「アメリカ旅客鉄道史+α」トップ「アメリカの幹線旅客鉄道」表紙>アメリカ寝台車イラスト大全

アメリカ寝台車イラスト大全
長年温めていた、アメリカの主要な寝台車の外装、内装イラストを公開する企画
車種については今後順次拡張予定なのでご期待あれ
Plan2410 ヘビーウェイト 12-1寝台車(12-1 Sleeper)
−1910年−
 鉄道黄金時代のアメリカの標準的寝台車1910年から1923年にかけて2961両が製造された。また、内部レイアウトがほぼ同内容の後継車(Plan3410 1923〜1929 981両)や木造車(1880年代〜1910年)が存在し、それらをあわせた合計両数は5000両を超える。
  内部は、「セクション」と呼ばれた2段式の開放式プルマン寝台車が12区画、24人分、「ドローイングルーム」と呼ばれた3人定員の個室寝台が一室、男女別の洗面所兼更衣室(男性用は喫煙室を兼ねる)で構成されている。
  なおイラストの塗装はペンシルベニア鉄道仕様(厳密性にはやや欠ける可能性あり)。窓配置は初期型のもの(後期型はやや異なる)。

Plan2412 ヘビーウェイト 全開放式寝台車(16 Section Tourist Sleeper)
−1910年代後半−
  1910年から1922年にかけて370両が製作された全開放寝台車。定員は最大の32人。
  個室を持たない開放寝台車は使い勝手が良さそうなわりにあまり制作されていない。木造車時代のものを含めて500両程度が存在し、前述の2410に混じって使用された。
  ところで、この種の寝台車は普通車扱いの安価な寝台車「ツーリスト寝台」として最適である。16セクションの寝台車は老朽化すると真っ先に格下げ改造(絨毯の撤去、什器の簡素化等)が施され、西部の大陸横断列車で使用された。より安価な寝台車は、1940年に定員42人の3段寝台車等が試作されたが殆ど実用化されなかった。アメリカの長距離列車に充当される普通座席車は19世紀からグリーン車相当のリクライニングシートだったが、定員60人は確保できるそれらの座席者に比べて少ない定員と、昼間の居住性が問題になったのである。

Plan3583 ヘビーウェイト 全個室寝台車(All-room Sleeper)
−1920年代−
  大型個室(ドローイングルーム)7室で構成される全個室寝台車。シャワーつき個室寝台車などが登場する流線型車両の時代までは定期列車用としてはもっとも豪華な寝台車であった。この種の寝台車は少数で、20両ほどが製造され、ニューヨークセントラル鉄道の「20世紀特急」やATSFの「デラックス」、「カリフォルニア特急」用に使用される程度であった。
  ところで、アメリカは今も昔も超大金持ちが多いお国柄。「夢空間」のような風呂や居室と寝室が別になった寝台車などが好まれそうだが、鉄道黄金時代には定期列車用としてはそういった車両は製作されなかった。では大金持ちはどうしたかというと、専用車両を保有したりレンタルしたりして、定期列車に連結したり専用列車を仕立てたりして移動したのである。そういった車両は今でも「プライベートカー」として現存していて、時々アムトラックの列車に連結されているのを見かける事がある。

NYNH&H 2056 木造 全個室寝台車(All-room Sleeper)
−1910年−
  Plan3583の原型の全個室寝台車。ニューヨーク〜ボストンを結ぶニューヨーク・ニューへブン・アンド・ハートフォード鉄道が自社で寝台車を保有していた1910年に導入したものである。寝台車の鋼製化が行われる(車内保温などで優位であるという理由から寝台車の鋼製化は座席車に比べて遅れた)直前に登場した最後の木造寝台車の一つだが、車体の骨組みには鋼材がふんだんに使われている。
  なお、内装図は入手できていないので、Plan3583と同じものを使用しているので、実車とソファ周辺の構造に若干の違いがある可能性(ソファの代わりにクロークがある可能性が高い。夜行の中距離路線用なので、昼間の居住性が重視されないからである)がある。



