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5.1956年  −時刻表でみる日米比較鉄道史(1)−
 ここで試みるのは、時刻表で見る日米の鉄道比較である。
 1956年という年は、私がたまたまこの年のアメリカの時刻表を持っているという事から選んだだけでそれほど意味はない。ただ、1950年代前半は列車本数自体は減少を続けているとはいうものの、高速化は依然続けられていた時期で、1956年は高速化への努力が一通り完了した時期であると見ることが出来る。
 一方日本では、東海道本線の電化が完了し、特急型電車・気動車の登場を目前に控えた時期である。まだまだ輸送量・サービス的にも見劣りがする状態で、日本人技術者は米国技術を多いに学んでいる段階であったが、立場はこの後10年で逆転する。


目次
5−1 東海道・山陽ルート
5−2 北東回廊
5−3 ニューヨーク〜シカゴ


5−1 東海道・山陽ルート

<特急列車>
 まず、1956年12月現在の東海道・山陽本線の特急列車の紹介である。



 なんと、東海道本線には特急列車が4本(うち1本臨時)しかない。東北本線初の特急「はつかり」号は昭和33年のビジネス特急こだま号の登場により余剰となった特急用客車を利用して運行がはじめられたものであるから、日本全体で特急列車はこれだけ、という事である(冷静に考えれば当然なのだが)。この改正(1956年11月19日)で登場した夜行特急あさかぜ号が画期的だったというのも頷ける。ちなみに編成は以下の通り。


 ようやっと軽量客車が登場した時代であさかぜの3等寝台車は最新鋭のナハネ10。2等寝台車のうち9号車は旧型客車ながら冷房付き、戦後製のマロネ40で、個室寝台を備えていた。10号車は戦前の典型的2等寝台車であるマロネフ29である。食堂車や一等展望車は冷房装置を備えていた。


<東海道・山陽の急行・準急列車>
 特急は特別な列車で、優等列車の主役は急行・準急列車である。こちらは数が多くなるので、下り列車のみまとめてみた。

 急行列車といっても、昼行列車は食堂車付、夜行列車は2等寝台(現在のA寝台)を連結しているから、1960年代、70年代の特急列車に相当すると見てよいだろう。この他に、東京〜名古屋間を直通する普通列車が10本以上も存在した。
☆印は個室寝台車(2人もしくは4人相部屋)連結列車である。ちなみに、これでも戦前の水準(昭和9年で特急・急行・準急の合計が13本)に比べれば増えているのである。

5−2 北東回廊(ニューヨーク〜ワシントン)

<ニューヨーク→ワシントン間の時刻表(画像をクリックすると大きなものがみられます)>

注釈-優等・・・パーラーカー連結(区:全運行区間のうちニューヨーク〜ワシントン間のみ連結)
    食堂の欄の「軽」はビュッフェ車連結
    展望車の欄のラウンジはラウンジカーを1両(もしくは半車×2)連結
    The Embassyのワシントン20:40着は21:40の間違い
    斜字・・・ニューヨーク〜ワシントン間は乗車のみ扱い

 概ね列車は1時間おきに運行されている。この区間はアメリカでは例外的に1970年代以降も高速化と増発が進められた区間で、現在では高速列車Acelaと通常列車がそれぞれ毎時1本ずつ、最速のAcelaは2時間47分で結び、同区間を1時間短縮している。もっとも、昼行の個室(パーラーカーの一角にはデイ・ドローイングルームという数名で利用できる個室が存在した。)や食堂車といった優雅なサービスも過去のものになってしまってはいるが。
 短距離ではあるがこの区間限定の寝台専用列車のサービスもある。The Edisonはニューヨーク始発である。遅すぎる感のある出発時刻であるが寝台は10時半から利用できた。0:05発ワシントン行きの場合、2時過ぎの出発となるフィラデルフィア連結、4時過ぎの到着となるボルチモア止まりの寝台車も連結されていた。どちらも夜10時ごろから朝8時ごろまでは寝台を利用できたようである。
 線路はボストン方面と繋がっているが、何故かボストン〜ワシントン間の直通列車は少なく、南部やフロリダに行く豪華寝台列車が多い。ニューヨーク〜ワシントン間のみの利用は50セントの特別料金とある。実際この区間のみの利用ができたのかどうかははなはだ疑問ではあるが。
 使用車両は短距離列車も長距離列車も新型の軽量客車(ストリームライナー)と1920〜30年代製造の旧型客車(ヘビーウェイト車)の両方を使っていたようである。旧型客車については座席や窓の更新、エアコン取り付けなどの体質改善が積極的に行われていたらしい。


5−3 ニューヨーク〜シカゴ間

NYC:ニューヨークセントラル鉄道 北回りはカナダ国内を通ってデトロイトを経由するルート
PRR:ペンシルベニア鉄道
B&O:ボルチモア・オハイオ鉄道
ERIE:イリー鉄道
DL-NKP:デラウエア・ラッカワナ鉄道-ニッケルプレート鉄道
時差1時間(シカゴ時間=ニューヨーク時間-1時間)

  凝ったものをつくろうとしたら収拾がつかなくなった(ボストン・ワシントン発とかセントルイス着などの処理が面倒)ので、ニューヨーク〜シカゴ間の簡単なものを作成した。

  豪華列車が走っていた事よりも、列車ごとの速度の差が結構あることのほうが面白いかもしれない。多客期には、同時刻の続行列車を数本走らせて対応したが、この頃であれば多くとも2〜3列車続行程度かと考えられる。なお、時刻や編成は平日のもので、休日には減便や寝台車の連結両数削減などがある。

 ちなみに、ここ数日日本ではブルートレインの削減のニュースが趣味界を賑わしているが、ニューヨーク〜シカゴ間は2005年5月の時刻改正で旧ペンシルベニア鉄道のルートを走行していた「スリー・リバーズ」が廃止となり、ニューヨークセントラル鉄道のルートを走行する「レイク・ショアー・リミテッド」1本とかなり南を迂回するかたちとなる旧チェサピーク・オハイオの路線(1956年時点では直通列車設定なし)を通る「カーディナル」号週3便のみとなってしまう予定である(ワシントン〜シカゴ間の列車として「キャピトル・リミテッド」も残っているが)。シカゴ〜ニューヨーク直通は所用時間16時間を要してしまうので使いにくいとしても、ピッツバーグ、クリーブランド、デトロイト等の都市を結ぶ列車はそれなりに利用価値があったわけで、そういう需要を上手く生かせていないアムトラックの施策(というよりはアメリカの連邦レベルでの交通政策)には多少問題があったのかもしれない。


<参考>
現在のアムトラック路線図


1967年の主要な旅客列車運行路線


ちなみに1960年代には旅客運行路線の大整理が行われていて、1967年の路線図は、大幅削減のあとの生き残り路線である。1956年の路線図、ましてや1910年代、20年代の路線図となると、複雑すぎてなかなか手におえなかったりもする。



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2004年11月28日作成