アメリカ旅客鉄道史実地見聞録アメリカ旅行記>ロサンゼルスへ

ロサンゼルスへ
国際線の飛行機を見ると旅情を感じるこの頃
(この写真は本文と関係ないです)
  ロサンゼルスはどういう場所か?自分が作成した事も忘れて、日本語で一番信頼の置けるアメリカ交通サイト「アメリカ旅客鉄道史+α」を熟読した私のイメージは3つ。

 ・車社会
 ・暑い
 ・危ない
 ・広大
 ・煙い

  どうも語呂が悪いが「あ」でも「カ行」でも統一できないのでこういう事にしておこう。GMが電鉄会社を潰してというのは伝説に過ぎないが、車社会になって排ガスで煙たくなったというイメージ。そして満員の「暑くて満員の電車は耐えられない」というイメージもなぜか植え付けられた。

  ...まあ、ともかく旅行記を続けよう。

  千葉県で生まれ育った鉄道マニアのくせに成田〜成田空港未乗車の私にとって、興奮の旅は千葉駅を過ぎた頃からはじまった。
  「ここが過激派を警戒しながらジェット燃料を輸送した貨物線跡か」とか面白がりながら成田空港に向かった私を待っていたのはユナイテッド航空の便を待つやたらと長い行列。昨年のオーストリア航空の場合は、列なんぞ皆無(搭乗客がいなかったわけではないから変な話だが)であったからであったから、私にとっては異常事態。しかも、係員は
事前座席指定をしている乗客に『ここの席、キャンセルを見込んで二重に予約しているから調整しています』などととんでもない事をいう。私の席はどうなることやらと思ったが、搭乗口では用意された座席は1ランク上の「エコノミープラス」。往復36000円の激安航空券所持である事を考えると異常事態である。
  というわけで、座席間隔は通常より10センチ広い約90センチ、さほど足に疲労を覚える事もなく、飛行機はロサンゼルス国際空港に到着した。

 当然の事ながら、まずは入国審査。入国審査の部屋は殺風景。白いタイル張りで、入国者が並ぶスペースと無数のカウンターだけが並んでいる。壁にはブッシュ大統領の肖像画と「アメリカにようこそ」のメッセージが。「はい、次」の声ばかりが響き渡る部屋はアメリカというよりは怪しい外国を思わせた。
 私は飛行機を降りるのが一番最後だったので入国審査も最後のほう。前には団体客が並び、子供を優先席に並ばせているのを見て「ずるい」とか騒いでいる。『古典的な団体観光客め、アメリカが高齢者や子供連れなどに親切な国だという事も知らんのか』などと内心思う。当然、入国審査も何の問題もなく済ませる気であったのだが、関税申告書の記入を忘れていた。「あれいるの?」とかボケをかましてごまかそうとしたら、「ほらさっさと書け」とバンと用紙を渡される。慌てて書かされたので「居住地 ロサンゼルス」と記入したので、税関の姉さんにも呼び止められる始末である。

これは出発ロビーの様子であるが、到着ロビーも一段下にあるというだけで同じ構造。
謎の乗合バンと送迎バスが走り回る。

系統番号のある空港内シャトル。
 到着カウンターを出ると、そこは自動車とバスの洪水であった。鉄道はないのは判っているが「路線バス乗り場」の案内すらない。バスはなぜかたくさん走っているが、その正体はホテルとレンタカー会社の送迎バスで私の乗り物ではない。「はて、どうしたものか」と眺めていると、行先表示を掲げたバスが時々通り過ぎる。普通の路線バスには見えないが、どうやら空港内シャトルバスのようである。このシャトルの停留所を見つけるのがまた一苦労で、何本か逃したが、およそ15分くらいで乗車に成功。運転手のおっさんに聞くと、これで最初のホテルに向かうサンタモニカ市バスに乗り換えられるとの話である。中南米からやってきたといった様子の家族連れもサンタモニカ市バスに乗るらしいのでひとまず安心である。
 バスは駐車場の中を走りはじめた。どこか旅行に行ってきた帰りといった感じのアメリカ人の家族連れが運転手と話している。

