アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

ラオスで都市間バスに乗ってみる

今回のバスルート
距離は670キロ

  時期がずれるが、マラヤンタイガートレインに乗る2か月前、ひょんな事から、名目GDP1000ドル未満(※1)という典型的な開発途上国であるラオスの、そのまた開発の進んでいない地方都市、パクセ(Pakse)に出掛ていた私。
  パクセは首都ビエンチャンから670キロ離れたところにある。横浜〜岡山間にほぼ匹敵するという表現が適切だろうか。パクセの人口は約10万人、パクセのあるチャンパサック県の人口を合計すると50万人であるが、経済発展がまだまだであり、高速だが高価な航空機需要は極めて小さく、この区間を飛ぶ便は、50〜60人乗りの小型機が「週に」11便。しかも、ビエンチャン発6:30、7:35、8:30のいずれかという(平均2便位あるんだから、午前・午後にすればと思うのだが)、使いにくい時間に運行されている。
  庶民の足は長距離バス、ビエンチャンを夜20時でるVIPバス(途中客扱いをしないバス)は10時間で両都市を結ぶ。さすがに狭い椅子に10時間だと大変だが、ラオスには「寝台バス」がある。それに、パクセで会う予定の大学の先生は出張でベトナムにやってきたとき、わざわざヴィエンチャンまでこのバスに乗ってきていた。というわけで、このルートを少し試したくなったのである。
 


  今回の旅程は、日本⇒(空路)⇒クアラルンプール⇒(空路)⇒ビエンチャン⇒(陸路)⇒ウドンタニ(タイ北部)⇒(陸路)⇒ビエンチャン⇒(ここで紹介するバス)⇒パクセ⇒(空路)⇒ホーチミン⇒(空路)⇒クアラルンプール⇒(空路)⇒日本 を10日で済ませるというもの。仕事と観光という違いはあるものの、何カ国も周遊する感覚は8年前に出掛けたヨーロッパ旅行と同じでうきうきする(回を重ねる毎にかける費用は縮減の傾向にあり、10日でかけた食費は8000円程度、ヨーロッパ旅行の時の多い日の1日分と同程度、ホテルに関しては、ベトナムホーチミンでは国営の高級ホテルに宿泊したが )。バス乗車は旅程4日目で、タイでの所用を終え、タイ・ラオス国境に立ったところで物語は始まる。

おわび:
実はカメラを失くしてしまって・・・(肝心な寝台バスの写真も消失・・・)
以下の写真は念のためバックアップしていたデータから再構成したものです

タイ〜ラオス間、メコン川を渡る橋の様子(2日目 ビエンチャン⇒タイ 移動の時のもの)
満員のバスは、私をステップにのせるとドアも閉めずに走りだした(まさに途上国のバス・・・)
それを利用してこんな角度から写真を撮ってみた・・・
この橋、タイ〜ラオス間直通鉄道の軌道が通る併用軌道橋である

ラオス側国境ゲート
(車と公共交通利用者のための出入国管理施設+サービスエリアのような施設が備わっている)

  タイの仕事のパートナーと別れて最初に出会ったのはタクシーの勧誘。パクセ行きの長距離バスターミナルまで1300円ほどで行ってくれるとの事。
  私の頭の中にあるマニュアル「海外で危険な目に遭わない方法」に従えば、この種の勧誘は断ったほうが良いのだが、タイ側のパートナーと一緒に国境のゲートをうろうろしていたときに出会った勧誘(1500〜1800円程度)に比べて胡散臭くない程度に安い(タイに出掛けたのは別用で、帰宅ついでに客を拾えるからということであろう)。一番安いのは市内までバス(60円)で行き、そこからバスターミナルまでの移動手段を探す方法なのだが、このバス、冷房無しのマイクロバスで、時間がかかる(80キロは出しているのだが、もっと速度を出す長距離バスやタクシーに比べ遅い)。タクシーなら市内を通らずに直接バスターミナルに行けるので、所要時間は相当短縮できる。国境連絡バスの車内で、「予算10ドルって考えていたんだよね」としばらく牽制した後、結局勧誘のタクシーにのってバスターミナルに向かう事にする。
  相場を考えると高くないとはいうものの、1300円はこの国では数人で宴会が出来る値段。というわけで、値段的にはちょっと不満はあったものの、時間的にはタクシーを選んだ事は正解で、タクシーは順調に走行し、30分ほどでバスターミナルに到着。

