アメリカ旅客鉄道史実地見聞録アメリカ旅行記>(9)アムトラックの中距離列車

(9)アムトラックの中距離列車
  シカゴ→アナーバー
 
シカゴ〜アナーバー間の「ウォルバリン号」
いい感じと思ったが、実は最後尾写真(この車両はエンジンを抜き取った緩急車代用車)で写真はピンぼけしている・・・

  このときの旅の目的は資料探し。といってもやみくもにやったわけではなく、オンライン検索で大学図書館での蔵書を確認している(1)。行き先はミシガン州アナーバー、ここにはアメリカのヨーロッパ行きの時と同様で、今回の場合は恩師が研究目的で滞在していて、会いに行こうという目的もあった。アナーバーには北米の公立大学の雄(2)、ミシガン大学があって、日本語関係の書籍はとりわけ充実している。
  さて、その恩師には「そんな乗り物乗る人いないよ」と笑われてしまったが、私の移動手段はアムトラック。特殊事例と言われてしまったが、アナーバーは最寄の空港(デトロイト空港)との直接の公共交通アクセスがないので、自動車を持っていない層、車を買う前の学生とかであればそれなりに有効な交通手段である。

移動のスタートはここ、ユニオンステーション

大待合室の様子

カメラをもってうろうろしていたら「日本人って写真撮るの好きだね、あのやる気ない
連中も写真に撮ったら」と冗談を言われる。こっちも暇(ホームに出て写真が撮れな
い)なんで、カメラを向けたら大うけしていた・・・。

思いっきりピンぼけしているが、アムトラック待合室の様子

車内から撮ったプラットホームの様子
  最初はお約束の駅構内の風景写真撮影。
  ユニオンステーションは1874年に開業、1925年改築、かつてのシカゴにはディアボーン・ステーション、ラ・サール・ストリート・ステーション、ノースウェスタン・ステーション等いくつか駅があって、ニューヨーク・セントラル鉄道の「20世紀特急」やハリウッドスターが愛用したサンタフェ鉄道「カリフォルニア特急」「スーパーチーフ」の発着はそっち、ユニオンステーションは、ペンシルベニア鉄道、バーリントン鉄道、ミルウォーキー鉄道の中心駅であった。ここを発着した列車としては、ニューヨーク行き「ブロードウェイ特急」、サンフランシスコ行き「カリフォルニア・ゼファー」、シアトル行き「エンパイヤ・ビルダー」などが有名である。
  建物の外見は古代ギリシャやローマを思わせる列柱が並んでいて、中に入ると駅に使うには勿体無いであろうという感じの巨大な空間が広がっている。この空間は「大待合室」あくまでも文化財という位置付けなのか、一階の空間には古風なベンチは並んでいても、切符売り場や係員の誘導があるメインの「アムトラック待合室」はこの奥(小さなテレビモニターはある)。というわけで、発着時間の近い列車待ちの客はアムトラックの待合室で待機、この空間は時間を持て余した、という感じの列車待ち客がうだうだしている緊張感の欠ける空間となっている。
  一通り写真を撮った後、アムトラック待合室へ。大待合室が壮大な空間な割に、アムトラック待合室は貧弱で東京駅の地下待合室の天井を低くしたような空間に長い列が出来ている。改札は発車15分前とかそんな感じなので、改札開始近くなると長い列が延びるのである。まもなく改札開始で、これまた地下街の入り口扉のような狭いゲートをくぐるとプラットホーム。通勤列車用のものも含め、28本の発着線があるのだが、ホームといっても車庫の作業員用通路を3メートルほどに広げたような代物で、売店があるわけでもなく、ここもあまり壮大な感じはしない(屋根があって薄暗いのが車庫、という印象を強めている)。ゲートで、「どこそこ行きなら何号車」というような事を言われたが、良く分からないので、列車の乗降口で確認したあと乗り込む。荷物積み込みのようなばたばたとした乗車が完了すると列車はごとりと動き出した。どこゆきかは確かめる暇はなかったが、停車中の長距離列車には古風な展望車が連結されていた(アムトラック路線での走行装備を持つプライベートカー、1日40万円〜で貸切可)。写真に撮る暇はなかったが、「へえ、本当にこんな車両動いているんだ、と感心する」。
 シカゴ近郊の鉄道路線図
黒:鉄道路線 青:通勤鉄道路線 赤:今回の列車のルート

