アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

シンガポール・マレーシア見聞録(1)
2011年1月1日

  年末年始というタイミングに合っているのかどうかはよく分からないのであるが、4月末〜GW中ごろに行ってきたシンガポールとマレーシアの見聞録を公開する。
  両国が行き先となった理由は、「低予算で、できるだけ遠く、かつ鈍った英会話の修行がある程度できる場所にいきたい」というもの。シンガポールは東京から5000キロで飛行機で約7時間。近すぎず、かつ夜行便にならない絶妙な距離で、正規割引航空運賃は33000円、それに加えてシンガポールは英語が第二公用語という事で行き先としては申し分ない。ただ、シンガポールだと「鉄道旅行」の要素が少なく、それでは面白くないということで、シンガポールからマレーシアのクアラルンプールまで行く夜行列車に乗って、ついでに風光明媚で有名なマラッカを訪問する事となったのである。
  目的は観光であったが、先進国シンガポールはともかく中進国マレーシア(私が先進国以外で出かけた国はメキシコのみ)で自動車が当たり前に普及している事には肝をつぶしたといってもいいであろう。そのあたりの事情についても若干見学してきた。


<1日目(1) 東京〜シンガポール>
  利用した航空会社は全日空。実は国際線で日本の航空会社に乗るのははじめて。
  サービスは普通で、以前乗ったオーストラリア航空のサービスが日本語になったという感じだろうか。機内食は付け合せ(ホタテの貝柱他)がしっかりしていたのが良い感じであったが、料理は選べなかった。魚と豚から選べるのであるが、イスラム教徒のマレー人が多く乗っていたために魚のほうが足りなくなってしまったのである。マレーシア方面への接続が良い事を考えるとマレーシアの乗客が必然的に多くなるわけで、その点考慮して機内食を積み込めているのか?という点が少し気になった。
  機内では、隣に座っていたシンガポール人のカップル(彼女のほうは中華系マレーシア人)と仲良くなった。北海道旅行にいった帰りとかで、「時計台って以外に小さいでしょ」「シンガポールではどこ観光するの?」と話がはずむ。予定では空港に連絡している地下鉄に乗ってシンガポールのマレー鉄道の駅まで行く予定であったが、「マレー鉄道の駅なら我が家に近いし、送っていってあげるよ」という言葉に甘えて、タクシーに便乗、中華街の屋台で夕食をごちそうになる。
シンガポール:中華街近くの団地にあったドリアンの店
右奥にはカットされたドリアンのパックが並んでいる

シンガポールの中華街
なぜか注目を集めているが、日本人旅行者(私)と現地人が同化して写真を
撮っている様子が奇異にみえた?
<1日目(2) マレー鉄道の夜行列車>
  マレー鉄道のシンガポール駅は、マレー鉄道(マレーシア国鉄)が管理する駅で、雰囲気はシンガポールというよりはマレーシア。駅の係員は非常に対応が良く、私が日本でネット予約したチケットを見せ、
「乗車券に交換する必要はありますか」と聞くと、
「それ、『イーチケット』だからそのまま乗って大丈夫ですよ。
でも、本物の乗車券が欲しいんですよね
 と言って、乗車券に引き換えてくれる。この後の日程でも感じたのであるが、当地の観光業に携わる人間は、旅行者の心理を察した対応をすることに長けている。これは前回のヨーロッパ行きのバンコクの空港でも感じた事で、「敬語を連発すればそれでよし」みたいな感じになってしまっている日本の接客対応よりも個人的には好感が持てる(※1)。
  列車はすでに入線していたが、改札が始まったのは出発数十分前。中華系やマレー系のマレーシア人他、インド人やタイの僧侶と思しき人、欧米の熟練者っぽいバックパッカー、新品のザックと地球の歩き方で初心者っぽく見える日本人の若者・・・と乗客は多様であった。
  さて、私が乗った寝台車は二等寝台車、寝台は線路方向にベットがあるプルマン式。寝台形状は日本でいえばA寝台相当でお得感があるが、車端まで寝台を並べ、定員は40人と日本の二段式B寝台車よりも多い。下段をとっていたのであるが、何人かお年寄りを連れた女性に「席を交換してもらえないか」と頼まれ、席を譲る。車掌さんにひとこと言っておいて、と念を押したら、後で車掌さんに「席の交換はお客さん同志の話なんで・・・」と、なんだか日本的な事を言われる。
  夜10時45分、列車は定時にシンガポール駅を出発する。後は寝るだけ・・・と言いたいところであるが、マレーシアに入る前にシンガポールの出国審査を受ける必要がある。マレーシアの入国審査はシンガポール駅で実施するので変な感じであるが、もともとシンガポール駅で両方やっていたのを、列車から飛び降りて不法入国するような人を抑止するためにこうした・・・らしい。列車内ですべて完結するヨーロッパとは異なり、乗客は全員列車を降ろされて、出国ゲートを通る必要がある。面白いといえば面白いのであるが、なかなか眠りにつけない。マレーシア最初の駅、ジョホールバルの次の駅あたりまで起きていた記憶がある。
シンガポール駅構内 中線は機回し線

二等寝台車 ちなみに車体は韓国製

車内の様子、プルマン式だが雰囲気は日本のA寝台車というよりは、電車三段寝台を
二段式にしたような感じ、といったほうがいいかもしれない。トイレ・洗面台があまり
立派ではないので利用する人は要注意。
<2日目(1):クアラルンプール駅>
  この夜行列車は女性(おばちゃん)や高齢者が多かった。寝台料金は約3000円で、高速バスの倍で飛行機の格安運賃並。コストや時間よりは安全性や乗り換えの簡便さを求める人の利用が多いという事だろう。早起きのおばちゃんたちの会話で目を覚ましたが、騒々しいというよりは、まだ庶民の乗り物であった1980年代の頃の東北本線の夜行列車(途中駅での下車が結構多い)を思い出し、心が和らぐ。徐々に明るくなる車窓が格別であったが、車窓自体はジャングル中心なものの、私が感じる風情は日本の昔の夜行列車そのものであった。
  マレー鉄道は単線であるために遅延が多い。この列車も1時間遅れてクアラルンプールセントラル駅に到着した。
  駅は近代的で、空港or京都駅のような感じの構内を、通勤客がさっそうと歩いている。ひとまずシャワーを浴び、その後フードコートで朝食を食べる。近代的な駅舎に違わずフードコートも清潔であったが、さすがに物価は安く、飲み物を入れて200円もしなかったと思う。駅前には大きな道路があり、アメリカほどではないものの、自動車であふれていた。

夜明け前のクアラルンプール近郊の駅

終点のクアラルンプールセントラル駅

駅前の様子
<続編予定>
2日目クアラルンプール⇒マラッカ
3日目マラッカ
4日目マラッカ⇒シンガポール
5日目シンガポール
6日目シンガポール⇒日本

※1)(以下愚痴・・・)日本のサービス業の質は世界一、と自画自賛される事が多いけど、実際どうなんだろう、と思う事は多い。安価なチェーン店でも敬語で対応はしてくれるけど、値段表が見難いとか、エアコンの適度な調節ができていないとか、肝心なところでサービスの手が抜かれている事は多い(こないだも、数時間前に電話で人数変更してOKと言っていたのに、時間になって行ったら料理の数を減らせない・・・とマニュアル応答するチェーン居酒屋があった、当日人数変更できないのは致し方ないとして、電話で人数変更したときにその事伝えてほしい、と思ったりもするのだが)。

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2011年1月1日作成