アメリカ旅客鉄道史おまけ(雑談と掲示板) 作者のアメリカ鉄道雑談

○時間を支配したアメリカの鉄道
2003/12/18

 アメリカの鉄道はしばしばとんでもないことをやらかす。鉄道しか交通機関がない事と国土が広いこと、経済力があったこと、消費文化が早くから根付いていたことの4つが混ざり合ってとんでもない結果を生み出すらしい。本ページでも紹介した話で私が「とんでもない」と思っている話は次のとおり、
○7編成続行で走行、45編成(≒プルマン寝台車500両)を必要とした『カリフォルニア特急』
  ⇒ちなみに1920年代の「20世紀特急」(シカゴ⇔ニューヨーク)も7編成続行の記録が
    残っている。20世紀特急には前後に「コモドア・ヴァンダービルト」「レイクショアー特急」
    というやはり全車寝台の特急列車があり、これらも続行運転を行ったので総数でみると
    こちらに軍配が上がるのかもしれないが。
○現在のバス路線網より稠密な路線を持っていた『シカゴの路面電車』(軌道延長1800キロ)
○最初から複々線で建設されている『ニューヨーク地下鉄IRT』
○10000両の寝台車を保有した『プルマン社』
○(今では1日数本の発着しかないにもかかわらず)30本のホームを持ち、50階建ての高層ビルを従えていた『クリーブランドユニオンステーション』
○軽量車体、電磁直通ブレーキ(HSC)、現代でも通用するデザイン(アールデコ)の3つを1930年代に実現した『ストリームライナー』

 もう一つあると『7大偉業』ということになるが、色々調べるとこれに該当するであろうとんでもない遺産が残っていた。
 それは、『時間』である。
 アメリカ本土には4つの標準時がある。
 (1)東部標準時(EST)
 (2)中部標準時(CST)
 (3)山岳地帯標準時(MST)
 (4)太平洋標準時(PST) 
 当然の事ながら、基本的にはこれらの時間は基準地点の南中時刻で決められ、東部時間はイギリスのグリニッジ天文台と14時間の時差が存在するのだが、各標準時に所属する地域の決定、例えばどの地域が東部標準時に属するのか、ということは別に考えなければならない。これを決めたのは合衆国政府ではなく鉄道会社だったのである。
 19世紀初頭、アメリカの各都市では、自分の街の時刻は自分のいる場所の太陽の南中時刻を正午とすることによって決定していた。この方式だと、街の存在する数だけ時刻が生じてしまう。シカゴが12時のとき、ネブラスカ州のオマハは11時41分、その北に位置するセントポールは11時50分、ミズーリ州のセントルイスは12時31分、ピッツバーグは12時31分、首都ワシントンは12時50分といった感じである。移動に時間がかかる時代はこれでも良かったが、鉄道が登場すると支障が出てくる。大陸横断鉄道が全通した当時、ボストンからサンフランシスコに旅行する旅行客は18回から19回時計を調整する必要があったという。これではダイヤ作成も大変である。
 1872年、鉄道会社の代表者がセントルイスに集まり、タイムテーブル委員会と言うものを設立した。1975年にこれは標準時委員会にかわり、オフィシャルガイド(アメリカの鉄道時刻表)の編集者であるアレンと言う人物が標準時を策定。各鉄道会社もこれを受け入れ、1883年に標準時は実行に移された。この鉄道会社の定めた時間が現在のアメリカの標準時なのである。オフィシャルガイドの表紙には、わざわざ標準時の表示がなされているが、これはこの時の偉業を称えたものとも解釈できよう。
 もちろん、鉄道会社の与えた時間にすべての人が満足したわけではない。「神の定めた時間」に従うのか「鉄道王ヴァンダービルト定めた時間に従うのか」のが、と言うような論争はかなり繰り広げられたもようである。しかし、生活が鉄道で成り立っている以上、多くの人はこれに従わざるを得なかった。政府は1918年にこれを公式に認め、この線引きは最大最高の鉄道の遺産として現在まで引き継がれているわけである。


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