アメリカ旅客鉄道史実地見聞録欧州旅行記>14.シティ・ナイト・ラインの良さとは

14.シティ・ナイト・ラインの良さとは

シティナイトライン「ポラックス号」の1〜2人用個室寝台車の通路
といってもこの車両はワゴンリの伝統的な寝台車そのままの内装であったが
(塗装はDBカラーだったが何となく変、TEN時代の塗装そのままが良かったのかもしれないが)

 ミュンヘンに到着したのは晩の8時であった。予定ではもう少し早めに到着して市内観光をするつもりだったのだが、その分の時間はウルムでのショッピングセンター視察に費やされてしまっている。
 私は駅の一角にあるシャワールームで7ユーロ(今考えると随分高いが)でシャワーを浴び、駅前でトラムの写真をとった後、駅に舞い戻った。とにかくミュンヘンに来たのだから、ビールは飲まなくてはならない。駅前に風情のあるバーでもあればいいのだが、一見した限りすぐにはみつからなさそうだったし、フードコートがにぎやかだったので、そちらで目的は達成されると踏んだわけである。
 ミュンヘン駅は端頭式だが、屋根はドームではなく、鉄骨の目立つ平面屋根である。勿論天井は高く、空港のターミナルを思わせる構造になっている。フードコートはホームに面して設けられていた。
 フードコートには椅子席のレストラン風の区画と、立食の区画があった。立食といえばファーストフードが思い浮かぶが、紙に包んで出すという点ではファーストフードだが、カウンターで調理されているものは多種多様。なんと、グリルでは鳥の丸焼きが焼かれているのである。
 鳥の丸焼きに私はかなりそそられたが、さすがに食べるだけ食べているのでそれは遠慮し、足を一本注文。ビールについては日本では「生中」で終わるところが10種類くらい(!)あったが、ドイツ語の表示を見てもちんぷんかんぷんなので、「ミュンヘン ヘル」という表示をみてこれを注文。もっとも、近くでビールをあおっている人間は大抵別のものを飲んでいたのでこれが適切だったのかどうかは微妙であったが。
 ちなみに帰国して調べてみると、ヘレスは日本のビールに近い淡色のラガービールの事で、日本のビールに近いものであるとの事。日本のビールより軽い感じですいすい飲めたのが印象的である。ドイツ人のおっさん連中と一緒に立食のカウンターからホームを眺めていると、日本人の団体観光客が「何ここ、怪しそうだけど美味しそうね」という顔をしてこっちを見ながら通り過ぎた。
シャワー設備のある有料トイレ やたらと綺麗で男女が会話しているのがやらせっぽく、美容院のポスターのようだが私が撮影

なかなか良い雰囲気に写っているミュンヘン駅前
(実際はこんなに牧歌的ではなかったような気もするが)


駅のフードコート

ここは日本でいうサンドウィッチやおにぎりの販売店なのだが鳥の丸焼きが・・・

売店にはカップめんも 値段は200円くらいで、上のボリュームのある鳥の足とほぼ同価格

 そうこうしているうちに10時が過ぎた。入線時間を確認するほど私はまめでないので、適当に頃合を見計らってホームに向かうと、すでに列車は入線していた。私がこれから乗車する列車は、シティナイトライン「ポラックス号」アムステルダム行きである。
 シティ・ナイト・ラインは、ドイツを中心に数カ国が出資して設立された夜行列車運行会社である。御多分にもれずヨーロッパの夜行列車も衰退気味なのであるが、日本ほど超高速鉄道が発達していないヨーロッパにおいては、ニーズが皆無になったわけではない。しかし、1980年代までの経営は多くが国際列車という問題もあって、当時の日本国鉄の夜行列車以上に旧態依然。日本でA寝台+B寝台+グリーン車+普通車といえば1970年代の急行列車だが、ヨーロッパでは1980年代後半までこれ(1・2等寝台+クシェット+1等車+2等車)が当たり前だったので、それが衰退の一要因となっていたのである。これにメスを入れたのが、ドイツのICNで、これが現在のCNLに発展する事になったのである。
 CNLの特色は、色々とあるのだが、車両設備でいうと3つが挙げられる。すなわち
(1)寝台車のグレードアップ
(2)供食設備の設置
(3)リクライニング座席車の設定
 である。中でも私が興味深く思ったのは供食設備の設置という点である。1990年代初期のヨーロッパでは日本以上に夜行列車の食堂車が衰退していて、スペインの全車個室寝台のバルセロナ・タルゴや、ソ連型寝台車を連結し長時間走行する東欧の夜行列車などの一部例外を除けば夕方に出る寝台列車でも食堂車がない事が当たり前であったのだが、これが覆されたのである。食堂車充実への試みはICNなどで行われたが、これがCNLの他、NZ(ドイツ国内の夜行サービス)、ICN(同名だがイタリアの夜行サービス)、アルテシアナイトなどにも波及し、私の見る限りでは特にドイツ近辺において食堂車やビュッフェを設けた夜行列車は以前より増加しているのである!