  郊外のバスターミナルという事で、私は、新設の立派なバスターミナルを想定していたが、バスターミナルは赤茶けた地面がむき出しの広大な空き地で、その一角に切符売り場兼待合室がある。砂埃立つ中に多数のバスが待つ姿に衝撃を覚えていると、タクシーの運転手はその中の一台に私を引き渡そうとする。

「丁度パクセ行きが出るみたいだから、良かったじゃないか」

  と言って去る運転手のおっさん。
  で、私の荷物を積み込んで、「もう出発するから乗りなよ」とまだ十代とおぼしき車掌(日本の一昔前の服に金をかけていない感じの中学生・・・のような感じの普段着)が手招きするバス。バスは先進国のお古の2階建てバスでそれ自体は奇想天外というわけではないのだが、だいぶ年季が入っている上に、エンジン点検口が開けっ放しのまま(冷やす効果、それとも往年の鳥山明のマンガに出てくる「ターボエンジン」ののりで剥き出しでカッコよさを表現している?)。まあ、そのあたりはさて置くとしても、これは、私が乗ろうとしている途中無停車のVIPバスではなく、あちこちの集落に立ち寄る「ローカルバス」というものだろう。英語を全く話せない車掌に無理やり到着時刻を聞くと、朝6時着との事(言葉は通じないので身振り手振りでノートに書いてもらった)。13時間半も窮屈な椅子に座るのはきつい。「VIPバスに乗る」とやはり身振り手振りで伝えて荷物をおろしてもらった。

  これから13時間も走り続けるバスを見送って私は切符売場へ。
  ヴィエンチャン〜パクセは数社は競合しているようで、それぞれのバス会社が切符売り場を持っている。一番立派なのは、「KING OF BUS」と表示してあり、バスのバンパーをかたどった窓口が印象的な会社(ちなみに、KING OF BUSを名乗るのにはそれなりの理由がある事が後でわかった)、やる気がなさそうな会社もあり、窓口に人がいなかったりもする・・・。一番まともそうなのは「KING OF BUS」で遠目で眺めていると切符も電算化されている感じ。ただ、私の希望は「比較的すいているバスに乗る事」で、人気があって混むのでは困る。あれこれ考えた末に、一番端のカウンターのバス会社の切符を購入する。どうやら運賃は規制されている模様で、途中無停車のVIPバスは一律170000キープ(1800円)、寝台バスの上段の切符を購入する。窓口の兄ちゃんには片言の英語が通じ、荷物も預かってくれた(切符売り場の事務スペースの片隅に置いてもらえるだけだが)。

  身軽になったところで、私はまずバスの様子を見学、「車両の回転率を上げて極限まで有効活用」という概念がないのか、「車両の積載率を上げるのが有効活用」と考えているのかはよく分からないが、赤茶けた荒野でのんびりと荷物の積み込みを行っている。ちなみに、荷物の積み場所は「屋根の上」。

