アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○実業と虚業の定義
2005/1/26
 「ライブドア・ショック」、すなわちライブドアをめぐる今月の一連の騒動にはいろいろと考えさせられるものがあるが、本日は「実業」と「虚業」という言葉を持ち出した議論を取り上げることにする。
「虚業」というのは、「もの」の生産を伴わない企業経営を指す。といってしまうと簡単に聞こえるが、その識別は容易ではない。「もの」というのが何なのかの定義が難しいのである。評論レベルでは「実業は製造業や流通業のような汗水たらしてお金を『稼ぐ』もの、虚業はお金を右から左に動かして『増やす』もの。」なんて言っているのだが、事は簡単ではない。「汗水たらして」だけで実業というなら、詐欺師だって謀略を仕掛けるために汗水たらして駆け回る事もあるだろうし(某氏が汗かきに見えそうだという話はともかくとして・・・)、もの作りの現場でも、商品価格が不意に高騰してあぶく銭を稼げてしまう事がある。「虚業」と「実業」というのは議論のネタには使えても『虚業を規制しよう』とか考えた場合に使えるような概念ではないのである。

 さて、私の書く駄文をきちんと読んでくれる親切な読者なら最初から気づいていると思うが、虚業の話は鉄道と深いつながりがある。面白い事に、実業の代表格にある鉄道は、時として容易に虚業と化してしまうのである。
 鉄道は地域経済に多大な利益をもたらす。しかし、それは、鉄道の線路や車両が利益を生み出すというわけではなく、地域の潜在能力と鉄道の設備が上手く調和して実現するものである。とはいえ、潜在能力はいくら?などと測定することは出来ないし、鉄道が引かれる地域の人間なら自分の地域は鉄道さえ通ればその発展可能性は無限と考える習性がある。今でこそ自動車があるから、鉄道というのも輸送手段の一つ、という認識しかなされないが、鉄道が唯一の陸上高速輸送手段であった時代、その価値は絶対のものであった。結果、鉄道路線の可能性は課題に見積もられ、「可能性=価値」と認識される事でしばしば鉄道会社の株式は必要以上に高騰したのである。
 IT産業(ライブドアは厳密ではIT産業ではないが、ITを応用して何かができるという幻想を売りにした会社である)や鉄道会社が虚業になる理由は何であろうか。実は両者は、売り物や設備は大きく違うものの、人やものを線路や情報ネットワークでつなぐことで、生産活動を効率的にして人々を豊かにするという効果があるという点で共通している。しかも、この効果はその会社のみならず、社会全体に有益である。鉄道業でもIT産業でも振興のために補助金を出したり、「赤字企業ばかりだから整理しろ」なんて意見が簡単に通らないのはそのためである。他方で計りようがないと理由でそういった有益性が過大評価され、虚業家が入り込んでバブル化しやすいという事にもなる。

 IT産業のバブルの件はさんざん言われているので、鉄道の虚業化に関して意見を付け加えておこう。鉄道が証券市場で虚業となる時代は終わりを告げたが、鉄道の持つイメージは存続し、道路建設や都市鉄道建設、赤字公共交通存続において実を伴わない意見は時として世論を席巻することがある。いずれも、都市部の迂回道路建設や、需要があるところでのLRT建設、代替交通機関のない地域での公共交通維持など、やるべきところはやるべきなのだが、適切な需要がないところでの道路や地下鉄やLRTの建設、乗らない公共交通の維持など不適切な対応が取られてしまったり、それに対する過剰反応としての建設反対運動などがおこなわれてしまっている。交通というのは、IT産業と同じく、惑わされやすい要素が非常に多い産業である事を認識する必要があるかもしれない。



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