 そういうCNLなのだが、オランダ国内に直通する「ポラックス号」はやや異端児で、寝台車は2階建ての新型車ではなく塗装変更の改造車主体。しかも、また、スキーシーズンと春・夏の観光シーズンとの間の端境期であるせいか、この日の編成もごちゃごちゃしていて、CNLカラーの車両と、ドイツ鉄道色の客車が入り混じっていた。また、CNLカラーの食堂車は連結されているものの、営業休止中、代わりにドイツ鉄道色のビストロ車が連結されていた。
 とはいえ、シティ・ナイトラインの特徴はちゃんとあって、2等座席車はヨーロッパでは珍しいリクライニングシート。後で荷物を置いた後に写真を撮っていたら、少々興奮気味のおっさん(同好の人間か?)に「すごいだろう。ここが俺の座席なんだぜ。」と自慢される。日本の独立三列シートの高速バスとか「レガートシート」とかを知っている私としては、「別に」と答えたい気分であったが、話の腰を折るのはいかに西洋文化圏であってもまずいかと思い、「すごいですねえ。」とお茶を濁す。しかし、寝台料金6000円の日本ではこういった座席は重要だが、1800円のクシェットがあるヨーロッパでリクライニング座席車を設ける理由がよくわからないし、適当に利用者が存在している理由はもっとわからない。シティ・ナイトラインは深夜は無停車で突っ走るので、短距離利用というのをあまり重視する必要はないはずなのであるが、何らかの形で座席車を残す必要があったのかもしれない。ヨーロッパには全車寝台の夜行列車はほとんどないのである。
 ビストロ車、リクライニング座席車、クシェット、エコノミー寝台と車両は続き、私の乗り込んだ寝台車は前の方に連結されていた。ドイツ鉄道色の車両である。
 ドアの前にいる、客室乗務員のオバサンに寝台券を見せた後、乗車。通路や客室の壁は木目調、古いといってしまえばそれまでだが、1930年代の車両を使用したVSOEを少しだけ近代化・低コストしたような内装なので、なんとなく納得できてしまった。
 この車両は、WLABmhという形式名をもつ寝台車で、1970年代前後に広く使われた寝台車である。平屋のツインデラックスと同じくらいの大きさの個室が11室あり、ベットは、シングルか、2〜3段ベットを選択可能。1〜2人で使う場合は一等個室、3人で使う場合は2等個室という扱いになる(現在、ドイツ国内の夜行では2人用個室は2等扱い)という使い勝手の良い車両である。
 雰囲気には満足したが、謎が残った。私の乗った車両は2人用のセッティングをしてある。しかし、乗車券には上段とも下段とも書いていない。部屋の前にある番号表示は3つ番号を表示してあって、この部屋だというのはわかるものの、何段目に寝ればいいのかは皆目見当がつかない。先ほどのオバサンが朝食の時間を聞きに来た時に、相部屋になるかどうかは確認したのだが、上段か下段かは教えてくれない。まあ、相客は真夜中に乗車するとの事だったので、邪魔をしないよう、上段で寝込んでいることにした。
 そうこうしているうちに、列車が動きだした。日本でいうツインデラックスの1人使用のようなものだから優雅なものだが、完全に自分のものではない個室というのもなんだかくつろぎにくい。一杯やってから寝ようという事で、ビストロ車に出向いた。
寝台券

