アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○アメリカ鉄道Q&A
2003/12/31
 このホームページもまもなく開設一周年である。
 既存のアメリカの鉄道情報が少なく、また間違えが多い事から、詳しく、正確に、を重点に置いてきたつもりだが、初期の資料不足と資料の読み込みの甘さが祟って最初に書いたページには間違えが多い。また、変換ミスが結構あるのも気になる。年明けに直していきたいなあと考えてはいるのだがどうなることやら。

 年末企画、というわけではないが、アメリカの鉄道についてよく知らない人のためにQ&Aコーナーを作っても良いかなという考えがまえからある。これを試験公開してみることにする。

△△△アメリカ鉄道Q&Aコーナー△△△

Q1 アメリカの鉄道と日本の鉄道は全然違うものじゃありませんか?

 確かに、現代アメリカに関して言えば、車両の大きさや軸重などが異なる事は確かですが、似ているところもあります。日本の鉄道は最初の開業時こそイギリスの鉄道を参考に建設されましたが、安価な軌道に適した車両技術をアメリカが持っていたので、明治中頃からはアメリカの鉄道を参考に発展した部分がかなりあります。自動連結器を全面的に採用している事、座席車でも寝台車でも開放式車両を使いつづけてきたことなどは代表的な例でしょう。
 また、電車技術においても類似点があります。日本の大手私鉄は、20世紀初頭にアメリカの中西部で発達した都市間電車の技術を採用して建設されました。日本の初期の電車運転に当たっては、電気部品の多くがアメリカから輸入されました。現在、アメリカでは都市間電車路線はほとんど廃止されてしまいましたが、残された一部路線では日本製の電車が輸入され活躍しています。

Q2 誰が経営しているの?

 アメリカの鉄道は創業以来、民間会社によって運営されています。大陸横断ルートなどを含め、主要都市間には必ず複数の会社の路線が存在し、激しい競争が繰り広げられてきました。
 現在、旅客輸送に関しては経営が悪化したことから、1971年以降国営のアムトラック(米国旅客鉄道公社)に移管されています。アムトラックは、ボストン〜ニューヨーク〜ワシントン間などの一部例外を除き線路を所有せず、貨物輸送を営む民間旅客鉄道から線路を借り受け運行を行っています。ちなみに、東部の鉄道会社に関しては1970年代に倒産が相次ぎ、一時貨物輸送を含め国営化が行われた事がありますが、現在では再び民営化されています。
 ちなみに、アメリカとよく似た経営を行っているカナダには1990年代まで国鉄があり、大陸横断鉄道を含む広範な路線を保有していました。面白い事に、カナダ国鉄には同規模のネットワークを誇るカナディアン・パシフィック鉄道というライバルが存在し、両社は互いに競争関係にありました。この競争のおかげでカナダ国鉄は効率的な経営が行われていましたが、より柔軟な経営のために民営化されています。なお、カナダの鉄道でも旅客部門はVIAレールという国営企業に移管されています。

Q3 アメリカの鉄道車両は重い(アメ車だし)?

 アメリカの幹線路線の許容軸重は30トンにもなります。この強固な軌道を用いて重量のある機関車や貨車を使用、効率的な運行を行っている事は確かです。旅客車両に関しても、100トンを超える展望車両が建造された事もあります。
 ただ、列車重量の軽減のために軽量化の技術も開発されています。バッド社が1950年代に開発したオールステンレスの「パイオニア3」という客車は普通の高さを持つ26メートル車で26トンしかないという超軽量客車です。1930年代以降の車両は張力鋼やステンレスを使用して軽量化を試みたものが主体となっていました。この伝統は2階建てのスーパーライナー車両にも引き継がれています。

Q4 列車の本数は少ないの?

 アムトラックによって運行されている現在の長距離都市間路線の本数は少ないです。1日1〜2本、もしくは週3便というのが標準です。ただ、4000キロを超える大陸横断路線のうち、4ルートで現在でも旅客列車が運行されている事は特筆に価するかもしれません。
 昔は長距離路線ではもっとたくさんの列車が運行されていました。50年前には大陸横断路線も7ルートあり、20本以上の列車が毎日運行されていました。混雑時には1つの列車を複数に分けて運行する事も盛んに行われていました。シカゴ−ニューヨーク間の有名な「20世紀特急」は1920年代から30年代にかけては1列車では乗客を到底運びきれず、常時数列車に分けて運行されていたといいます。航空機の発達する前に関していえば、昭和30年代の日本の都市間路線並に列車が運行されていたと考えて間違えないでしょう。

Q5 列車の等級は

 基本的にはコーチ(普通座席車)を基本とするモノクラスです。但し、寝台車はファーストクラス扱いです。ファーストクラスの座席車としてパーラーカーという車両も存在しましたが、東部を除けば少数派です。これはアムトラックの経営する現在まで引き継がれています(パーラーカーはビジネスクラスと名前が変わりましたが)。
 コーチは転換クロスシートを基本とする座席車で、1940年代ごろから長距離列車に関してはリクライニングシートに置き換わりました。寝台車は19世紀の終わりから1960年代まで、プルマン社という寝台車の管理を一手に引き受ける専門の会社によって経営されていました。1930年代まで、「プルマン式」と呼ばれる二段式開放寝台が主流でしたが、それ以降は個室寝台が主流となっています。
 19世紀、アメリカの鉄道がモノクラスであった事は自由と平等の象徴の一つとしてアメリカ人の誇りであったようです。しかしながら、実際には黒人の乗車拒否は日常茶飯事でした。南部の鉄道では、コーチへの黒人の乗車を禁じ、半分の運賃で貨車に便乗させていたそうです。黒人差別の悪しき伝統は長く続き、1930年代の近代的な軽量ディーゼル動車でも黒人用の座席車を設けたものがありました。

Q6 危なくない?

 ニューヨークの地下鉄というと犯罪を連想してしまいますが、地下鉄の治安が悪くなったのは第二次世界大戦以降の事で、1930年ごろまでは(以前の)日本の地下鉄並に安心して乗れる乗り物だったようです。また、現在のニューヨーク市交通局でも犯罪防止に努めているという話は良くききます。
 アムトラックの長距離路線に関しては、移動手段というよりも観光路線としての意味合いが強い事から、車内の安全性はかなり高いと言われています。ただ、軌道の安全性についての問題が度々指摘されています。線路を持つ会社ごとに安全性は違うという噂もありますが。
 19世紀のアメリカの鉄道では木造の橋梁が多く、連結器、ブレーキ装置とも脆弱だったので大規模な事故は日常茶飯事だったようです。20世紀になってからは安全性は高まりましたが、最近は心もとなくなっています。


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