作 客車を持たないユニットでM10002〜6の予備機
M10004 1200HP×2 1936〜1938 「シティ・オブ・サンフランシスコ」
       1938〜1939 「シティ・オブ・ロサンゼルス」 1939〜1953「シティ・オブ・デンバー」
M10005 M10006 1200HP×2 1936〜1953「シティ・オブ・デンバー」

 M10000シリーズの一番の特徴は、バッド車のゼファーがステンレス製だったのに対し、アルミ製の車体を採用していたということである。アルミ車体はステンレス車体に比べれば車体の整形が容易で、M10000〜M10002は卵形の断面を採用している。
 M10000は座席車のみの編成(計画段階では寝台車も想定されていた)だが、M10001以降の車両は寝台車主体の編成で座席車をメインとしたゼファーとはやや趣を異にしている。なお、後に続々と登場する流線型客車の寝台車は個室寝台主体であったが、M10000シリーズの登場時、ルーメットは存在せず、寝台は開放式寝台主体であった。ただし、従来型の寝台車の流儀に倣い、少数ながら個室寝台は必ず設けれていたし、空調完備であることを生かし、クローズドセクションという扉を持つセクションが設けられ、これは後のルーメットにつながったといわれている。
 特殊な車体断面を持つM10000〜2に対し、M10003以降はやや高さが低いものの、普通客車の車体断面に近いものになった。もともと、M10001と同様の車両が2編成ほどつくられる予定だったのだが、M10001の大陸横断のテスト運行など、いくつかの耐久試験の結果、計画が変更されたのである。M10003以降に至っては、ディーゼル動車というよりは、機関車の色合いが強くなり、固定編成用であるのに、M10003は機関車部分のみの存在で客車を持たず、M10002〜M10006の予備機として活躍した。
 M10000シリーズの活躍機関は短かった。中距離列車用に作られたゼファーシリーズはその仕様が路線の需要に合致し1960年代まで使われたのだが、M10000シリーズの場合、中途半端な車体が長距離輸送のニーズに上手く合わず、戦中の軽金属の不足もあり、M10000〜2は早期にスクラップとなってしまった。M10003〜M10006のほうは多少長生きで、機関車部分の組換えなどがありつつも1953年まで使われたが、これはほぼ同仕様の車両が三編成存在したことが大きいであろう。


二代目「シティ・オブ・ポートランド」
M10002使用であるが、恐らく機関点検の予備か何かで機関車部分だけM10003となっている貴重な写真。
車体断面の違いに注目

M10005・6使用の「シティ・オブ・デンバー」
<第7編成以降>
 M10000シリーズが「シティ・オブ・ポートランド」「シティ・オブ・ロサンゼルス」「シティ・オブ・サンフランシスコ」に投入された事で、同区間の所要時間は大幅に短縮された。これらの列車は、蒸気列車で50時間以上(3泊4日)かかっていたシカゴ−ロサンゼルス・サンフランシスコ・ポートランドを40時間(2泊3日)で結んだのである。とはいえ、往復に最低5日かかるルートに1編成ずつでは、月に5往復が精一杯。大陸横断ルートだからといって需要が少ないわけではなく、同ルートを「オーバーランド特急(シカゴ〜サンフランシスコ)」「ロサンゼルス特急(シカゴ〜ロサンゼルス)」といった蒸気機関車にヘビーウェイト客車を連ねた特急列車が毎日、時には続行便を連ねて運行されていた。毎日運行を目指して車両増備を行うことが不可避だったのである。
 需要増の要求に対応して、ユニオンパシフィック鉄道は、旅客用の汎用ディーゼル機関車として製作がはじめられていたEシリーズディーゼルのシティシリーズバージョン、E2を注文、さらに普通客車と同じ車体断面を持つアルミ製の軽量客車を注文。第7編成と呼ばれたこの車両は1937年に「シティ・オブ・サンフランシスコ」で活躍をはじめる。なお、旧来のM10004は改装のうえ「シティ・オブ・ロサンゼルス」に導入されたが、最終運行日だけ第7編成とセットで続行運転を行い、有終の美を飾った。
 アルミ製軽量客車群は、列車妨害で大破するという事故に遭遇したり、太平洋戦争の影響を受けたりもしつつも、徐々に増備が進んだ。1940年代の終わりには「シティ・オブロサンゼルス」「シティ・オブ・サンフランシスコ」の毎日運行が可能になったのである。

二代目シティ・オブ・サンフランシスコ。機関車はE2A+B+Bの3両、客車は14両である

M10002→M10004に続く3代目「シティ・オブ・ロサンゼルス」

話はさらに続く予定・・・



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(注1)このページの写真は、"Railway Age"の"Statistics Prove Success of Streamliner(October 14,1939 p559-)"より転載したものである。なお、同様の写真があちこちで使われていて、書籍などではもっと高品質の写真が使われている事もあるので、鮮明さを望む場合には参考書を探すのがおすすめ。

(注2)高速列車は「特急列車」か?ここでアメリカの列車種別について概説しよう。
 アメリカの幹線旅客鉄道では、列車種別についての厳密な区別は存在しない。あえて分けると次のようになる。
(1)通勤列車(Commuter Train)
 大都市周辺で運行される。回数券を中心とした割引運賃が適用される。
(2)混合列車(Mixed Train)
 鉄道黄金時代のローカル線の主役。
(3)普通列車(Local Train)
 愛称のない列車で、小駅にも停車する。長距離を走り、寝台車や軽食堂車が連結されている列車もある。
(4)愛称付き列車(Named Train)
 夜行なら寝台車、昼行列車ならパーラーカー連結が標準。大抵食堂車の他ラウンジ車の連結がある。座席車が指定席のものもあり、その場合指定席料金をとることがある。
(5)全車プルマン(All-Pullman Train)
 全車プルマン寝台車で組成された列車。通常の愛称付列車よりは高速で車両や設備が豪華である事が多い。昼行列車でも全車パーラーカーという列車が少数ながら存在する。
(6)特別料金列車(Extra Fare Train)
 運賃、寝台料金などのほか、特別料金を徴収する列車。走行する鉄道会社の看板列車で、食堂車・バー・ラウンジの他、列車秘書の乗務や、理髪室を備えた列車も。全車プルマン車である事が多いが、次節で紹介する「シティ・オブ・ロサンゼルス/サンフランシスコ/ポートランド」のように座席車連結のものも。全車座席車で特別料金を取ったのはATSFの「エルキャピタン」が唯一の例。

 あえて分けるとしたら、(1)が日本で言う普通列車で、(3)(4)が急行、(4)の一部と(5)(6)が特急といったところだろうか。アメリカの列車にも「Limited」「Express」を名乗るのもあり、LIMITEDは愛称列車の中でも高速のものに多いが、儀礼上の区別で、特急料金を取るわけではない(全車プルマン車でプルマン車利用運賃−一等運賃−を取ったり、特別料金を取ったりすることが多い)。ゼファーはこの中では(4)に相当する。速いことを示す呼称としては「Limited」「Express」の他、「Flyer」「Mail」「Canonball」などがあった。なお、各路線の看板列車は「Flagship」「Premier train」とも呼ばれる。


(注3)Eシリーズディーゼル機関車は1937年から1963年まで製造された代表的な旅客用ディーゼル機関車。(主として)貨物用のFシリーズと同様、流線型の運転台付き車両とブースター車両という組み合わせで、出力は1800〜2400馬力。ゼファーやシティシリーズ用のように流線型車両用にオリジナルデザインのものも存在する。



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