通常DBカラーの古めの客車だったが、
古風な感じの寝室だったので得した気分であった

私の車両とは正反対の近代的な4人室

料金的には寝台とあまり変わりなくお得感の低いリクライニング座席車

ビストロ車の様子

自転車積載が可能な車両

その内部
 ビストロ車というのはビュッフェの事である。トマス・クック時刻表では全区間食堂車連結とあるのに何故だろうと思ったが、シティ・ナイト・ラインの他の乗車報告を読むと、席数の少ないレストラン、という記述が出てくる。これはもしかしたらそういうものかもしれない。タバコの煙でちょっと煙たいバーカウンターの奥に、いくつかテーブル席が用意されている。テーブル席は、2区画に分かれていて、一方の区画だけ混んでいたような記憶がある。テーブル席は少し魅力的だったが、空いている区画はどうも座ってはいけない感じがする。迷っているうちにウェイターがやってきたのでバーカウンターで我慢する。要するに、空いている区画は禁煙区画で、寝る前に一服+一杯を狙った客には関係ないということに気づいたのは帰国後であった。
 私は蒸留酒を注文した。みなさんビールを味わっているのだが、ここまで相当食べまくっている私には、炭酸の入っている酒など腹に入れる余裕はない。それでいて思い出作りのために車内のバーとは生意気な話ではあるが。「ロックにしてくれ」といったら氷がないといわれ、ストレートで頼んだら、凍らしたグラスに入れて持ってきてくれた。サービスが良いのだか悪いのだかわからない(そもそも、ロックというのがヨーロッパで一般的なのかどうかもわからないが)。
 外は闇夜である。私は蒸留酒をちびちびやりながら、人物観察をして時を過ごした。残念ながらドイツ語がわからないために、会話の内容が推測できないのが残念なのだが、「日本ではありえない事」が観察できるので面白い。テーブル席で一杯やっていた若い女性は、やってきた警察風の男数人に、パスポートを調べ上げられた後、デッキに連れて行かれてしまった。「スパイ大作戦?」それとも「北北西に進路をとれ?」などとどぎまぎしたが、念願のスパイ捕獲に成功したのか、それともパスポートの期限切れ(入国審査がいいかげんなので国境を簡単に通過できたとか)とか大した事のない話なのかはよくわからなかった。

 客室に戻り、私は床についた。まもなく、相室の客が来たので、挨拶だけして寝込む。深夜1時ごろまではいくつか停車駅もあるのだが、日本の客車列車でよく問題になる列車の発着時の揺れはなかった。しかし、出力が8000馬力以上ある101型電気機関車の牽引で加速は通勤電車級。床は進行方向後ろ、ベッドは前方にあるので、列車が加速する度に、私は床の方向に引っ張られる。床に落ちてはたまらないということで体に力が入るので、揺れや振動が少なかった割には良く眠れなかった。やはり、寝台は加速で転げ落ちることのないプルマン式に限ると思ったのだが、いかがであろうか。
ちなみに、朝食はこんな感じ


<解説>
○個室11室−西ヨーロッパ標準規格の客車の車体長は26メートルで、車掌室とかの設備があるとはいうものの、日本の(客車の)シングルデラックスよりはゆったり目。この室内レイアウトは、ウィリアム・ダルトン・マンの寝台車の伝統を引き継ぐもので(初期のオリエント急行用ボギー寝台車とワゴン・リ社ナヘルマッカ−ズに売却した後をウィリアム・ダルトン・マンがアメリカで建造したマン・ブードワー社の寝台車の室内レイアウトは非常に似ている)120年ほどの歴史を持つ(3段寝台対応は戦後のことだが)。

アメリカ旅客鉄道史実地見聞録欧州旅行記>14.シティ・ナイト・ラインのラインの良さとは

2006年6月9日作成 ちなみにウルムに続いて加筆がはやいのはこの記事だけ先に作成していたから