運転手:「どこに停めたんだい」
家族連れ:「忘れた、見て確認するからゆっくり走らせてくれないか。」
私:・・・

 駐車場はとにかく巨大だからこのような悲劇は起りそうである。しばらくしてようやっと思い出したらしく、家族連れは大量の荷物を持ってバスを降りていった。

シャトルバス−市バス乗り換えポイント
ロサンゼルス都市圏交通局(MTA)のバスの他、トーランス、
カルバーシティ、サンタモニカの各市が運営する市バスに乗り換え可能。
 バスにのって10分ほど、ようやっとシャトルバスは路線バスターミナルに到着した。空港連絡のリムジンバスというものはなく、全て普通の路線バス(ただしノンステップ)というのが日本との違いだが、何台ものバスが出発を待っている。目標のサンタモニカ市バスはすぐに発車だったのですぐさま乗り込んだ。
 バスは空港から出て、郊外の街路を走りはじめた。はじめて眺めるアメリカの風景。しかし、どうもおかしい。そんなに「広大」ではない。確かに道路は片側3車線くらいあるのであるが、沿道にはロードサイド型の飲食店や住宅がひしめいている。出発前に寄って来た実家周辺の近郊住宅地と同じような光景が広がっている。まあ、バスに乗っている30分間、これが途絶える事なく続いたのは「広大」であるな証拠とも言えなくはないが。
 バスには英語と並んでスペイン語の表記が並んでいる。それどころかバスに乗ってくる乗客が「Hola!」と運転手に挨拶して、運転手も普通に返事したりしている。先ほどの中南米から来た家族ずれに別れの挨拶をするときに「アディオス!」と声をかけたが、普通に「アディオス!」と返される。もはやスパニッシュは南カリフォルニアの共通語なのだろうか?
 バスを一回乗り換えたあと、目標のベニスビーチに到着。ホテルと言っても今回は20日間の長旅で、宿泊費に関しては超節約予算を組んでいるので、今回の宿泊は一泊25ドルのホステルである。しかし、これも特に問題なくチェックイン完了。私は外に探検に出ることにした。
 第二の異変に気付いたのはこの時である。外はどうも涼しい。ロサンゼルスはアメリカでも随分南にあるので、暑い場所だと思ったのだが、日差しは確かに初夏の日差しだが、気温は20度台半ばといったところだろうか(良く考えてみれば、気温二十何度と機内でもアナウンスしていた。)。エアコンの効いた室内にいるかの如くの快適さである。排気ガスでもう少し煙いのかと思ったが、そんな事もない。化学的にはいろいろあるのであろうが、体感的には快適さで相殺されてしまっているようで、そんなところにロサンゼルスの車社会化が進行する原因があったのかもしれない。
↑上今回の写真(ホテルの近くのレストラン)
↓1940年代の様子
出典
VTRより撮影
"Remembering the Red Cars Vol2"
, Catenary dideo production

↓下、同じ場所の100年前の写真(昔は二階があった)







←運河。本物(↓)に比べるとのどかな感じ。


  ベニスビーチに泊まったのは理由がある。
  この地がベニスという名前をもつ理由はアボット・キニーというイタリア系アメリカ人がベネチアを模して運河のある遊園地「ベニス・イン・アメリカ」を建設したからである。運河のかなりは埋め立てられてしまったが、一部残存している。また、ここはかつてのパシフィック電鉄の幹線路線、「ベニス・ショート・ライン」の沿線にある。それに加えてダウンタウンに比べれば治安もいいというのであるから泊まらなければ損であろう。
  当初の目論見はそんなところで、結果は上記のとおり。運河はばっちり残っていたが、ベネチアというよりはのどかなビーチリゾートの感覚である。

アメリカ旅客鉄道史実地見聞録アメリカ旅行記>ロサンゼルスへ

2005年8月13日作成
2006年6月3日修正
2007年3月24日移転