こんな感じ・・・

  私が眺めていた時には、屋根にバイクの積み込みまでやっていた。もはや手荷物というより、貨客船の扱いである。先ほどのバスにも封筒入り書類を預けている人がいたし、車内には手荷物以外の貨物がたくさん積み込まれていた。バスは急行荷物便を兼ねているのかもしれない。
  もうひとつ目立ったのはベトナム行きのバス、このバスターミナルからは、フエ、ハノイなど、国境を越えてベトナムに向かうバスが多数発着していて(タイの大学で出会ったベトナム人留学生の帰省ルートらしい、ベトナム・ダナン出身で一人ずば抜けて優秀な女の子がいたがこのルートで長時間かけて帰省しているのだろうか?)、運転手に声をかけられる(競争があるのか、癖なのか・・・)。
  しばらく眺めていたが、バスの発着までは5時間くらい時間があったので、一旦市街に行く。市場でめぼしい土産を物色できないか、と期待したが、市場はすでに店じまい。携帯のSIMカードを購入したり、凱旋門を見学したりして暇をつぶす。ビエンチャンは比較的市内バスの本数も多い(※2)のだが、終バスは6時台。バスターミナルへの足はいたるところに停まっているサムロー(トゥクトゥク)に乗るしかない。声をかけてきたそれらしい人物に交渉すると、80000キープ(850〜900円)との回答。高すぎるぞ、という事で、ガイドブックに書いてあった60000キープを提示すると、嫌そうな顔をされる・・・。何だか強気だなあ、と思いつつ、間を取って70000キープを提示して合意すると、サムローではなく、近くに停まっていた普通の車(いわゆる白タク)に案内される。車だったらそう言ってくれればいいのに・・・。
  バスターミナルに戻り、再びバス待ち。あまりお腹は減っていないので、店を出している屋台で、肉まん状のもの一つとフランスパンを購入する。ベトナムとラオスでは屋台でフランスパンが購入可能。ここのパンは本場のフランスパンと同じ感じで良かった。高速バスの発着が増えて、バタバタしてくるのか、と思いきやあまりそんな事もなく、時間はのんびり過ぎていく。

  夕方7時半ごろ、乗り場にバスが現れた。車体は日本で標準的に使われている12メートル程度の大型バスで、車内には2段、2列の寝台が並んでいる。中国の寝台バスと同じであるが、最後部は大型の寝台ではなく、2人用の寝台が横に配置されていた。若い女性が車掌をしていて(但し、化粧気なしの上、普段着としか言いようのない恰好をしていて、日本のバス車掌というよりは大衆食堂のバイト、といった感じである)、切符を見せると席に案内してくれる。人はいないが、私の寝台の荷物棚には鞄が・・・合客がいないことを期待したがそう甘くないらしい。出発を待っていると、欧米人が続々と乗り込む。大体20代から30代とおぼしき若い人で、中には、旅行会社の名札を付けている人もいて一昔前のツアーの日本人観光客みたいな感じである。皆、寝台だ、と嬉しそうに乗り込むが・・・席番号を見て「寝台がない」と騒ぎだす。「2人で1つの寝台」というシステムが良く分かっていないらしい。車掌に文句をつけているが、2人で寝台一つ、席の余裕はないとたしなまれている。
  それを眺めていると、合客が戻ってくる。50代くらいのラオス人だが、私はラオス語なんて知らないし、相手は英語が話せない、「ベトナム語は?」と聞かれたが、私がまともに話せるベトナム語は「Toi Khong noi tieng Viet duoc(ベトナム語せません)」位。というわけで、なんだか微妙な空気で出発を待つ。

ちなみに、King of Busのほうは以前日本で活躍していた目がライナーと同様の、15メートル級2階建てバスだった。道の悪いラオスでこんなバスが使われるとは誠に不思議な感じであるが・・・。