Plan3523 ヘビーウェイト 全個室寝台車(All-room 6-3 Sleeper)
−1923年−
  全個室寝台車はオーダーメードに近い少数派であったのだが例外もある。ここに示したPlan3523がそうで、1923年から1929年に203両が製造され、フロリダ行きの列車を中心に各地の主要列車に連結された。
  車内は定員二名の「コンパートメント」と呼ばれるやや小さ目の個室6室と、大型個室「ドローイングルーム」3室で構成される。共同使用のトイレは一箇所しかないが、コンパートメントの客室には収納式のトイレがあり、これを利用する事が前提となっている。同様のトイレはアムトラックの平屋建て寝台車にもあるが、やや使いにくい印象はある。


南満州鉄道 一等寝台車イネ1(10-2? Sleeper)
−1908年−
  1908年に南満州鉄道がプルマン社より輸入した一等寝台車。
 室内レイアウトはオリジナル、セクション10区画と個室2室という寝台車は多く存在したが、たいていコンパートメントとドローイングルームが1室ずつ(ドアがついていてスイートルーム化可能)で、この車両のようにドローイングルーム2室は稀、このレイアウトで同時代に制作された車両は皆無である。
 1908年と言えば九州鉄道が発注した「或る列車シリーズが日本に到着した年である。「或る列車」が殆ど運用されず、ファンの間で伝説になったのに対し、満鉄のプルマン寝台車、食堂車は各3両ずつと両数があったこともあり、満鉄の主要列車で活躍を続けた。食堂車に至っては貴重な豪華食堂車ということで台枠の鋼製化改造を受け、「或る列車」が伝説の車両として紹介された1930年代まで優等列車用として活躍を続けていた。

イラスト:輸入当初の写真をもとに外装図を作成したところ、アメリカの鉄道車両そのものとなってしまったので、形式記号や寝台車の表記位置、社紋などを後期の表記スキームにしたがって書き加えている。「一等寝臺」の表記が左横書きになっているが、写真を元にしているのでこれは間違いではない(但し、ドア上の表記、車体中央の社紋表記がこの通りかどうかは不明、もし情報をもっている方がいたら教えていただければ幸いである)。

マン・ブードワー社 全個室寝台車
−1883年−
  1883年、ヨーロッパより帰国したウィリアム・ダルトン・マンが建造した全個室寝台車。
  ウィリアム・ダルトン・マンはワゴン・リ(国際寝台車会社)とオリエント急行の影の創設者。ワゴン・リ社の創設者、ベルギー人のジョルジュ・ナヘルマッカーズは彼に資金と個室寝台車のアイディアを借りてヨーロッパでの寝台車運行をはじめたのである。
  そうした経緯から、この車両は当時のワゴン・リ社の寝台車の室内レイアウトに良く似ているが、これだけの豪華寝台車は当時のヨーロッパでも稀な存在であった。寝台車は基本的には1等と言うアメリカでの習慣にならい、この車両は全室1等、また大型のボギー車として建造されたのであるが、1880年代、ボギー車の寝台車はヨーロッパ全土を合せても100両程度しか製造されず、その多くが1等、2等混成であった。マン社が制作した寝台車は50両ほどで、当時すでに500両以上を保有していたプルマン社に比べると小規模であるが、ヨーロッパの寝台車の情勢に比べれば大規模だったのである。

イラスト:塗装に関する情報がないので、かなり脚色を加えている。車体色は、黄色、黒色、緑の三説があるが、ここではオリエント急行のイメージで勝手に青色にしている(但し、当時のオリエント急行の塗装は青色ではなかった可能性が高い)。また、名称表記の飾りはもっときらびやかであったと言う。どちらにせよ、この車両が当時の人間が驚嘆するような豪華寝台車であったことは確からしい。なお、屋根上に日本の寝台車のエアコンのような構造物があるが、その正体はやはりエアコン。氷冷の機械式で、夏季には個室に冷気を送る事が可能であったという。また、左側車端の小部屋には厨房があり、乗客に軽食を提供する事が可能であった。
参考文献

掲示板(ご意見、感想など書き込んで下さい)

「アメリカ旅客鉄道史+α」トップ「アメリカの幹線旅客鉄道」表紙>アメリカ寝台車イラスト大全


更新略歴
2008年1月3日 作成