アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○カリフォルニア・リミテッド(2002年4月2日)

 1920年、ロサンゼルスとシカゴの電気鉄道網は全盛を極めたが、長距離鉄道のほうはどうだったのだろうか。実はここにもいろいろと伝説がある。

 シカゴとロサンゼルスを最短経路で結んだ鉄道会社にサンタフェ鉄道(アキソン・トぺカ・サンタフェ鉄道)という会社がある。この会社はシカゴとカリフォルニアを一社で結ぶ唯一の会社(他社、例えばユニオンパシフィック鉄道などはシカゴから800キロ離れたオマハが起点で、シカゴへはシカゴ・ノースウェスタン鉄道に乗り入れて列車を運行していた)で、同時に車両の豪華さで名を馳せた会社でもある。この会社の1920年代の看板列車が「カリフォルニア・リミテッド」であるが、これがまたすごい列車であった。
 アメリカの夜行列車を紹介した「The Night Trains」という本に一つの写真がある。
その写真、写した場所はロサンゼルスで、年代は1920年代。シカゴ行きの「カリフォルニアリミテッド」(当時は全車プルマン寝台車)の展望車を撮影した会社の宣伝写真で、展望車ではキャンペーンガールらしき女性が手を振っている。ここまでは言いのだが、おかしな事に「カリフォルニア・リミテッド」と記されたテールマークをつけた展望車は、7両、すなわち7編成が同時に映っているのである。
 結局は全部間違っていたのだが、7編成が同時に写っている理由を私は以下のように考えていた。

・可能性1 JR東日本のフレッシュひたちのように、使用編成全てを車両落成時にまとめて撮影
・可能性2 壮大さを演出するために他の列車の展望車にカリフォルニア・リミテッドのテールマークをつけて撮影
・可能性3 やはり、壮大さを演出するために、一列車の写真を加工

 このように3つの可能性を考えたのだが、車両自体は微妙に異なっているし、背景にガスタンクなる無骨なものが写っていて(ロサンゼルス川沿いの旧駅である。)加工とも考えられず、それぞれの解釈には無理があった。当時のシカゴ−ロサンゼルス間は3泊4日なので、毎日運行なら6編成以上はいるから、新車落成時かなにかで全編成が1箇所に集まった時に撮影したのかという可能性1に沿った解釈でむりやり納得していたのだが、よくよく本文を読むと、すごい事実が判明した。7編成を同時に(といっても30分の間隔をおいて)走らせていたのである(判明しなかったのは、「プルマン車11両を一度に7section運行した」と原文にあるのだが、このsectionの意味が、一般的な意味と、寝台の一区画(A寝台の上下1ボックス分)しか思いつかなかったので放っ
ていたから。これは編成という意味らしい。)。
 同じ目的地に向けて、複数の夜行列車が走るのは、日本においても不思議な事ではない。かつての東京〜青森間の寝台特急「ゆうづる(常磐線−東北本線)」「はくつる(東北本線)」は季節運転をあわせれば7往復存在したし、西日本でいえば、「あかつき」という列車もある。しかし、「カリフォルニア・リミテッド」は3500キロを3泊4日で走行した列車で、一往復に一週間かかる。記録によると、シカゴ〜ロサンゼルス間にもっとも多い時では45編成の「カリフォルニア・リミテッド」が走行していたという。車両数で言えば11×45≒500、競合会社であるサザン・パシフィック鉄道やユニオン・パシフィック鉄道も別ルートで列車を運行していただろうから、あわせた車両数はもっと多かったと想像される。
 この莫大な列車の運行が可能になった背景には、プルマン社の存在がある。全盛期のプルマン社は寝台車(日本で言うA寝台、もしくは個室寝台クラスの車両)と食堂車、ラウンジカーを合わせて一万両保有していたという。この車両を各鉄道会社の機関車に引かせて列車を走らせていたのであるが、統一的な会社が運営する事で夏は対西部、冬はフロリダといった季節ごとの区間別の需要変動をうまく吸収する事ができたのである。

 ところで、カリフォルニア・リミテッドの全盛期以降はどうだったのであろうか。1930年代になると、乗客数には陰りが見え始めたが、サンタフェ鉄道の伝説はつづいた。
 まず1920年代中頃に、「チーフ」という豪華列車が登場する。カリフォルニア・リミテッドを「北斗星」とするなら、「チーフ」は「カシオペア」で、個室主体の列車であった。1930年代には、ディーゼル機関車牽引で所用時間を2泊3日(39時間)に短縮、流線型客車を使用する「スーパーチーフ」が登場し、ほぼ同時間で走行するユニオンパシフィック鉄道の連接式ディーゼル特急「シティ・オブ・ロサンゼルス」などと覇を競った。
 これらの列車は、全車寝台で、別に座席車を連結した列車が運行されたが、その中にも豪華列車が存在した。後にスーパーライナーに引き継がれる二階建て客車を使用した「エル・キャピタン」は特別料金をとる全座席列車で「スーパーチーフ」と共にこの区間を39時間で走行したのである。
 
 

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