  ユニオン駅を出発すると、列車はシカゴ南部の住宅地をゆっくり南下する。地図をみると直線主体で速度も出せそうなのだが、引込み線や貨物支線が無数に分岐しているシカゴ市内は駅構内の延長だから、速度は出さなくてもいいという事なのだろうか。ユニオン駅から写真Aの高速道路との交差地点までの距離は12キロほどだが、20分かかっている。
  しかも、といっては難なのだが、沿線はかなり荒れ果てている。ガイドブックにはシカゴ南部は治安が悪いから行くなとあるが、まさにそんな雰囲気で、とても外を歩けそうにない荒れ果てた街並みが広がっている。昔はもっと活気のあったところのようで、立派な教会があったりはするのだが。
  写真Aの高速道路との交差を渡ったあたりで列車は何故か停車(抑止?)。どうもシカゴ南部は貨物列車が輻輳するらしく、待たされるらしい(ちなみにこの間、警察orマフィア?、という感じの車掌のおっさんが、無線機のレシーバーになにやら怒鳴りながら車内をうろうろ、彼に「何で遅れてるんだ、俺は客だぞ」と文句をつける人はいないだろう)。30分くらい停車した後、列車はごとりと動き出す。このあたり(シカゴに隣接するインディアナ州のギャリー市)も治安が良くない事で有名な場所であるが、列車は海岸部を走るので大規模な工場を走るのであまり気にならなかった。そうこうするうちに、インターアーバンサウスショアー線の併用軌道で有名なミシガンシティに到着(どこかでサウスショアー線と併走するのであれこれ探したが良く分からなかった)。

写真Aの場所 あんまり治安の良くなさそうな郊外

その近所の風情を感じる教会
  さて、列車の速度は上がらず、景色は変化は見られるものの、窓が小さい上にくもっていて写真を撮るにも興が削がれるという感じであったので、私はカフェカーに向かった。
  カフェカーというのは、要はビュッフェの事である。この列車は4〜5両の短編成であるが、比較的長時間走行するし、駅等にも売店がないので、律儀にも供食サービスを行っているのである。何故か写真が残っていないのであるが、カフェカーは車内を3分割して、中央がマクドナルドかドトールコーヒーかという感じのカウンター、一方の端はカウンターで買った食べ物を食べるスペース、もう一方の端は若干の追加料金で利用できるビジネスクラス(仕切りがしっかりしていなくて、カウンターから中の様子が丸見え、「ビジネスクラスというから試しに乗ってみたけど、カウンターが騒々しくて居心地悪い」という感じの表情の年配客が多かった記憶が・・・)、という車両。
  イタリアなんかの食堂車とは比べるべくもなく、供食スペースの印象は殺風景(ただし、イタリアの食堂車のビュッフェコーナーと同じような感じだったが)、食事もサンドイッチとレンジで解凍するだけのホットドック、ハンバーガー、ピザ程度。但し、いずれも日本のように特殊な場所だから場所代込み、ということにはならないようで、日本の車内販売や駅売店より安く、コンビニやファーストフードと同水準の価格、コーヒーに至ってはこんなに安くていいのかというような安価(1.5ドル程度)で提供されていて、そのくせそこそこ美味しい。食にこだわらない文化のおかげか、値段が安いからか、はたまたコーヒーのおかげか、こういうところでジャンクフードを買うのが好きなのかは良く分からないが、カフェカーは大繁盛であった。
  ちなみに、隣にあるテーブルは、乗務員の作業スペースも兼ねているようで、さっきのごつい車掌のおっさんが同僚と一緒に、乗客から回収したチケットの半券をテーブルに山積みにして集計作業中。その様子はギャングが今日強奪してきた金品を整理整頓・・・という感じであった。ひとまず、ホットドックとコーヒーを購入して私は客室に戻る。
これは専用線に入る直前だった筈なのだが、どうも亜幹線を走るローカル列車といった雰囲気・・・
もともとニューヨークセントラル鉄道の幹線ルートの一つで、デトロイトを
結ぶ高速寝台列車などが数多く走っていたはずなのだが