  しばらくすると、エアコンの冷気の吹き出しが急に強烈になり(おそらくエアコンは走行用エンジンで駆動している)バスが動き出した。出発である。と同時に車掌が現れて、後ろの席に移って良いという。同席のラオス人が車掌に席代われないか、と言っていたので、欧米人に優先して席を割り当ててくれたのだろう。もっとも、私の移った席は何故かカーテンがなく中途半端な場所。おまけに、強烈になったエアコンの吹き出し口が近くにある。やれやれと思ったが、1人で寝台を占拠できるお陰で自由な姿勢を取れる。進行方向逆向きに寝て、エアコンの冷風を避ける事とした。
  バスは表通りに出て、スピードを上げ始めるが・・・
「ブォーン(巡航)・・・・ヒューウウウンン(減速)・・・ガタン・ガタン(穴ぼこのようなものをまたぐ)・・・ガツン、ブォーン(加速)・・・・」
 を繰り返す。まあ、舗装道路も多くないラオスでは道の良さは期待できない。この走り方で、10時間で700キロを走れるとは考えにくいが・・・まあ、寝るとするか。

(5時間後)
  道は日本より悪いと思われるが、横になれるだけあって快適で、私はぐっすり眠った(一般道だがそもそも信号がなく、やたらと停止する必要がない、眠気防止の段差がない、というのも影響しているかも・・・最初に遭遇した道路上の穴ぼこはなくなっていた)。
  気がつくと、トイレ休憩、といっても高速道路ではなく、田舎道沿いのモーテルのような場所にバスは停まる。モーテルのような建物のトイレに入り、用を足す。トイレは便器の脇に水おけがあり、それで流す方式。
 バスに戻ろうとすると、あろうことかバスが動き出している。ただ、こちらの存在に気づいてはいるようなので焦らずにいると、数十メートル先で停止、そこにある売店に立ち寄っている客が多いのでそちらにバスを移動させたようである。果たしてあのモーテルのような建物で用を足すのが正しい休憩方法だったのか、すら分からないままに、バスは出発する。

(さらに5時間後)
  夜はすでに明け、バスは、ジャングルの中を走っていた。
  時々姿を見せる建物の様子はテレビで見る途上国のイメージだが、まあ実際走っているところが1人あたりGDP1000ドル未満の途上国であるから、当然そういう事にはなる。路肩とジャングルの区別は何だか曖昧であるが、バスは順調に走っている(後で調べると、道路の舗装自体は日本が支援して行ったとの事)。
  もう少しうとうとしていると、バスは駐車場のようなところに停車する。時間は午前6時。バスは見事に700キロを10時間で走破し、ラオス南部の地方都市、パクセに到着した模様である。

  さて、次の行き先はホテル。バスターミナルで一瞬思案したが、歩くには少し距離があるようだし、市内バスらしきものは見当たらない。ソンテウ(トラックを改装した乗合バス)程度はありそうな感じだが、少なくともこの時間にこのバスターミナルにはいないようである。
  軽トラを改装したようなサムロー(荷台を乗用にした簡易タクシー)が止まっていたので、これに乗り込む。運賃は20000キープで、まあまあといったところか。
  ホテルに着いたのは朝7時という、「もう一泊分要求しても良いんじゃないの?」という感じの時間帯であったが、一泊朝食付き1600円というリーズナブルな価格にも関わらず、すぐ部屋に入ることができた。流石に朝食は別料金との事だったので、表通りにあるレストランで朝食を頂く(200円位だったか・・・)。

<この後の行動>
・ラオス3番目の国立大学、チャンパサック大学を見学
・車を借りてチャンパサック遺跡を見学(チャーター料は5000円くらいで、余り安くない)
・知人とメコン川を眺めながら夕食
・翌日は、飛行機でホーチミンへ直行

  ちなみにパクセは、高層建築もない地方都市であるが、この地域の商圏の中心地であるために、巨大な市場が存在する。一方で、スーパーも何軒か存在していて、商店街以前の商業形態から、ショッピングモールを中心とした商業に急速に移転している感じがある。

  パクセからは週2便の飛行機でベトナムのホーチミンまで移動。空港は日本の離島の空港並みには設備が整っていて、それほど違和感は感じなかった(駅の改札みたいな場所で出国審査というのは変な感じであったが)。
 飛行機は機材がプロペラのATR72で乗客は20人程度。ほとんどがベトナム人、ラオス人と思しき人で、欧米人が1人、日本人は私1人という構成であった。