アムトラック専用線の証拠
保線基地とアムトラック車籍の有蓋車(保線用機関車もあったような)
  列車はインディアナ州とミシガン州の境あたりでアムトラックの専用線へ、先ほどの運転停車をここで回復するのかと思いきや、そこそこスピードは出てるものの、最高速度144km/hのところを110〜130km/hしか出していない感じで遅れは蓄積する一方。先の車掌は例の怒り口調でなにやら放送しているが、「気温が100度を超えているため、列車遅延」としか聞き取れない。気温が高いために速度が出せないというのは、エンジンの不調なのか、それともレールに歪みでも発生しているのか、とあれこれ考えたが、結論は出ないし、補足してくれるような放送もない(注3)。まあ、 まあ、遅れは予期していたことなので、外を眺めて過ごす。
  外は湿地と畑が延々と続く。途中ミシガン州ナイルズあたりからは、1930年頃まで存在した電鉄路線と並行するので、廃線跡らしきものが見当たらないかと思ってあれこれ探したが、それらしきものは見出せなかった。それよりも興味深かったのは、沿線の駅舎。おとぎ話にでてくるような感じの、貴族の屋敷と城と教会を掛け合わせたような洒落た駅舎が次々と登場すること。20世紀初頭のアメリカの建築は、ヨーロッパの古い建築を真似たものがおおく、20世紀初頭に町の威信をかけて建設された駅舎は特にそうなってしまうのである。勿論、一般的なアメリカのイメージにあてはまる無機質な駅舎というのもたまにあるのであるが、数は少ない。


ミシガン州ナイルズ駅

同カラマズー駅

同ジャクソン駅
  結局列車の遅延は回復せず、目的地のアナーバーには大体1時間遅れで到着した。時間は夜の8時。薄暗い・・・と言いたいところであるが、緯度が北海道並み、経度からしたら中西部の時間帯でもいいところを1時間早い東部の時間を適用している。しかも夏時間、夏至直後と言うことで、まだまだ明るい(調べてみたら日の出が6時、日の入りが21時とのこと)。
  駅からの交通は全く考えていなかった。事前にホテル近辺のバス路線の有無は確認しており、町の中心部のバスターミナル(1キロほど先)まで歩くか連絡バスでもあればそれに乗って乗り継いで・・・という考えがあったような気もするが、バスはないし、駅前だと言うのに道は細くて(片側1車線はあったと思うが)、土地勘のない私を町の中心部まで連れて行ってくれそうな大通り、というのもない。こういう場合に、日本ではタクシーを拾えばいいのであるが、皆車を持っていることが前提のアメリカの田舎では流しのタクシーは皆無。幸いこのときは駅前にタクシー(といってもSUVにタクシーの標識をつけたようなもの)が一台だけ止まっており、相乗りをさせてくれるということなので、これに乗ってホテルに向かうことにした。乗客は3〜4組、ホテルまでは約5キロで、運賃は確か12ドル。相乗りでこれは高いとその時は思ったが、よく考えてみれば距離からいえば安いし、最初に向かったのは私のホテルであったので、かなりお得だったかもしれない(後述する予定だがバスが安いのでその比較で高く感じた可能性がある)。
  ホテルは1泊40ドルで台所付き、目の前にショッピングモールがあり、そこで何か買って夕食を調理する、という予定であったのだが、巨大ショッピングモールには飲食店はあっても食品スーパーがない。シカゴで泊まったのもユースホステルで自炊用のパスタとかは残っていたので、これを調理して夕食とすることにした。
 

1)便利な世の中になったものである。もっとも、場当たり的に市役所の公文書とかを漁っても面白い資料が出てくることもあるので、そういった行動も重要であろう。
2)ここの評価によると世界18位、ちなみに東大は19位、良く考えてみればこの頃(2004年〜2005年)は東大の本郷キャンパスの図書館で読書(電鉄関係の古雑誌を読む)をして息抜きをするのが楽しみだった。
3)機関車の性能が悪いのでは?とその時は思ったが、1週間後に乗ったカナダのVIAの列車は同じ機関車で最高速度150〜160km/hで疾走していた。線路もそんなに悪かった記憶はない。やはりヒアリングの問題か?

アメリカ旅客鉄道史実地見聞録アメリカ旅行記>(9)アムトラックの中距離列車

2009年8月28日作成