<ラオスの交通政策>
・ざっと見た感じ、メインの移動手段はベトナムと同じくバイク。但し、ビエンチャン市内のバスの本数はそれなりに多く、ベトナムの同規模の地方都市よりは公共交通も使われている感じ(短距離移動はバイクで、中距離移動がバスなのかもしれないが)。日本は都市交通支援の技術開発を行っており、BRTを提案している。ただ、カンボジア人の知り合いで「技術援助でプノンペンのバスが改良されたけど、みんなバス乗ってるよ」というコメントをしている人がいて、上手くやらないと二の舞になるのでは、という不安も(まあ、この話が本当かどうか、カンボジアに行って確かめなくてはいけないけど)。電動バイクと基幹バス路線を使い分けるような方法が将来像を考え、それを元に交通計画を立案する・・・というのが良いのかもしれない。
・ラオス南部へは、今世紀初頭まで「水行七日」というような感じだったらしく、都市間バス路線もつい最近整備されたもの、らしい。運賃は規制されているが、バス停とかはバラバラなので、その調整を現在行っているらしい。


※1)昭和30年の暮らし、という言葉がふさわしいだろうか。もう少し豊か(1人あたり1170ドル)なベトナムのホーチミンの路地裏の光景(道路に面した居間兼寝室のような部屋で家族が夕食を食べている・・・)は最近やっているアニメ「昭和物語」の光景そのままであった。但し、そんなところでも携帯電話は普及している。

※)ちなみに次にいったベトナムでは
空港⇒ホテル:
バスを利用。このバス、4000ドン(16円)、荷物料金を入れても8000ドン(32円)と安いのだが、最近値上げしたらしくガイドブックには3000ドンと書いてあるらしく、他の旅行者とバス運転手が大揉め。運転手の対応が荒っぽい(ベトナム語でまくしたてるだけ)ので事態は悪化。双方の態度に苛立ちを覚えた私が(8円にブチ切れる観光客も観光客だし、英文表示も用意しないバス会社もバス会社・・・)、その観光客に「あなたのガイドブックには3000ドンと書いてあるだろうけど、今は4000ドンだよ」と説明するという一幕も。
ホテル:
国営5つ星のマジェスティックサイゴンホテル。特に不可はないのだが、高級ホテルとして考えるといまいち。クラッシックなスタイルのホテルで、部屋は悪くないのだが、バーが少々喧しくて、クラッシックなイメージにマッチしていないのが残念なところ(昨年泊ったマレーシアの「イースタン・オリエンタル・ホテル」にはクラッシックなイメージに合ったバーがあって良かった)。
夕食:
前2回のベトナム渡航で比較的良さ目のレストランに散々出掛けているので、今回は「通りにプラスチックの椅子を広げている」庶民的な店に挑戦(といっても、タライとペットボトルの水で食器を洗っている完全な屋台は不安なので、きちんと厨房がある店を選ぶ)。肉2品、野菜炒め、ご飯で30000ドン(120円)なり。
メインの目的:
ベトナム語教材の購入が目的の一つだったので、本屋でかなり粘って良さげなものを選ぶのに時間を費やした。ちなみに、本屋に絵葉書や土産物が置いてあり、安価(絵葉書に至っては10枚で50円程度・・・)安心(値札が付いている)でかなりお勧め。
  なんて事をして時間をつぶした。

※2)誰がどう運営しているのかは結構気になるが・・・。ちなみに私がビエンチャン⇒ノンカイで乗ったバスには、「このバスは日本が寄贈したものです」という大きなステッカーが貼ってあった。最新鋭のノンステップバスならともかく、ぼろいマイクロバスに貼ってあると、「恩着せがましい」感じもしないではないが。


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2013年2月8日作成